欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを越えて | NHK BS1

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 2022年1月1日に放送された番組の再放送。初回放送のときは途中から3分の1くらい見たのだが、今回は録画して全部を見た。
 なかなか示唆に富んだ内容だ。残念なことに、この中で取り上げられたアイデアや提言を、現在の日本の政府・行政や経済界は活かすことができないだろうという絶望感がある。

欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを越えて | NHK BS1

 登場する経済の専門家たちは世界的に著名な方たちらしい。私はそのへんは疎いから知らなかったが。それぞれに思想や理論があり、現状分析や将来の可能性を述べている。

 非常に大雑把なまとめ方をすると、
「資本主義と民主主義の変質と欠陥が露呈しているのが現状」
 ということかな。

 いろいろと共感する発言があったのだが、それは私がブログで書いてきた駄文とほぼ同じことだったからだ(^_^)b
 私はSF的発想で書いているので、論文を書いているわけではない。SF的発想とは演繹的発想でもあるので、もろもろの設定条件から考察すれば同じような結論になるのは必然かもしれない。
 先生方の発言を見ながら、「そうだよねー」と相づちを打っていた。

マシュー・クレイン氏

マシュー・クレイン氏

富裕層とそれ以外の階級闘争

富裕層とそれ以外の階級闘争

 マシュー・クレイン氏は、国同士の経済の軋轢は国家間の問題ではなく、階級間の争いだとし「ある階級の利益は、別の階級の犠牲の上にある」といった。
 平たくいえば、「少数の金持ちが存在できるのは多数の貧乏人がいるから」ということだ。
 それは過去記事の「大金持ちは貧困層があるから存在できる」(2018年10月14日付)で触れた。この記事中で「社会システムの大転換」が必要と書いた。

ルチル・シャルマ氏。

ルチル・シャルマ氏。

 また、ルチル・シャルマ氏は「現在の資本主義は富裕層のための社会主義になっている」ともいっている。ここでいう社会主義とは、少数の富裕層に有利な状況を指しているようで、「平等で公正な社会を目指す思想・運動・体制」という本来の意味合いではない。ロシアや旧ソ連諸国のオリガルヒがその典型だが、日本を含む西側の超富裕層も同等だろう。

 ヨーゼフ・シュンペーター氏(1883年 – 1950年)の言葉として引用されたのが、

ヨーゼフ・シュンペーター氏

ヨーゼフ・シュンペーター氏

 というのは、昨今の状況を予言しているようだ。
 資本主義の恩恵をあまり受けられない中流から貧困層にとっては、「平等で公正な社会」は「今よりマシ」という理想になる。逆に、自分が富裕層の仲間入りをするためには、平等で公正な社会では達成できないともいえる。

 永遠に経済成長し続けなければならないという強迫観念があり、そのためには生産人口と消費人口が増え続けなければならないため、産めよ増やせよと人口も増やし続けなければならない。だから、少子化は資本主義の前提が崩れる原因になる。

 それに異論をとなえるのが、トーマス・セドラチェク氏。
 「資本主義は成長しなくていい」という。

トーマス・セドラチェク氏

トーマス・セドラチェク氏

 セドラチェク氏は、「成長なき資本主義」を提唱していた。
 そんなことが可能なのか?
 氏の発言でなるほどと思ったのは、社会主義と共産主義の違いについてだった。両者は同義のように扱われるが、共産主義国だったチェコ出身の氏には、明確な違いがあるようだ。

 社会主義とは、生産に対する課税操作です。
 生産、消費そして望まないものに課税します。酒、タバコ、ガスには高い税が課されます。炭素税もです。
 一方、教育や芸術、医療には補助金が出ます。

 共産主義とは、財産を共有し自分のお金をどう使うかは中央権力が決めます。
 収入の5%しか自由に使えず、95%の使い道を政府が決める感じです。

 この解説にモヤモヤ感が晴れた気がする。

 ケイト・ラワース氏は、ドーナツ理論を提唱していた。

ケイト・ラワース氏

ケイト・ラワース氏

 ドーナツ理論はドーナツ経済学ともいわれているようだが、詳しくはこちらに
 循環型経済は、日本が目指すべき方向性だと思う。島国で国土は狭く資源も乏しいが、少子化になっているとはいえ人口は多い。人口減少で以前のような経済成長は望めなくなっているからこそ、日本国内で循環できる社会に変えていくのが最善だろう。

 江戸時代は鎖国していたから、外国との貿易は限定的だった。人口が少なかったというのもあるが、江戸時代は循環型経済でやりくりしていたわけだ。資本主義も民主主義もなかった時代ではあったが、経済成長という呪いもなく循環型経済で栄えていた。

 スウェーデンの取り組みが成功例として取り上げられていたが、スウェーデンの人口は約1035万人(2020年)と日本(1億2484万人/2022年2月)の10分の1以下の人口なので、うまくやりくりできているように思う。ちなみに、国土の面積は日本が378,000k㎡で、スウェーデンが528,400k㎡と、日本の方が狭い。

 人口というか人口密度は、経済や生活環境、さらに環境負荷に与える影響は大きい。スウェーデンの人口は、東京都の人口1396万人(2021年)より少ない。いかに東京が人口密集地かがわかる。
 スウェーデンの貧困率は9.3%(2019年)で、日本の貧困率は38.6%(2021年)となっているが、人口の母数が違うので、貧困層の人口は桁違いに日本が多くなる。そこは人口が多いことのデメリットでもある。
 人口が少ないスウェーデンは、CO2の排出量も少なくなる。当然の帰結だ。

 メタバースのことも取り上げられていた。

メタバースは企業の支配下にある。

メタバースは企業の支配下にある。

 ヤニス・バルファキス氏は、

 デジタル空間をうまくコモンズとして確立しない限り、ザッカーバーグ氏によって所有され、私たちは皆ディストピアに生きる情報プロレタリアート、つまり情報農奴として領主に仕えることになるだろう。

 すでに20億人以上がFacebookを使っていることを考えると、人類の大きな一部が、デジタル・コモンズへ足を踏み入れる準備が整ったとも言える。
 ただし、本当の意味でのコモンズではなく、マーク・ザッカーバーグの所有下にある。私たちはそれに大きな拍手を送ったわけだが、こういう反応の仕方については、そろそろ真剣に自己反省した方が良い。

 アメリカでは、今年になって「ビッグテックの文明化」という言い方が流行り始めた。フェイスブックのような企業を、どう規制すべきかという議論だ。もし本気で企業を民主化し、企業の法外な権力を弱めたいなら、所有形態に注目する必要がある。つまり、企業の所有を分割し、民主化するべきだ。

 と、述べていた。
 ある意味、GAFAに代表されるテック企業は、21世紀に誕生した君主でもあるわけだ。ユーザーは利便性と引き換えに個人情報を差し出し、富を吸い上げられる。ひとり当たりの金額は小さくても、全世界70億人から吸い上げれば莫大な富になる。

ヤニス・バルファキス氏

ヤニス・バルファキス氏

 それを、ヤニス・バルファキス氏は「独占資本主義」と呼んだ。

 前にも書いたように思うが、資本主義の限界だけでなく、民主主義の根本的欠陥が顕著になっているのではないか。

 民主主義とは……

  • 人民が主権を持ち、自らの手で、自らのために政治を行う。人民が自らの自由と平等を保障する生き方。
  • 人民が権力を所有するとともに、権力をみずから行使する政治形態。

 ……と、辞書によって表現は微妙に異なる。
 しかし、そのシステムとして選挙で代表者を選び、少数の為政者によって国を支配し国を動かす。これによって少数の権力者を生み出し、権力者は権力を行使して国民を苦しめたり戦争を起こしたりする。
 主権は人民にあるといいながらも、実態はそうはなっていない。
 トランプやプーチンも、形式上は国民から選ばれてトップに立った。独裁者と呼ばれた大統領でも、過程としては選挙で選ばれた場合が多い。

 ひとりの人間に、絶大な権力を与えることが民主主義なんだろうか?
 選挙で得票率が49:51であれば、51%を取った者が勝ちになる。約半数の49%の民意は反映されず、勝者は51%の有権者の代表ということになる。この時点で平等や公平性は崩れる。49%の人々は、不本意な権力者に政治を委ねることになる。
 民主主義ではなく多数派主義と言い換えた方がいいのでは?
 そういう意味では、民主主義はいまだ未完成のシステムといえる。

 この番組に登場した先生方の意見は、理論と方法は違えど、「社会システムの大転換」が必要ということでは共通していた。
 資本主義を改善することで理想に近づけるか、異なる既存のシステムを融合するか、根本的にシステムを変えるか……といった違い。
 少なくとも現状のシステムでは限界に来ているのは間違いない。

 日本の現状はというと……。
 政治家の統一教会絡みが問題になっていて、混迷する経済をどうするのか、コロナ禍の社会をどうするのかといった問題は棚上げだ。
 こんな状況では、日本はますます没落していくだけだ。

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