選手に対する批判と恩恵

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選手に対する批判と恩恵

オリンピックに出るようなスポーツ選手は、エリート中のエリートだ。
個人での出場枠は1種目で数名だから、落選する人の方が多い。期待されながらも、落選した人が悔し涙を流している様子がTVで流れていた。

コロナ禍での開催には、依然として反対意見が多いため、その批判の矛先が選手個人に向かうことが危惧されている。

「叩くんだったらJOCとその会長の私を、あるいは組織委員会を叩いてほしい」山下会長、41年前に自身に届いた手紙についても明かす 【ABEMA TIMES】

 日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は28日の会見で、アスリートたちへの批判について次のように苦言を呈した。

「正直言って、選手たちは国民やマスコミからの批判、怒りの的になることを非常に恐れている。

(中略)

一部の選手には、私のとき同様に、心ないメッセージが届いている。この場を借りてお願いしたいが、選手たちにそういう働きかけをするのはやめていただきたい。叩くんだったらJOCとその会長の私を、あるいは組織委員会を叩いてほしい。

元オリンピアンでメダリストの山下氏の言い分は、わからないでもない。
しかし、いまいちスッキリしないんだ。

好意的な応援メッセージは歓迎だけど、批判的なメッセージは受けつけない。
そういっているように思える。
それは選手側の身勝手なのではないか?

競技によって選手の立場はいろいろだろうが、プロ化したスポーツだけでなく、競技としてはプロ化していないがスポンサーがついている個人もいる。そういう意味では、オリンピックはプロスポーツ選手の祭典にもなっていると思う。

スポーツをすることで収入を得ている、あるいは援助してもらっている……となれば、選手はスポーツが職業なわけだ。
オリンピックがアマチュアのための大会だったのは遠い過去の話。
日本においては、アマチュアスポーツと呼べるのは、高校生の大会までだろう。それでも、高校野球は商業イベント化しているが。

アスリートが職業であると考えると、企業に属する社員であったり、個人事業主であったりする。
広告塔でもある選手は、企業ロゴをつけた営業マンともいえる。
ある選手個人は、単なる個人ではなく、ある企業の顔にもなっている。
それが職業としてのアスリートだろう。

オリンピアンは選ばれし者たちだ。
ヒーローあるいはヒロインになるべくして、難関を乗り越えてきた。
彼らは晴れの舞台でメダルを取れば、称賛と名声と報酬を手に入れる。
メダリストは、新たなスポンサーがついたり、引退後の指導者の道が開けたり、知名度を活かして議員になる者がいたりする。
それらは努力に対する正当な恩恵だ。

だが、ここで引っかかるんだ。
選手に対する批判は拒否するが、称賛と名声と報酬は選手個人に与える。
クレームは一切受けつけないが、応援はして欲しいし、恩恵は受け取る。
なんか、モヤモヤする……。

JOCや組織委員会に文句を言っても、無視するだけじゃないか。
それは無駄だとわかるから、注目を集める選手がターゲットにされる。
個人攻撃はすべきではないと思うが、山下会長よりも現役の有名選手の方が身近に感じるし、影響力もあると錯覚してしまう。

小中学校の運動会では、ただ一生懸命に走ればいいだけだ。子供なんだから。
だが、職業アスリートは、ただ走ること(競技すること)だけ考えていればいいのかどうか?
もう子供じゃないんだし(10代の選手もいるが)、社会人の一員として、オリンピックに深く関わる問題……今回はコロナ禍での開催について、口を閉ざすのはどうなのか?
それでは答えをはぐらかす菅政権と同じではないか?

オリンピックに関する論調は、どこかスポーツを神聖視していて、アスリートを美化しすぎているように思う。
それが、「オリンピックは特別」という扱いになっている。
その特別扱いが、批判したくなる一因じゃないかな。

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