セカンドライフ…仮想空間に足りないリアルさ

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セカンドライフ

 久々にニュース記事を目にした「セカンドライフ」
 一時期話題にはなったが、それは人気が出て利用者が爆発的に増えた……というわけではなかった。少なくとも日本では。

セカンドライフ「企業利用ゼロ」 土地のレンタル事業大幅縮小 (1/2) : J-CASTニュース

一時ブームになったネット上の3D仮想空間「セカンドライフ」。過疎化が進んだと報じられたこともあり、日本企業の利用はほぼゼロになっている。このあおりで、国内最大のセカンドライフ事業者が、土地のレンタル事業を大幅に縮小させることになった。

(中略)

セカンドライフは、07年初めに日本でも盛んに報道され、ネット上で爆発的なブームになった。京都を模した日本的な街並み「NAGAYA」が人気スポットになり、大手企業も製品PRの仮想店舗を構えたり、仮想社屋を建てて採用活動をしたりした。

(中略)

とはいえ、セカンドライフ自体は、根強いファンがいて、世界的に個人ユーザーは増えていく傾向にあり、リンデン・ラボ社もすでに黒字化を達成したという。日本では現在も、個人ユーザー2~3万人がセカンドライフを利用しており、オンラインゲームなら十分な数だとしている。

 日本で2~3万人という数字が、アカウントの数なのか、アクティブなユーザー数なのかが不明。
 どちらかによって、その数字の意味は大きく違ってくる。
 Twitterですら、5000万アカウントのうち、比較的アクティブなユーザーは21%だということだから、アクティブユーザーの比率は似たようなものだろう。
 3万人というのがアカウント数なら、アクティブなユーザーは6300人しかいないことになる。
 Wikipediaによると……
Second Life – Wikipedia

2009年第1四半期時点で、日本の月間アクティブユーザー数は23,000人である。

 数字はこのへんから取っているだろう。
 アクティブの線引きがこれまた不明。月のうち、1度でもアクセスした人をカウントしているのか、月間を通してアクセスしている数なのか?
 いずれにしても、規模としては小さい。

 話題になり始めた頃、参加してみようかとも思ったが、なんだか敷居が高くて結局参加はしなかった。当初、旧MAC環境には対応していなかったからだ。
 仮想空間というのが注目され始めた頃でもあるから、その未来性が注目されたのだろう。
 とはいえ、すべてを「仮想」にすることにも限界があるように思う。
 アバターに代表される、仮想のアイテムの数々。リアルさをある程度は表現しているものの、マシンの処理能力の限界、操作性の限界、平面ディスプレイという2次元でしか表現できない限界……等々、仮想空間は自由なようでじつは制約が多い。
 仮想のアイテムに対して現実の金を払うという陳腐さ。一般的なRPGゲームのように、モンスターを倒してお金が出てくるというわけではない。仮想空間内のお金を、現実のお金に換金できるという理不尽さ。
 セカンドライフの矛盾というか歪んでいるところは、現実と仮想空間が異質でありながらも、経済に関して密接に絡みあっているところかもしれない。
 あえていえば、現実と仮想空間は切り離されている方がいい気がする。
 利用料を払うという現実との接点はしかたないとしても、仮想空間内の経済は仮想空間内で完結した方がベターではないだろうか?

 仮想空間は「嘘」の世界だ。
 ユーザーは本当の自分の姿をさらすのではなく、架空の自分、嘘の自分を身にまとう。
 街も嘘、そこにいる人たちも嘘、服を買ったり土地を買っても全部嘘。
 その嘘を楽しむのが仮想空間でもあるが、嘘がまったくの嘘ではないところにお金が絡む。
 嘘で作り上げられた世界は、どこかむなしい。
 見た目がリアルになっても、嘘の上塗りにしかならない。
 とはいえ、現在の仮想空間は「中途半端な嘘」だ。
 嘘だとわかってしまう嘘。
 MATRIXのネオがいた世界のように、現実と区別がつかない嘘ではない。

 結局のところ、現実世界も脳の作り出したイメージの世界だから、バーチャルではある。見えているもの、聞こえているもの、触れるものの情報は、体のセンサーから送られた信号を脳が処理して「現実」として認識する。
 そこにはわずかなタイムラグがあり、今、見ているものは数十~数百ミリセカンド過去の映像を見ている。脳は予測することで、このタイムラグを埋めている。
 だが、そのことを意識することはない。
 意識することのないバーチャルが「現実」という言い方もできる。
 仮想空間が嘘であると認識できる世界は、リアルさが足りない世界。
 嘘につきあうのは、最初のうちは面白いかもしれないが、だんだんと飽きてくる。雲をつかむような嘘よりも、思い通りにはいかなくても現実の方が面白かったりもする。

 Twitterの人気は、基本的に文字だけの限定情報ではあるが、現実との接点が多いからだろう。しかも、Twitter内ではお金のやりとりが発生しない。金儲けはできないが、大損することもない。
 人はネットを活用しながらも、どこかで現実との接点を求めている。
 架空の街で架空の人格とデートするよりも、現実の街で現実の彼氏彼女とデートする方が何倍も面白いのだ。
 仮想空間でなんでもできてしまう……というのは、じつはなんにもできていないことと同義なのだと思う。
 ただ、現実の金銭の授受だけはできてしまうことが、歪みの原因なのだろう。

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