いろんなランキングがあるが、炎上ネタをランキングしているという。
2016年炎上ランキング、「日本死ね」などコメンテーター型が増加|ニュース3面鏡|ダイヤモンド・オンライン
総合ネットセキュリティ企業のイー・ガーディアンが、「2016年炎上ランキング」を発表した。炎上の“火元”が誰だったのか、その属性別の割合でランキングしたものだ。2016年1月1日~11月31日の期間に、特定のまとめサイト、ニュースサイトに掲載された炎上事象557記事より独自調査を実施したという。
「炎上」という言葉の意味(語釈)が、数年前とは変わってきた気がする。
もっぱらネガティブな意味合いの「炎上」だったと思うのだが、話題として盛り上がることも「炎上」に含めるようになっている。
一昔前(ネットでの一昔は数年前)の「祭り」というのが、「炎上」という言葉に置き換わったようだ。
その典型例が、一般人SNS発の「保育園落ちた日本死ね」だった。
記事ではそのことにも触れている。
一方で、先に述べた「日本死ね」のように、個々人の価値観によって意見が異なる事象に対して、「私はこう思う」と自分の意見を伝える、いわば「コメンテーター型」のユーザーが増えてきたようだ。そうすると、単純に投稿数が増えていき、それに対してコメントする人も出てくる……という形で炎上が発生するというわけだ。
「保育園落ちた日本死ね」の場合、ツイートの内容の32%が肯定派で、否定派が13%。単なる興味関心からRTしただけで、特に意見表明していないものが55%あった。肯定派が多いのもコメンテーター型炎上の特徴だ。
この保育園をめぐる一件は、ネット上で話題になっていたときは、野焼き程度の燃え方だったと思う。
それが山全体→日本全体と大規模な山火事になったのは、マスコミが大々的に取り上げたからだろう。マスコミは放水して消火するのではなく、炎にガソリンを大量にぶっかけたようなもの。
世間を騒がせる大炎上の多くは、マスコミが燃料を投下していることで起こっていると思う。ボヤで済むような事例でも、マスコミが煽ることで燃え広がっているのではないか?
なにかのブームの火付け役になるのも、マスコミであることが多い。
ある食材が健康にいいと取り上げると、爆発的に売れてスーパーからその食材が消える。
あるお店が話題になると、異常な行列ができてしまう。
あるアニメやドラマのモデル地が話題になると、聖地巡礼や観光客がどっと押し寄せる。
悪いことばかりではないものの、マスコミは常習の放火犯のごとく、次なるターゲットを狙っている。
国会前で安保法案反対のデモをしていたあのグループも、マスコミが持ち上げたからこそ、一定の影響力を持つことができた。マスコミはある種のお墨付きを与える役割をしている。
結局、大衆はマスコミに踊らせされているのかもしれない。
新聞やテレビの凋落がいわれているものの、まだまだ影響力は大きい。報道機関というよりは、権威機関になっているようにも思う。
ネットから拾ってきた情報を利用して、あたかも自分たちで取材してきたかのように報道することもある。2次利用、3次利用であっても、マスコミが扱うとそこに「権威」が付加される。そして、それが世論であるかのように錯覚する。
炎上に発展する事例には、ネガティブな要素が少なからずあるから、センセーショナルに扇情しやすい。騒ぎが大きくなった方が注目されるため、マスコミも食いつく。
世の中は、スキャンダルや悲劇や怒りばかりなのかと思ってしまう。
現在のマスコミは、主体性や独自性が薄れ、ネットに寄生しているのではないか?
一方で、地味で地道な話題や活動に、光が当たることは少ない。
心温まる話題や、注目されることのないボランティア活動をしている人たちもいる。そうしたポジティブな盛り上がりというのは、少ないながらもある。ただ、「炎上」のように大きな注目を集めることがない。
「炎上」に対する対義語として、ポジティブな盛り上がりを表現する言葉がない。
炎上に参加している人たちというのは、割合としては少数だろう。
しかし、火の勢いを強くすることに加担するため、大きな炎に見えてしまう。
炎上の本質は、実像以上に大きくなってしまっている。
世間はその虚像に惑わされているともいえる。
「ネット文化」というものがあるとするなら、ネガティブ側に偏りすぎていて、バランスを著しく欠いている。
ある意味、現在は「暗黒時代」なのかもしれない。