メタバースは2023年が分岐点と予測される

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 私と同じような予想をしている記事があった。
 まぁ、そうなるよね。昨年のメタバース熱気は、どこにいったんだろう(^_^)b

「メタバースは2023年が分岐点」 NRIがIT未来予測 – 日本経済新聞

NRI

NRIの城田真琴DX生産革新本部プリンシパル・アナリストは「メタバースは今年が分岐点になる」と断言する。「一昨年のフェイスブックの社名変更をピークにメタバースは、注目度が少しずつ下がっている。30年に向かって本当に普及するのかを占う意味でも、(23年は)非常に重要な年とみている」(城田氏)

(中略)

一方で幸田氏はメタバース活用の課題として、SNSと同様にレピュテーション(評判)リスクへの備えや、グローバルで容易につながれるため各国の法律への準拠、仮想空間内での商取引などを巡る法律やルールの整備が必要である点などを挙げた。「コンシューマー向けビジネスの本格普及には課題が多く、企業内活用が先行して進むとみている」(幸田氏)とした。

 前エントリで、

オワコン感が高まるメタバース? – 諌山裕の仕事部屋

数年後、どうなっているかと過去記事に書いていたが、年内(2023年)でどうなるかという瀬戸際かもしれないね。

 と、書いたが、上記の記事は私と同意見のようだ。
 だが、それでもまだ希望を捨ててなくて、方向性を考えようと提案している。

 メガヒットの期待は薄れたが、ニッチな分野でメタバース的な利用が進むのは間違いない。しかし、それをメタバースと呼ぶのは少々違う気がする。ただ単にVRあるいはARでいいのではないかな。遠隔操作が主体なので、RC(リモート・コントロール)の方が適切な気はするが。

 関連記事として、次のものがあった。

「過度な期待」の反動、メタバースは「幻滅期」を乗り越えられるか? | JDIR

「当社の事業の全てを包括する社名が必要になってくる」

 2021年10月28日、米フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOがメタへの社名変更を高らかに宣言し、社運を賭けて、まさに鳴り物入りで巨大な仮想空間・メタバースの事業に参入した。

 当時驚いたのはその桁外れの投資額だ。ザッカーバーグは2021年12月期だけで100億ドル(約1兆3400万円)もの投資をすると話し、10億人のユーザー獲得(これもフェイスブックの約3分の1規模だ!)に向けて今後5~10年間は莫大とも言える投資を継続すると大風呂敷を広げた。

 案の定、悪い予感は的中し、この宣言の後、メタの業績はダウントレンドが続く。景気後退と規制強化で経営の屋台骨である広告収入が減少、株価は昨年末には3分の1程度にまで急落した(現在は2分の1程度まで持ち直してきている)。

(中略)

 メタが構想するホライゾンワールドの世界観を擬似体験的に触れることができるクールな映像資料がある。2018年4月に公開されたSF映画『レディ・プレイヤー1』(スティーブン・スピルバーグ監督/ワーナーブラザーズ)だ。

 近未来、誰もがSNSを利用するような感覚で毎日、バーチャル空間に入り浸り、ゲームや会話など非日常的な没入体験を繰り返す。映像の演出として出演者の3次元の立体的な感覚がもたらすリアルで生身の人間のような身体性と、それとは逆の価値観であるアバター(分身)をまとう変身性のギャップが興味深い。

(中略)

「過度な期待」のピーク期の反動は大きい。失敗が続き、実験や実装で一向に効果が出ないと人々の関心は薄れ、テクノロジーの創造者たちは淘汰・再編される運命にある。これが今、メタを筆頭にメタバース業界に暗く厚く垂れ込めている「幻滅期」だ。

しかし「幻滅期」の後にはV字回復のきっかけとなる「啓発期」が訪れる。テクノロジーが企業にどのようなメリットをもたらすのかを示す具体的な事例がぽつぽつと増え始め、第2世代、第3世代の製品が登場、投資も増える。さらに最終的に多くの企業の主流採用が始まる「生産性の安定期」に入ると、テクノロジーの適用可能な範囲と関連性が広がり、投資は確実に回収されるようになる。これらが「ハイプ・サイクル」の山あり谷ありのシナリオである。

「ハイプ・サイクル」の概念図(出典:ガートナーのウェブサイト)

「ハイプ・サイクル」の概念図(出典:ガートナーのウェブサイト)

(中略)

 繰り返しになるが、リアルとバーチャルが相互に作用し合い、シームレスになった時に生まれる体験の中にこそ、その真価が発揮される。

 メタバースというテック主導ではなく、人を中心にして期待や想像を超えた感動体験を生み出す方向で発想していけば、メタの業績も、メタバースを活用する人間の将来もより良いものに変わってくるのではないだろうか。

 例として、映画の『レディ・プレイヤー1』を出しているが、いやいや、それいっちゃダメでしょ。あの映画のレベルになるには、技術的な壁が高すぎる。リアルと区別がつかないほどのメタバースが実現するとしたら、ゴーグル型の端末はありえないわけで、未来を描いているようで、じつのところ未来の技術にはなっていないというのが、あの映画のジョークなんだと思う。

映画『レディ・プレイヤー1』予告1

映画『レディ・プレイヤー1』予告1

 幻滅期から啓発期へ……というのも、希望を捨てていない考えだね。
 メタバースという基本概念そのものは消えないだろうけど、メタバースの定義は変わる。定義が変わると、呼び名も変わりそうだけどね。
 『レディ・プレイヤー1』もそうだけど、『ソードアート・オンライン』でいうところの「フルダイブ」のメタバースの実現には、ゴーグル型デバイスでは無理がある。
 ゴーグル型ではない、もっと革新的な技術の登場なくして、真のメタバースの到来はないのではないか。

 いまはまだ実現していない、ゴーグルを必要としない没入感のあるデバイスの登場が、未来のVR世界を可能にする。
 これまたよく例に出される、「スタートレック」のホロデッキのような技術だ。
 そんな技術が出てくるには……数十年では足りないかもしれない。

 真のメタバース……その呼び名は変わるだろう……の未来は遠い。

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