AI関連のコラム。
この記事は、私が思っていることに近かった。
記者の眼 – 人工知能がデザイン思考すると、人間は居場所や逃げ場所を失う:ITpro
そもそも私は、AIについては過小評価することにしている。というか、この手の話は喧伝されていることをディスカウントして聞いておくに限る。まして「AIやロボットが人間の取って代わる」などと大騒ぎするのは愚の骨頂と思っている。
(中略)
そうは行っても、他のものよりもAIは、多くの人に期待や不安を抱かせるのは事実だ。なんせ人工知能だ。AIが進化することで、知性を持つロボットが誕生するかもしれない。相手が機械や単なる情報システムなら、「単純な作業は機械に任せて、人間はもっと付加価値の高い知的労働へシフトすべきだ」との“正論”で安心することもできるが、AIはその「付加価値の高い知的労働」を代替してしまう恐れもある。
(中略)
なんせアルファ碁はディープラーニングの仕組みによるAIである。だから、プロ棋士が驚愕するどんなに凄い勝負手であっても、あるいは信じられないような悪手であっても、アルファ碁がなぜそんな手を打ったのか、誰にも分からない(関連記事: AlphaGoの「圧勝」から見えた、ディープラーニングの強みと課題)。ひょっとしたら、人間の「ひらめいた」と同じようなメカニズムかもしれないわけだ。
そもそも論として、現在のAI(Artificial Intelligence)を「人工知能」と名付けていることに問題があるように思う。
つまり、「知能」の定義の問題。
人間の棋士と対戦したAlphaGoは、対等だったわけではなく、かなりズルをして勝っている。
プロ棋士はずば抜けた記憶力と先を読む能力も高いが、AlphaGoの記憶力はほぼ無限大に拡張可能だし、差し手をシミュレーションする演算速度はマシンのスペック次第で瞬時に何億通り、何兆通りも可能だ。碁に特化したAlphaGoは、碁に関してだけは人間の処理能力を桁違いに上回っている。
たとえるなら、自転車に乗った競輪選手と、ランボルギーニ・アヴェンタドール LP 700-4が競争して、どっちが勝つか?……というようなものだ。
物量とパワーで勝るAlphaGoが勝つのは、当たり前ではある。もちろん、それを可能にしたプログラムとディープラーニングを開発したのは素晴らしい。しかし、人間と条件を同じにするのなら、対戦者の体重が60kgであれば、AlphaGoもマシン重量を60kg内に収めるというような条件をつけなければ、対等にはならない。
AlphaGoが稼動しているGoogle Cloud Platformは、巨大なサーバー群で構成されている。
Google Launches iOS And Android Apps To Help Developers Manage Their Cloud Platform Resources On The Go | Tech News +
この画像は、その一部だ。人間と比較すれば、巨人みたいなもの。
人間の脳の記憶容量についての最新研究では……
人間の脳は考えられていたよりも10倍(1ぺタバイト)記憶できることが判明!
同研究チームがライフサイエンス誌「eLife」で発表した論文によれば、脳神経細胞の結合部であるシナプスのサイズを測ることで記憶容量を測定することに成功したという。平均的なシナプスは4.7ビット(0.5875バイト)の記憶容量があるということで、脳全体では約1ペタバイト(1,024テラバイト)の情報の記憶が可能であるということだ。
(中略)
一般成人の起床時の脳は20ワットのエネルギーしか消費していないという。最新型のLED蛍光灯1本分といったところだ。
……ということだが、1ペタバイトの容量というのは理論値というか脳の全部を記憶装置と仮定した場合だね。実際には、覚えられることには限度があるし、思い出すのにも限度がある。コンピュータのHDDやメモリは意図的に消さない限り消えないデータとして記録されるが、脳の記憶は時間の経過と共に変質する情報だ。実質的に有効な記憶容量は、MBかGB単位だろう。
文庫本1冊の内容を、コンピュータなら一字一句間違わずに記憶できるが、人間はあらすじくらいしか覚えられない。それは記憶の方法と目的が違うからだ。
半角英数は1バイト文字で、日本語文字は2バイト文字として定義されている。単行本1冊は、だいたい200000字くらいなので、400000バイト。
1MBは1048576バイトだから、400000バイトは約0.38MBになる。
普通の人は、単行本1冊をまるまる全部記憶することは無理なので、0.38MBすら記憶できないということもできる。
AlphaGoの記憶容量を1MBで、消費電力を20Wに制限したら、人間には勝てないね(^_^)。意地悪な比較だが、そのくらい不公平な対戦だったということ。
ある問題を「解く」のに、「知能」が必要なのか?
という問いかけに、知能は必ずしも必要ではないと思わせるのが、粘菌を使った実験だ。
粘菌を迷路の入口に置き、ゴールに粘菌の餌となるものを置く。粘菌は餌を得ようと移動を開始し、迷路の中をさまようが、最終的にはゴールに辿り着く。時間はかかるが「正解」を導く。
Research ─ 研究を通して ─:粘菌に知性はあるか? – JT生命誌研究館
粘菌を迷路に入れると、先ず変形体は迷路内を隈なく這いまわり全体に広がる。ここで迷路内の2箇所に餌を置くと、餌のない袋小路に入った“無駄な”原形質が小さくなっていく。やがて、2箇所をつなぐいくつかの経路だけが残り、そこに太い管が形成される。さらに、これらの経路のうち、最短のものが選ばれ、最終的に一本の太い管が形成される。粘菌はこのようにして迷路問題を解く。最短コースを“計算”できるのだ。しかし、人間と同様、間違った計算をすることもあり、それがいかにも生物らしい。
粘菌は迷路の正解を出したが、では、粘菌には知能や知性があるといえるだろうか?
ここで勘違いしてはいけないのが、粘菌は迷路を解くために「思考」したわけではないということ。ゴールに至る迷路の道の、1つ1つを試していって、最終的にゴールにつながる最短路を残しただけなのだ。粘菌は答を求めたのではなく、餌を求めたのであって、それがたまたま迷路の答だったにすぎない。それを観察する人間は、あたかも粘菌が正解を出すために行動したと解釈している。
現在のAIがやっていることは、基本的に粘菌と同じだ。何万、何億という組み合わせを試して、条件に合う最適解を出力している。粘菌と違ってマイクロ秒単位で計算できるから、瞬時に答を出しているように見える。そのスピードに惑わされて、知能があるように錯覚する。AIは条件を満たす「道」を探し出しているだけなのだ。
「思考」とはなにか?
「知能」とはなにか?
その定義や答が明確でなければ、人工知能が「知能」を持っているとは明言できない。
人間が持っているとされる、「意識」「知能」「知性」「心」といったものは、「脳」の中で発生していることは間違いない。しかし、脳の中でどのようにして発生しているのかは謎だ。脳細胞、シナプス、神経、脳内化学物質などが脳を回路として機能させているが、そのどこで、あるいはどういう過程で「意識」などが発生しているのかはわかっていない。
ペンローズの「量子脳理論」では、意識は量子的な現象として発生していると説く。
現在のノイマン型コンピュータは、0と1のデジタルで計算するため、0でも1でもない量子的な飛躍ができない。
人間の脳は、電気信号と化学反応が複雑に絡みあった、超アナログコンピュータともいえる。脳の計算である「思考」は、0と1というオンオフだけでなく、その中間の状態が無段階にあるようなものだ。そういう意味では、重ね合わせの量子的な計算をしているともいえる。
木村岳史氏の記事中にある「人間のひらめき」は、量子的なものではないか。
人間はミスをする。勘違いをする。何度も失敗をする。それは、量子的な脳であるがゆえではないかと思う。だが、あるミスがきっかけで新しい発見・発明へとつながることもある。
「ひらめき」とは、ときに間違った答を出す脳から生まれる。
与えられた条件下で常に正解を出すコンピュータからは、「ひらめき」は生まれない……ともいえる。コンピュータが誤作動することはあるが、それは求められている結果が出ないから、人間にとっては誤作動なのであって、計算しているコンピュータにとっては、プログラムに従った正解とされる答を出しているに過ぎない。誤作動の原因が、プログラムのバグであったり、部品の不良であったりするが、それはコンピュータの責任ではなく、人間のミスである。コンピュータは、「このコンデンサの調子が悪い」などと自覚はできない。ただ、盲目的に命令を実行するだけだ。そこに「意識」や「思考」はない。
木村氏のいう「デザイン思考」とは、「量子的な思考」でもある。
迷路の例でいえば、粘菌もコンピュータも迷路のルールに定められた方法で、ゴールを探す。だが、量子的な思考をすれば、ルールにとらわれない方法でゴールに辿り着く。壁を壊す、あるいは空を飛ぶ、あるいは途中を無視してゴールに立つ……というように。不確定性原理でいうところの「トンネル効果」とは、通常の古典的物理法則を無視した現象だ。現在のAIには、ルールを無視した計算、プログラムにとらわれない計算はできない。つまり、「ひらめき」という思考の飛躍は計算できないんだ。
「ひらめき」とは、まさにトンネル効果だ。
条件A、条件B、条件Cから得られる答は「D」と、ノイマン型AIが答を出すとする。しかし、人間の脳は、ルールや手順を無視して「Σ」の答を直感したりする。
ある意味、「ひらめき」とはエラーやノイズでもある。
エラーやノイズは、コンピュータにとっては大敵であり、誤作動の原因になる。だから、エラーやノイズは排除する。
だが、人間の脳は、一見間違いであるかのように思えるエラーやノイズに、意味や価値を感じる。芸術や文学などは、正確性に乏しいノイズの産物だ。ある物体を、カメラやレーザーを使って厳密に捉えれば、正確な情報とすることができる。絵画のように筆のタッチで誤差の多い描写をすることは、ノイズの多い間違った情報になる。しかし、人は絵画に美や豊かなイメージを見いだす。抽象的な概念は、脳の曖昧さから発生している。そこには理路整然とした計算があるのではなく、段階を踏まない「ひらめき」がある。
AlphaGoは、碁はできても、それ以外のことはできない。人間は、碁もできるが、夕食の料理をしたり、俳句を詠んだり、絵を描いたり、学んだり、議論したり、人を笑わせたり、宇宙の謎を解明したり、恋をしたり、子供を育てたり、未来を想像したり……と、1つの脳で多様なことができる。これだけ汎用性が高いAIを、現在の技術で作ることは困難だ。
量子コンピュータの開発も、徐々にではあるが進んでいる。人工知能が人間にとってほんとうの脅威になるのは、量子コンピュータ型AIが登場するようになってからだと思う。
それはまぁ、まだだいぶ先の話だから、心配するのは早すぎるよ(笑)。