物語としてのサイバーパンクの世界が、なぜ21世紀の今日に実現していないのかを考察した記事。
これはなかなかよい記事だ。
「やって来なかった未来」、サイバーパンクの魅力 「サイバーパンク2077」をプレイして考えたこと / ITmedia NEWS
一方で、サイバーパンクとは「来なかった未来」を描いた世界でもある。だから2000年以前に生まれている世代にはそれなりになじみがあるが、十代には意外と分かりにくいようだ。
そこでちょっと「来なかった未来」と「今から考えられる未来」の違いを考察してみたいと思う。
サイバーパンクは、コンピュータネットワークと人体改造が発達し、そこにひもづく企業が国の存在を超えて大きくなった社会を描くものであることが多い。
核となる作品群は1980年代から90年代に生まれており、そういう意味では「ネットが活用され始めた初期に作られた概念」という言い方もできる。
(中略)
サイバーパンクでは、人の身体がもっと機械化し、飲食や情報の摂取の形が変わっている。人が生きるために必要なものの供給が、よりテクノロジーによってコントロールされている社会を描いている。そうした世界では、人が生きるために必要なものを供給する企業が、独禁法の枠組みを超えて巨大化し、国よりも上位の存在になっている。
(中略)
大型のIT企業は、情報にしか関われていない。広告の形や売れ方は変わったが、それだけだ。サイバーパンクはエンターテインメントであるが故に、「人間の身体への干渉」をイージーに扱ってきた。しかし実際には、その辺はなかなか難しい。自分の体を把握するため(主に健康目的で)センサーを使う人は増えたが、身体を拡張する目的で身体を拡張する技術はまだ未発達で、そこにひもづく産業も生まれていない。意外とこの辺は、「外部機器対応」は増えても「生死を分けるレベルでの埋め込み」は広がらないんじゃなかろうか。そうすると、人の生活を支えるのは結局食品産業でありエネルギー産業である、という時代が変わらずに続き、「サイバーパンク的メガコープ」の時代は来ない。
(中略)
ITと社会崩壊はびっくりするくらい相性が悪く、「世界が(ケンカしつつも)おおむね平和でないと簡単に崩壊する」のが今の社会である。コロナ禍でも何とかなっているのは、「人的被害がこのくらいで済んでいるから」であり、仮に劇的な症状であったならば、「ITが人々をつないで救う」のも困難になった可能性がある。
別の言い方をすれば、「ITを巡る技術のコアな部分」が見えていなかった時代に描かれたエンターテインメントこそ、サイバーパンクだ。その本質は、西部劇や時代劇と変わりない。
しかし、だからこそ、われわれはあの猥雑な世界に惹かれる。明らかに衛生状態の悪い社会で身体に複雑なメカを埋め込み、大量の広告が高解像度・高輝度ディスプレイに表示され続け、どこかから銃器が供給されている社会。そんな「ありえないタチの悪さ」に飛び込めるからこそ、われわれはサイバーパンクが好きでたまらないのである。
「やって来なかった未来」というのがいいね(^_^)
サイバーパンク以外にも、やってこなかった未来として、宇宙開発がある。20世紀に計画された未来としては、とっくに恒久的な月基地ができていて、火星にも人類が降り立っているはずだった。ようやく、その可能性が見えてきた現在だが、それでも火星はまだまだ遠い。
サイバーパンクの元祖というか、ルーツともいえるのが、ウイリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984年)だった。
電脳世界を描いたSF小説だが、ギブスンはこれをタイプライターで書いた。当の本人は、コンピュータには疎かったという。この時代、コンピュータに詳しい人は限られていた。
この作品を始めとして、サイバーパンク系の作品が、他の作家達によって多く書かれた。
1980年代のことだ。
その時代のコンピュータがどんなだったかを知っている身としては、コンピュータは過大評価されていた。現在のAIが過大評価されているのと同じで、できないことが「できるかもしれない」と幻想を生んでいたのだ。
サイバーパンクは、物語の構造的にはファンタジーである。魔法使いと魔法が、科学技術と電子的なものに置き換えられた。魔法が実在しないことは誰もが知っているが、サイバーパンク的なことは近い将来実現しそうな雰囲気がある。それが現実とサイバーパンクの接点となっていて、「来るかもしれない未来」を想像させる。
しかし、20世紀に描かれた21世紀のサイバーな未来は、実現していない。サイバーパンクは、小説、マンガ、アニメ、映画、ゲームの中だけの世界だ。
レプリカントは街を歩いていないし、草薙素子を誕生させる義体化技術は実現していないし、意識をデータ化することはできていないし、人類を脅かすかもしれない人工知能は出現していない。サイバーパンクの世界のベースとなる重要技術は、ほとんど実現していないのだ。それらのテクノロジーは、21世紀中には無理かもしれない。
「ITと社会崩壊はびっくりするくらい相性が悪い」というのは、鋭い指摘だね。
世界は、まがりなりにも平和で大規模な戦争をしていないからこそ、ネットが世界を結んでいられる。例外的な国もあるにはあるが、アメリカと中国が対立していて仲が悪くても、技術的にも経済的にも相互に依存している。これが戦争状態になったら、IT関連の供給はストップしてしまい、ネットは寸断されるかもしれない。
戦争が起こらなくても、太陽の大きな咳(太陽フレア)が地球を直撃すると、電子社会は突然死する。これはいつ起きてもおかしくない。人工衛星が破壊され、電子機器は故障し、電力も止まり、ネットも不能になる。電気のなかった時代に逆戻りだ。
太陽フレアはちょくちょく発生していて、たまたま地球に向かってきていないだけ。あとは確率の問題で、いつか直撃する太陽フレアが発生する。電気に依存している社会が、突然、電気のない社会になったら、どうなるか……。惨劇には違いない。
サイバーパンクの世界は、期待した未来ではあったが、実現が難しい幻想でもあった。
理由は2つ。
- コンピュータおよびAIを過大評価しすぎた。
- 人間の意識および脳を単純化しすぎた。
電脳世界に没入することで、サイバー世界に入っていくわけだが、そのためには人間の意識をデータ化し、コンピュータの作り出す世界と親和させる必要がある。
しかし、意識は二進法のデータではないし、脳の仕組みはコンピュータのように電気信号だけで機能しているわけではない。まるでフォーマットの違う脳(意識)とコンピュータを、どうやってつなぐのかヒントすらない。首の後ろにプラグを挿せばいい話ではないのだ。
機械部品および電子部品を、人体に取り付けるのも、一筋縄にはいかない。そもそも有機体の人体と金属やプラスチックの人工物は相性が悪い。部品の拒絶反応や腐食なども生じる。部分的に機械化するサイボーグは、現実的ではないともいえる。それよりは、損傷した体の部位をiPS技術等で再生する方が実現性は高い。
「やって来なかった未来」は「来て欲しかった未来」でもある。
サイバーパンクの世界は、物語の中だけの世界だ。
魔法使いと魔法とドラゴンの世界が存在しなかったように、電脳とサイボーグと機械知性も現実になることはないかもしれない。
少なくとも、21世紀中にはやって来ないだろう。
サイボーグ化に関する個人的な意見
サイボーグ化は脳と機械の融合、後神経直結技術は存在するし年々進歩している。
脳だけならブドウ糖と、後タンパク質となんやかんや突っ込めば足りる。(肝臓だけは人工臓器に頼らなければいけない可能性もあるわけだが。)別に意識を機械に移したり脳と機械をナノレベルで融合させる必要はない。視神経をARの容量で動かせばいいだけ。
あと太陽から発せられる電磁波のエネルギーで電子機器が全滅することはまずない。どんだけぶっ飛んだEMPが来ても大企業のサーバーや軍事システムなんかは生き残るし、全ての個人電子機器が壊れるなんてことも起こらない。サイバーパンクを実現しないなんて言ってる割には有り得ない事を持ち出してますね。
あとなんですか18世紀に逆戻りって、ネタですか?w
太陽フレアもしくは太陽嵐について、認識不足のようですね。
以下の記事を参照。
▼(科学の扉)「想定外」を考える スーパーフレアの襲来 電子機器を破壊、世界的大停電も(2017年7月2日の記事)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13014970.html
▼2年前に地球をかすめた太陽風、直撃なら200兆円の被害も(2014年7月28日の記事)
https://www.cnn.co.jp/fringe/35051471.html
あと、ナショジオのドキュメンタリー番組「MISSION TO THE SUN」もオススメです。
Disney+で見られます。