見たいのは作品でテレビじゃない

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 最近、リアルタイムで地上波テレビを見ることが少なくなった。
 うちはケーブルテレビが入っているので、チャンネルをザッピングしていても、止まるのはケーブルのチャンネルであり、地上波のチャンネルではない。アニメは見ているが、HDDレコーダーに録画してのタイムシフト視聴である。
 なぜ地上波を見ないかといえば、見たいと思う番組がないからだ。話題のドラマなどもあるが、少数の役者を除いて学芸会レベルの演技に白けてしまう。
 ニュースですら、テレビでは見なくなった。久米さんや筑紫さんがニュースキャスターをやっていた頃は、ニュースも面白かったが最近はつまらなくなった。
 ゴールデンタイムにやっているのは、クイズ番組かお笑い系のバラエティばかり。どこのチャンネルでも似たようなことをやっている。
 テレビが面白くない……その理由の背景には、以下のようなことがあるという。
「風が吹くと桶屋が儲かる」を、テレビ局風に言い換えると? – ビジネススタイル – nikkei BPnet

番組全体を「お笑い系」にしてしまう事による製作費削減効果も大きい。海外ロケを敢行する必要も無い。只、舞台のマイクの前で、ネタを披露すれば良いだけで、大がかりなセットを構築する必要も無い。ギャラも安い。
(中略)
こうなればテレビ全体の番組の魅力が失われて、視聴率も低下し、広告収入も減っていくという、マイナスのスパイラルに落ち込むのは目に見えているのだが。

 以前にも書いたが、テレビ局もそろそろ収益を上げる方法を変えなくてはいけない時期だろう。無料で放送して、CM枠を売るという旧来の方法が限界にきている。
 そこにダビング10に代表される権利者団体からの圧力もあり、無料といいつつも実際には課金されることになる。
 番組の質が落ちているのは、テレビに求心力がなくなったためだろう。また、制作を外注することが多くなったために、局内の人材が空洞化したというのもあるようだ。
 ねつ造問題が発生したときに、下請けへの番組制作費が異常に低いことも問題になった。しかし、テレビ局の給料は桁違いに高いままだ。高い給料をもらいながらも、中間マージンをピンハネするだけで、質の高い番組を作らなくなった……そんな構図が浮かぶ。それは民放だけではなく、NHKも同様だろう。

 余談だが、私の親父は地方のテレビ局に勤めていた。私の出身地に最初にできた民放局だった。そのテレビ局を立ち上げるときに、当時新聞社に勤めていた親父が引き抜かれたのだ。
 親父は技術屋として、テレビ番組制作の裏方として働いていた。テレビカメラマンをしたり、中継車で映像のディレクションなどをしていた。小学生の子どもだった私は、よく親父の仕事場に行ったものだ。詳しいことはわからないまでも、テレビ制作の現場を間近に見ていた。
 そんな父親の働く姿に、私は憧れた。私が高校生になったとき、部活として放送部に入ったのは、親父の影響でもあったのだ。余談ついで、結婚する前の母は、父の下で働く、当時としては珍しかった女性技術者だったのだ。

 地方のテレビ局でも、給料は一般的な会社員よりもかなりよかった。
 親父は技術畑ながら役員にまでなった、バリバリに仕事のできる人だった。現場から離れても技術屋魂が抜けなかったのか、人手が足りないときには現場に行って機械をいじっていた。
 親父は根っからの技術屋でありテレビマンだった。地方局が作る番組は、そんなに大がかりなものは作れないが、最大限の努力はしていたと思う。また、地方局ならではの地域密着型の番組を作ることが可能だった時代だ。
 かつてのテレビには、地域の情報集積所や発信基地としての役割があって、いい意味での影響力があったと思う。
 それが今では、視聴率を稼ぐことにしか興味がない、広告媒体になってしまったような気がする。また、CMそのものも面白いものが少なくなったように思う。

 見たいのはテレビではなく「作品」なのだ。

 面白いドラマ、面白いアニメ、面白い映画、面白いドキュメンタリー……等々。1日のうちでテレビを見る時間には限りがある。その時間を有意義に過ごせる作品が見たいのだ。
 もはやテレビは、作品を映し出すディスプレイに過ぎない。地上波のテレビである必要はなく、ケーブルであったりDVDだったりゲーム画面だったりする。
 無料である必要はないのだ。面白い作品であれば、お金を払っても見る。テレビ局は、広告収入ではなく、作品を売って見てもらうという発想に切り替える必要があるのではないだろうか。
 同様のことは新聞にもいえる。紙面の半分くらいが広告というのは、なんなのだ? 新聞を取らなくなって久しいが、たまに理髪店に行って新聞を広げると、広告ばかりの紙面にあきれてしまう。中には怪しげな広告があったりするが、広告が多いということは、広告主に関連する批判的な記事は書けないのではないか?……という邪推をしてしまう。チラシ広告化した新聞に魅力がないのは当たり前だ。新聞は記事を売るものだろうに。新聞離れが進んでいるというのは、新聞の作り方そのものが原因のひとつだと思う。

 テレビもコンテンツの中身で勝負……という時代だと思う。
 かつては、そうだったはずなのだが……。

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