東京と地方の“カルチャーショック”の違い

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Scenery of a Japanese farming village.

Scenery of a Japanese farming village.

 私は九州出身だが、上京したのは20代後半だった。以来、東京で暮らしているが、上京したばかりの頃は、いろいろと「違い」に戸惑ったものだ。
 昔も今も、それはあるようだ。

地方出身者に聞いた!「上京して驚いたこと」ランキング | スーモジャーナル – 住まい・暮らしのニュース・コラムサイト

Q.東京にきたばかりのころに“カルチャーショック”と思ってビックリしたことはなに?(複数選択)

1位:満員電車の密度(51.5%)
2位:電車が来る間隔が短いこと(本数が多い)(46.0%)
3位:家賃が高いこと(43.5%)
4位:どこに行っても人が多いこと(40.1%)
5位:電車が多くて、切符の買い方や乗り継ぎなどが分からなかったこと(35.9%)
6位:今まであたりまえに使っていた言葉が通じなかったこと(方言など)(26.2%)
7位:労働賃金が高いこと(最低時給が高いなど)(24.9%)
8位:高層ビルの多さ(24.5%)
9位:人の歩くスピードが速いこと(24.1%)
10位:スーパーの物価が高いこと(22.4%)

 私の若かりし頃も、ほぼ同じだね。
 「人の歩くスピードが速いこと」というのは、私が一番感じたことだったが、現在よりも昔の方が速かった。昔はケータイなどはなく、通勤時や街を歩くときは、歩くことだけに集中していた。人の流れはもっと速かったのだ。その流れに乗るのに苦労した。
 しかし、現在は人の流れるスピードは遅くなっている。一番の原因は歩きスマホ。ノロノロ歩いている人が前にいると、ほぼ確実に歩きスマホだ。速く歩くことに慣れた私には、最近の人の流れはかなり遅く感じられる。

 上京して住むようになる前に、何度か遊びで来たことはあった。そのときに感じたのは、電車のどれに乗ればいいのかわからなかったこと。路線図や案内板はあるが、それの見方がわからない。まるで迷路のようになっている路線が、どこにどうつながっているのか見当がつかなかったのだ。
 東京に住んでいた友人に連れられて移動したが、自分がいまどこにいるのかわからなかった。来た道を戻ることはできなかった。
 現在は、東京の路線マップが頭に入っているから、目的地に行くためのルートをイメージできる。

 Yahoo!ニュースのコメント欄に以下の書き込みがあった。

逆に東京から地方に移った人たちの驚いたことも知りたい

 私の実家は地方なので、ときどき帰省するのだが、そのときに東京と地方の違いを実感する。

●車がないと、どこにも行けない。
●コンビニが近くにない。
●静か。
●時間の流れがゆっくりに感じられる。
●テレビのチャンネルが少ない。
●街並みがいきなり終わる。
●方言がわからない。
●生鮮食品は美味しい。
●冷蔵庫がデカイ。
●山や海の自然が近い。

 ざっと挙げると、こんなところ。
 私の実家は、県庁所在地の市内だが、中心街から車で30分くらいのところにある。かつては新興団地として活気のあった住宅街だったが、年月と共に住んでいる人たちが高齢化し、建物は老朽化し、さびれてしまった。以前は、団地の中央に大きなショッピングセンターがあったが現在はなくなり、バス路線も廃止され、とても不便な街になっている。
 地方では足として車は必須。買い物に行くのにも車で出かけ、大量に買い込む。数日分~1週間分の食料をまとめて買い、デカイ冷蔵庫にストックする。東京だとスーパーが近いので、その日の食べものは、その都度買える。コンビニも歩いてすぐだから、ちょっとした買い物には困らない。
 23区内だと、自転車を利用することが多い。土地が比較的平坦で、道が整備されているからだが、私の田舎では平坦な市街はわずかで、山が近いから坂が多い。自転車で移動できる範囲は限られる。

 そして、静かなのだ。
 幹線道路からはずれると、車の騒音は聞こえず、人の往来の気配もなくなるため、とにかく静か。
 シーーーーーーーン
 上京前は、そういう環境にいたのだが、長年東京に住んでいると、この静けさが不気味に思える。なんだか孤立しているような錯覚に陥り、不安になってしまうのだ。都会の喧噪は、ときにわずらわしくも感じるが、その環境に慣れてしまうと、それがないことに違和感を覚える。
 帰省先から東京に戻って来て、羽田空港から自宅に帰る道すがら。雑踏のザワザワした空気や、電車の音、あちこちから流れてくる音、音、音……。騒音ではあるのだが、そこにホッとする安心感を感じてしまう。

 静かであることは、時間がゆっくりと流れているような感覚にもなる。
 静か……ということは、周囲の変化が乏しいことでもあるので、時間感覚が長くなってしまう。東京のように絶えず喧騒があると、時計がチクタクチクタクと音を立てるように、時間経過を克明に意識する。そのため、時間が早く流れているように感じる。
 その時間感覚は、生活のリズムにもなるので、「歩くのが速い」とか「歩くのが遅い」といった行動の変化にもなっていると思われる。

 テレビを点けると、東京と地方の違いが如実に出てくる。
 地方は地上波のチャンネル数が少ないから、東京で普段見ている番組がなかったりする。テレビは見るとはなしに点けていることが多いので、ある意味、環境ビデオ的なもの……つまり、日常の背景になっている。地方に行くと、その背景が変わる。
 ローカル局ではローカルなニュースや話題を取り上げるが、それは私の日常とはかけ離れた世界だ。地元の人には当たり前のことでも、東京から来たものには当たり前ではないことなので「ん?」となってしまう。
 そんなとき、「あ、私は東京の人間になってるんだ」と実感する。

 車で移動するのが当然の故郷だが、賑やかな中心街から30分も走ると建物の多い街並みは終わり、閑散とした住宅街からやがて田畑の多い風景に変わる。東京だと街、街、街で建物が途切れない。都市の規模が違うから当たり前ではあるのだが、いかに住んでいる人が多いかということでもある。
 都内を電車で移動する場合、駅と駅の距離が近いから、2つ3つ離れた駅で下車しても徒歩で行ける。電車はトラブルで止まることも多いが、目的地の手前の駅まで動いていれば、徒歩で向かうという手段が使える。
 田舎はそうはいかない。そもそも電車を利用することがほとんどないし、電車に乗るのは遠くに行くときだ。
 九州でも、福岡の博多なんかだと、電車網が発達しているから東京的な移動ができる。仕事で何度か博多には行っているが、街の雰囲気や交通の便などは、けっこう東京ライズされている。

 方言は地方の個性でもあるのだが、長らく故郷を離れていると、方言に違和感を感じるようになってしまう。たまに田舎に帰って、友人達と話す機会があると、方言についていけない。自分も、昔はそんな話し方をしていたのかと再認識する。
 妻は東京生まれの東京育ちなのだが、つきあい始めた頃は言葉の意味が通じないことがよくあった。方言と自覚しないで方言が出てくるので、妻は「えっ?」となってしまう。共通語…あえて東京弁と呼ぼう…で同じ言葉でも、発音のイントネーションが違ったりすると、やっぱり「えっ?」となる。
 今では東京弁に感化されてしまったので、逆に故郷の方言に、私が「えっ?」となってしまう。

 生鮮食品、特に魚介類は故郷の方が美味しい。東京では、日本中の食材、世界の食材が入手可能ではあるが、鮮度という点ではハンデがある。
 私の田舎は、山と海が近く、漁場も近い。肉より魚の方が好きなので、新鮮な魚を食べられるのが、田舎に帰るときの楽しみにもなっている。
 食べものは地域性が強く出る。私と妻とでは、食の環境がぜんぜん違っていたから、料理の種類や「味」の好みが違っていた。
 食卓には欠かせない醤油やソースなども、スーパーの品揃えはかなり違う。私にとっての醤油と、妻にとっての醤油は、まるで違う味だった。私が慣れ親しんだ醤油やソースは、東京のスーパーでは売っていないので、製造元から通販で取り寄せる。料理はほぼ100%私が作るが、現在では互いに歩みよった味に落ち着いた。

 東京と地方でどっちがいいとかいう話ではなく、違いがあるから面白い。その違いから、発見があったりもする。
 私にとっての東京は、「上京」してきた場所だが、妻にとっては生まれ育った故郷になる。
 アニメの「となりのトトロ」に出てくるような田園風景は、私の子供時代の原風景なのだが、妻にとってはファンタジーだ。だから、同じ作品を見ていても、感じ方、受けとめ方は違う。
 カルチャーショックは、別の視点、新たな視点を提供してくれるきっかけでもあると思う。

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