メタバースが何かを、まだ誰もわかっていない|マシュー・ボール著「ザ・メタバース」

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 ちょっと久しぶりに、メタバース関連。
 「メタバースとはなんぞや?」というのが、ちゃんと定義されていないのが現在の状況だろう。それについて考察した書籍からの抜粋記事。

メタバースが何かを、まだ誰もわかっていない:その破壊力の真のインパクトに迫るマシュー・ボール著『ザ・メタバース』

すごく話題になっているにもかかわらず、メタバースとはなんであるのか、きっちり定義されておらず、人によって言うことが違う。業界リーダーも、みな、自身の世界観や自社の能力に都合のいい言い方をする。

たとえばマイクロソフトのサティア・ナデラCEO。彼は「メタバースとは世界全体をアプリのキャンバスにするもの」で、クラウドソフトウェアと機械学習で拡張できると語っている。

(中略)

マーク・ザッカーバーグは、遠く離れた人同士がつながり交流できる没入型の仮想現実を中心にすえている。

(中略)

ワシントンポスト紙は、エピックゲームズ型のメタバースについて次のように報じている。

 「さまざまな人が参加できる広大なデジタル空間で、ユーザーは、ほかのユーザーや各種ブランドと自由に交わり、自分を表現したり喜びを得たりできる……オンラインの遊び場といった感じのところで、友だちと待ち合わせてエピックゲームズの『フォートナイト』などのマルチプレイヤーゲームをプレイし、続けてネットフリックスで映画を観て、さらには、実物そっくりに作った新型車を試乗してみるなどができる。

(中略)

デイビット・フェイバー:── 「永続的な即応性環境で人々が集える場所。いまあるソーシャルプラットフォームを混ぜたようなものになる、しかも没入できる環境になると、ぼくはそう思う」だそうだ。これならわかる。ホロデッキだ。

ジム・クレイマー:── ホログラムだよ。たとえばですね──

デイビット・フェイバー:── スター・トレックみたいな世界で──

ジム・クレイマー:── 最終的にはね、どこかの部屋に入るとするじゃないですか。ひとりで、ね。で、ちょっと寂しいなとか思ったりするわけです。で、クラシック音楽が好きなんで、入った部屋で最初に会った人に「モーツァルトの交響曲『ハフナー』を演奏するのが好き、『ハフナー』が好きだったりしますか」とか聞くわけですよ。そしたら相手が「『ハフナー』を聞く前にですね、ベートーベンの第九を聞いたことありますか」とか返してくるわけです。ところがですね、実は、この人々、本当のところ存在していないわけです。わかります?

デイビット・フェイバー:わかりますよ。

ジム・クレイマー:それこそがメタバースなわけです。

(中略)

メタバースなどという曖昧なものにビッグテック各社が突然注目したのは、規制逃れが目的なのではないかという見方も報道界にはある。近い将来、プラットフォームが根底からひっくり返るのであれば、かつてないほどの規模と掌握力を誇っている企業を規制で分割しなくとも、自由市場および競争する反体制派企業に任せればいいとなってもおかしくないというわけだ。逆に、ビッグテックに対する独占禁止法違反の調査に規制当局を駆り出すため、反体制派企業がメタバースを使っている構図だという見方もある。

(中略)

前置きはこのくらいにして、そろそろ、具体的にメタバースとはなんぞやという話に入ろう。世の中ではいろいろ言われていて混乱の極みという感じだが、メタバースの歴史が始まったばかりと言えるいまの状況でも、包括的で有用な定義を明確にできると私は思っている。

 私が考えるメタバースとは、以下のとおりである。

リアルタイムにレンダリングされた3D仮想世界をいくつもつなぎ、相互に連携できるようにした大規模ネットワークで、永続的に同期体験ができるもの。ユーザー数は実質無制限であり、かつ、ユーザーは一人ひとり、個としてそこに存在している感覚(センス・オブ・プレゼンス)を有する。また、アイデンティティ、歴史、各種権利、オブジェクト、コミュニケーション、決済などのデータに連続性がある。

 なかなか興味深い。
 この書籍は、紙の本だけで電子ブックがない。近未来のメタバースがテーマなのに、デジタル化されていない書籍という皮肉。英語版では$20.08でKindle版があるが……。電子ブックだったら買うのだが、最近は紙の本はちょっと買う気がしない。
※後日見たら、Kindle版が出ていた。

 メタバースの定義が曖昧なので、取り組んでいる各社によってメタバースの意味合いが異なるのが一番の問題かもしれない。

 引用の最後の部分を太字にしたが、この定義でいくと、メタバースはまだ出現していないということになる。
 それが、現状のメタバースに関して感じる違和感になっている。

 文中にスタートレックのホロデッキの話が出てきたが、「そう、それ!」と同意した。あれは究極のメタバースだね。そういうイメージがあるから、現在のメタバースをチープに感じてしまう。これは技術的な問題でもあるが、ヘッドセットをつけてジャック・インというのは、スマートとはいえない。

 また、「メタバースなどという曖昧なものにビッグテック各社が突然注目したのは、規制逃れが目的なのではないか」というのも裏事情としてあるのかもね。それだけが目的ではないにしろ、そういう意図があるとすれば、メタバースは社会の変革には寄与しないかもしれない。

 前にも書いたが、メタバースが普及する前提として、世界が平和で、安全で、豊かである必要がある。ウクライナ戦争が現在進行中であり、天然ガスを始めとしたエネルギー問題があり、食糧や水の不足問題が国際問題になり、貧富の格差が広がり、人種やイデオロギーの対立で分断が進んでいくと、メタバースなんて悠長なことはやってられない。

 昨晩放送されていたNHKのクローズアップ現代のテーマの、「世界を襲う“水クライシス” 気候変動・異変の現場をゆく」のように、水不足が社会を崩壊させ、国家間の紛争の火種になるのでは、メタバースが世界に普及することにはならないだろう。

 となると、メタバースは金持ちの道楽になってしまうかも。

 楽観的な予想では、メタバースの将来の経済規模は数兆円になるともいわれているが、その前提は「世界が平和で、安全で、豊かである」ことだ。
 しかしながら、その前提は崩れつつある。

 まず、気候変動も含めた社会の安定が喫緊の問題だ。
 メタバースにとって、前途は厳しい。

 

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