ダビング10の開始が、著作権者とメーカー側との折り合いがつかず、開始のめどが立っていない。
どちらの言い分もわかるのだが、ユーザーの意向というのはまったく反映されていないようだ。
その関連記事。
テレビなどで放送される映画について同協会は、「タイムシフト目的での録画など、一定限度でコピーされることが避けられない」とする一方、「そのコピーが映画製作者に何らのフィードバックの無いまま行なわれることは正当ではない」とする。
タイムシフトでも金を取るのか?
著作権者の気持ちもわからないではないが、少々強欲すぎないだろうか?
地上波の無料放送なら、放映権料を高くすればいいのではないか?
有料放送の場合には、視聴料とタイムシフトでの料金と、二重に課金されることになる。複数回タイムシフトで見れば、その回数分だけ課金なのか?
それを考えると、Blu-rayとして作品を買っても、それを見るたびに課金されることと同等のような気がする。
どうも腑に落ちない。
著作権料というビジネスモデルそのものが、すでに時代に合わなくなっているのだろう。
アプリケーションはオープンソースの時代で、基本的には無料だが収益を上げるためのビジネスモデルは別にある。
古くからの著作権料は、1次販売物から収益を上げるものだった。
書籍がその典型で、新刊は著作者の収益となるが、古本として古本屋に並ぶと著作者への還元はない。これは現行のCDやDVDでも同様だ。
それが現在では、デジタルで劣化のない複製ができるようになり、コピーでもオリジナルと遜色のないものが出回るようになった。
かつてのビデオテープの時代は、アナログのために劣化が著しく、オリジナルの商品価値の方が高かった。そのため私的なコピーは容認され、大きな問題になることはなかった。
技術の進歩が、著作権のあり方を問うことになったのだ。
ある意味、著作権ビジネスは、際限なく利益を上げられる、ネズミ講に似ている。
1次販売物、2次販売物、そのコピー、その孫コピー、その曾孫コピー……と、コピーできるだけ収益を上げよう……というのが、著作権者の求めているものだろう。
普通の生産物では、こういうビジネスモデルは成立しない。
たとえば、農産物。
お米を生産した人が、まず農協に納めて収益を上げる。続いて農協が米の小売店に売ると、その売上げの一部が生産者にも還元される。米を買った料理店の人が、チャーハンとして客に提供すると、そのチャーハンの代金から生産者に還元される。残った残飯を、ゴミ収集業者が回収して堆肥を作り、それを園芸用に売ると、米の生産者に還元される。園芸に使われた堆肥からトマトが実って、それを市場に出すと、米の生産者にも還元される……。
……と、そんなことにはならない。
しかし、著作権料はそういう無限の連鎖が可能でもある。米と違って、形が変わらないにしても、著作者(生産者)が介在せずに、市場を流れていく過程で課金しようということでは似ている。
著作権料を受け取れる人たちは、まだ恵まれている。
アニメの制作現場の末端で働くアニメーターには、そんな恩恵はない。最低賃金の保証もない安い給料で、過酷な労働をするだけなのだ。
書籍などのデザインをする人間にも、著作権料の恩恵はない。本がどんなにベストセラーになっても、デザイナーには無縁だ。その本が売れるための一端を担っているにも関わらず、蚊帳の外なのだ。
儲かるのは、著作権料の権利を有する著作者と会社だけだ。
著作権料ビジネスは、特権ビジネスでもあると思う。
そういう立場になりたいものだ(^_^)。