「欲望の資本主義」の特別編というか続編。
話題が先行している感がある「メタバース」についての、現状と未来像の一端を取材した番組。
興味深い発言がいろいろとあったので取り上げる。
欲望の資本主義2022夏 特別編 「メタバースの衝撃 デジタル経済のパラドックス」| NHK BS1
前後編に分かれていたが、前編は現状のメタバースについての取材レポートが中心で、後編は専門家たちによるメタバースの可能性と課題が紹介されていた。
冒頭に出てきたのは、メタバースという言葉の生みの親である、作家のニール・スティーヴンスン氏へのインタビューの一部。
1992年発表の「スノウ・クラッシュ」で、メタバースやアバターの概念を導入した。現在(2022年)から見ると30年前の作品だが、発表当時のコンピュータは恐ろしく非力だったので、先見性はあった作品ともいえる。
質問者:今の世界と、あなたの小説に描かれたことがあまりに違うので失望しています。メタバースに対する企業などの楽観的な動きをどう見ていますか?
スティーヴンスン:私に言わせれば、大抵のものはメタバースではないんだ。君は正しい。多くの人々が「メタバース」と呼ばれるものをつくっているし、それをコントロールしようとしているがうまくはいってないよね。
これには同意だね。
スティーヴンスン氏の発言のあとに、現状のメタバースの例が紹介されるのだが、『「メタバースがやってきた〜仮想世界の光と影」| NHK BS1』でも書いたように、こんなチープな世界がメタバースだなんて、なんかの冗談なのかと思ってしまう。
技術的には昨今のコンピュータのスペックがあれば、よりリアルな世界観をリアルタイムで表現できるはずなんだが、それをやらないのは手抜きなのか、作る人の技術力がないのか、コストをケチっているのか、いずれかだろう。5年後、10年後に振り返ると、現在のメタバースは黎明期ではあるが稚拙でもあって、デジタル化石になってるだろうね。
キャシー・ハックル氏は、メタバースと企業の関わり方について述べる。
人類は何世紀にもわたり「物理的なモノ」をめぐって商取引をしてきた。ところが、インターネットの普及で電子取引が誕生したことは大変化でしたね。それは「物理的なモノ」と「デジタル」の商取引への進化でした。
そして今、ゲームの世界での経済活動は「バーチャル」と「バーチャル」の取引です。そこにメタ社をはじめとした大企業が、新たな市場を見出し投資しています。多くの企業が、どのようにメタバースに関われるか?と、立ち位置を探している。
ハードウエアか? コンテンツか? はたまたインフラに回るのか。
一番のネックは、インフラにも含まれるプラットフォームだろうね。
インターネットが世界中に普及したのは、たったひとつのプラットフォーム(プロトコル)だったからだ。アメリカ発ではあるが、ロシアでも中国でも北朝鮮からでもネットにアクセスできる。対立する国同士であっても、ネットにはつながる。アクセス制限をする国はあるが、ネットとしてはひとつだ。
現状、メタバースを提供する企業ごとにプラットフォームは異なる。インターネットの上に建てられた別々の建物みたいなもので、それぞれが独立していて互換性がない。インターネットのように自由でオープンな環境ではないことが、普及の足枷になるような気がする。
加藤直人氏は、次のように語った。
その時代が来た時に、僕以外の人がつくった3D空間、たとえば中国製の仮想空間、アメリカ製の仮想空間と日本製の仮想空間があったら、どれを選びます?
安全性とかあるかもしれないですけど、日本製が欲しいなって思いません?
SFとかで描かれる世界を自分でつくりたい。
前述のこととも関連するが、プラットフォームが乱立すると、ユーザーが分散するし、互換性のなさが壁になるではないか。
淘汰は必然だろうから、ユーザーの少ないプラットフォームはいずれ消滅する。彼のつくるメタバースが、生き残れるかどうかだね。
OSや検索エンジン、あるいはSNSなどの過去の事例から考えれば、生き残るのは2つか3つ。複数のプラットフォームが存在するのは、ユーザーにしてみれば不便なんだよね。そういう意味では、メタバース標準規格みたいものが必要かもしれない。プラットフォームが異なっても、互換性が担保されるとかね。
ニーアル・ファーガソン氏は、次のように心配する。
私個人としてはオキュラスのようなゴーグルをつけたいとは思いません。それは私が現実世界が好きな古い人間だからかもしれません。
大事なのは、私の10歳の息子が仮想現実にどう反応するかです。私のような年齢が上の人は、子どもや孫世代がゴーグルと共に、現実から脱出するのを驚きの目で見ることになるでしょう。そうならないことを望んでいます。
技術的な問題として、端末の形態がゴーグルであったり、操作系のコントローラーであったりが、制約が多く不便だということ。SF映画に出てくるような3Dホログラムであれば、没入感もあり、いちいちコントローラーを持たずにジェスチャーや口頭で制御できるのが理想だろう。しかし、その技術的な解決には数十年はかかりそうだ。
3Dテレビが浸透しなかったのは、3Dメガネをかけるという煩わしさが一因だった。ごっついゴーグルは、3Dメガネよりも煩わしい。人間が機械に合わせるのではなく、機械が人間に合わせるようなハードとシステムじゃないと、誰もが気軽に使えるメタバースにはならないように思う。
また、「現実から脱出する」というのは重要なポイントで、メタバースは現実逃避の側面がある。メタバースに入り浸るようになると、メタバース中毒(依存症)という問題も起きてくるだろう。これはいずれ社会問題なるのはほぼ間違いない。
成田悠輔氏は、幻想としての資本主義を語る。
幻想としての資本主義の機能みたいなものが、どんどん強まっている感じがある。
アメリカという国、アメリカという経済のゲームのルールを作る力というのが、ますます強まっている側面がある。
日本も含めて、そのゲームに乗せられて、見事に大負けしているのが現状。
IT関連のベーシックな部分は、ほとんどアメリカ企業が握ってるからね。OSしかり、CPUやGPUしかり、標準的なアプリケーション(AdobeやMicrosoftなど)しかり。国産で世界標準になっているのは、ゲーム機と一眼レフカメラ(ミラーレス含む)くらいだ。
メタバースも、どこが覇権を握るかで未来が決まるように思う。より多くのユーザーを獲得したところが世界標準となり、メタバースを利用する企業も個人もそこに集約される。
佐藤航陽氏は、熾烈な競争を予想する。
スマホのアプリもそうでしたけど、みんなが一攫千金を狙って作ってみたものの、99%は使われない。そんな中にLINEとかメルカリがあって、数万個の中でユニコーンなのが1個か2個紛れてる。
メタバースも同じで、何万個と作られていって、その中でうまく成り立って、ちゃんと収益が取れるというのは1%もないんじゃないですかね。
まぁ、そうだろうね。
現状は、各社が独自にメタバースを開発しているが、GoogleがAndroid OSを開放すると、スマホメーカーは独自OSをやめてAndroidを採用したように、メタバースOSのようなベースが提供されれば、それを利用する方がコストがかからず楽になる。
森 健 氏は、経済システムの変化を語る。
経済のシステムの大前提が変わってきている気がしている。みなさん当たり前のように、物価、物価と言うんですけど、たとえばサブスクリプションなんか、今、出始めている中で、あれって本当の物価なのかなという気はありますね。
需用と供給で決まっているかというと、そうでもない。物の価格が物価だと思うんですけど、そのあたりも含めて、いろんな概念が覆されつつあると感じる。
そのひとつがGDP。GDPっていう指標自体、ピンボケしてきている。説得力がだんだんなくなってきているのかなと。GDPというのは、お金として獲得されたものが大前提になってまして、たとえば家事労働が入っていないとか、環境破壊(のマイナス)も入っていないとか、いろいろと問題がある。
私が注目しているのは、消費者余剰というもの。無料だから価値がゼロかというと、まったくそんなことはないはず。価値があるから使っている。私たちの集計だと、主要なSNSの4つが生み出している消費者余剰は、だいたい年間で20兆円ぐらい。
これはGDPには含まれない。
消費者余剰は年々拡大していて、GDPではとらえられない価値が、デジタルで相当生み出されている。
なるほど、そこは盲点だね。
とはいえ、消費者余剰の20兆円は支払われていない金額だから、それをいかに支払われるお金にするかが問題なのかな。
SNSが無料といいつつ、広告は見せられるし、行動履歴や個人情報は抜かれているわけで、お金は払ってなくても情報は差し出している。SNS企業はその情報を収益に結びつけているから、無料を餌にユーザーは釣られているともいえる。
ダイアン・コイル氏は、GDPについて別の見解のようだ。
新しい技術やイノベーションは、GDPを実際よりも増加させているかもしれません。しかし、その増加分は一部の人々や企業だけを潤し、広く人々に恩恵をもたらしていません。
デジタルの価値をもっと理解すべきだが、答えは明らかではない。経済学者にとって、非常に難しい課題を提起しています。
何を「進歩」としてカウントするべきか?
今、人々は、自分たちが恩恵を受けていないことに気づいています。仕事の質が低下し、不確実性が高まっています。デジタル化が進めば進むほど、この問題はより大きくなるでしょう。
つまるところ、デジタルになってもメタバースになっても、格差、不平等、不公正はついてまわるということだね。
これはデジタルの問題というより、リアルの社会の問題なので、リアルで解決できないことはデジタルでも解決できないように思う。
フェリックス・マーティン氏は、全ての経済価値はバーチャルだと説く。
「デジタル経済はバーチャルなものだ」
「GDPや成長率になにも関係ない」という声は理解できる。
だが、覚えておきたいのは、全ての経済価値はバーチャルで実体がないのです。物理的に測れるものなんてありません。そもそもドル、ポンド、円などの通貨は、恣意的な価値の単位でしかない。価値とは、社会の構築物なのだ。
例えば、ブランドの価値を考えましょう。
ブランドの価値は社会の認識が決めます。有名なほど価値が上がりますね。10ポンドのバッグにおしゃれなロゴを入れるだけで、1000ポンドになる。
価値は、そもそもバーチャル=仮想的なものなのです。
デジタル経済における成長が、経済成長に資することを疑う必要はないでしょう。それらは、何はともあれ、人々にとってGDPに相当するような価値をもつものなのです。
貨幣は、物の価値の代替物だしね。メタバースはリアルの代替物。
「Virtual」の意味は、「(表面または名目上はそうでないが)事実上の、実質上の、実際(上)の、虚像の」ということなので、「価値が等価とみなせるもの」ともいえる。
細かいことをいえば、私たちが認識する「現実」というのも、じつのところ脳が作りだしたバーチャルな世界なんだよね。「見る」という行動は、目から入った光の信号が神経を伝わって脳に送られ、視覚として認識され反応するのに約80〜200msecかかるという。つまり、見ている世界は、80msec過去なんだ。それで不都合が起きないのは、脳は予測して反応するのでタイムラグを埋められるからだ。
そして、番組は「資本主義とは虚構の中にあるのか?」と問う。
あ、これはなかなかの名言かもしれない(^_^)
株、為替などは、金額の数字だけで取引しているし、株券や札束を車に積んで運ぶわけではない。先物取引は、今は存在しない未来の商品を売買しているので、完全にバーチャルだ。実際に商品を買う人は別にして、投資として先物取引をする人は、その商品を手に取ることはない。
……と、ここまでが前編。
長くなったので、後編はのちほど。