東京五輪開催是非について口を閉ざすアスリートに疑問

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三度目の緊急事態宣言は予想通りに延長されることになりそうだ。
IOCのバッハ対策ともいわれた来日前の解除は無理となり、バッハ会長の来日が延期されるとの憶測も出ている。
世論調査では中止を求める意見が多くなり、欧米のメディアからも五輪中止を求める記事が相次いでいる。
だんだんと外堀が埋められているようだ。

東京五輪ありきの強行施策に「辞退して」池江璃花子らアスリートに向く“矛先” | 週刊女性PRIME

 昨年にコロナ感染拡大の観点から延期となり、7月21日に開会式を予定している「東京2020オリンピック」だが、第4波とされる状況下で国民の多くが開催を疑問視している。4月に共同通信が実施した世論調査では、「中止すべき」と「再延期すべき」が合わせて7割を超えていたのだが、1か月過ぎた今では割合はさらに増加していることも考えられる。

(中略)

池江選手に「辞退」を求め、中止に向けて声を上げるように訴えるリプライがつけられているのだ。いずれも緊急事態宣言発令後の4月下旬から5月上旬にかけて投稿されたもので、ほかにも同じく競泳の瀬戸大也選手や、陸上競技の新谷仁美選手ら特にメディア露出の多い有名アスリートに同様の声が投げかけられている。

アスリートが「辞退」できない現実

五輪競技を取材するスポーツジャーナリストは「アスリートを責めるのはやめてほしい」と擁護する。

「それこそ大半の選手がスポーツに人生をかけています。記録も去ることながら、結果を出すことは彼らの生活にも直結するわけで、特に東京五輪という“晴れ舞台”でメダルを狙える選手、全盛期を迎えている選手は是が非でも出場したいのが本音でしょう。アスリートにとって、五輪でのメダル獲得は人生における大きな目標であることは理解してほしい」

アスリートを責めるのはやめてほしい」という意見だが、それはご都合主義な気がする。

大半の選手がスポーツに人生をかけています」……と、それはわかる。
だが、それは平凡な人生を送っている一般の国民だって、日々の仕事に人生をかけている。仕事がなければ、収入がなければ毎日のご飯だって食べられなくなるし、生きていけない。
その平凡な日常を奪っているのが、新型コロナだ。

オリンピックに出るアスリートは、いわばスポーツのエリートだ。
エリートの人生と平凡な国民の人生を天秤にかけたら、エリートの人生の方が重い……ということなのだろう。
ゆえに、アスリートは優遇される。
まぁ、それはわからないでもないし、格差があるのも現実だ。平凡な人間にはない才能を持ち、並外れた努力の成果としてのアスリートだから、特権を手にする資格はある。
敬意は表するが、平凡な私たちの人生や命を軽く扱わないで欲しい。

オリンピックに出る現役の選手が、五輪の開催の是非について口を開けない事情はわかる。うかつなことをいえば、出場資格を取り消される可能性もある。
元選手の何人かからは「中止すべき」との意見も出ているが、それは自分にとってもはや五輪は直接的に関係はない立場だからだろう。

アスリートが政治的発言をすることの是非が問題になったことがあった。
大坂なおみが「アスリートは政治的発言をするな」の声に怒りの反論
このときは、人種差別に関することだったが、黒人差別への抗議運動「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ=BLM)」と、多くのアスリートが声を上げた。

だが、新型コロナで危機的状況の中、五輪を強行開催することに対して口を閉ざしているのはどうしてなのか?
国民の命よりも五輪が大事になってはいないか?
BLMの抗議の声を上げたのと同様に、
「オリンピックよりも命が大事(Lives are more important than the Olympics.)」
と、声を上げてもいいのではないか?

▼オリンピック開催反対のマークを作った。コピー自由。
オリンピックよりも命が大事(Lives are more important than the Olympics.)

選手が自分の出る五輪に反対できない心情は理解できる。
誰しも、自分の身が一番大事だし、特権は手放したくないものだ。
それでも問いたい。
国民を犠牲にしても、五輪は開催すべきだと思っているのかどうか?

アスリートが政治的発言をすることは、よいと思うし支持する。
であるならば、差別問題と同様に、コロナ禍での五輪開催についての意見も、発言して欲しいと思う。
人生をかけているのなら、なおさらだ。

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