イケダハヤト氏が高知に移住するという記事がJ-CASTニュースに取り上げられたので、それがYahoo!ニュースのトップにも見出しとなって出ていた。
 イケダ君(年下だから、君でいいよね)の挑発&煽りは大成功……のようだ(笑)

有名プロブロガー・イケダハヤト氏、高知へ移住 「東京で消耗するのが嫌になった」 : J-CASTニュース

イケダさんは2014年6月1日、妻子とともに東京・多摩市を離れ、高知市へ移住するとブログとツイッターで発表した。あわせてサイト名も、それまでの「イケハヤ書店」から「まだ東京で消耗してるの?」という挑発的なものに変更している。

突然の発表をイケダさんは「ぼくが東京で消耗するのがイヤになって、高知県に移住することにしたからです。さようなら東京、こんにちは高知!」と説明し、来週中に東京の自宅を引き払い、7月初旬までに本格的な高知での活動を始めると明かす。

 私は現在、東京都の23区内に住んでいるのだが、出身は九州の田舎。20代半ばまで、田舎……というか地方で生活していた。東京に出てきて恋をし、妻と出会い、結婚して、現在に至るが、東京暮らしは長い。
 数年おきに実家のある田舎に帰省するが、東京と地方のギャップを如実に感じる。
 単に、街や都市の規模が違うというギャップだけではない。
 ネットの存在で、情報格差は私が子どもだった頃に比べれば、ほとんどないといってもいい。ネットがなかった時代は、情報源の多くはテレビや新聞・雑誌のマスメディアだったが、地元にテレビ局がNHKと民放が1局しかなかった頃は、情報格差はかなり大きかった。子どもの頃に見ていたテレビ番組の話を、東京育ちの妻とすると、私の地元では放送されていなかったものが多数あり、共通体験としての昔話ができなかったりする。
 デジタルな情報としては、ネットを介して東京も地方も差違はなく、フラット化されているともいえる。
 地方から情報の発信ができるという意味では、イケダ君の仕事にも支障はないのだと思う。
 ただね、「情報」はデジタル化できるものだけではないんだ。
 私が実家に帰省したときに感じるギャップは、そのへんの感覚だったりする。

 田舎はいいよ。
 うん、それは間違いではない。条件付だけど。
 私が子ども時代を過ごした環境であり、原点であり、郷愁でもある。子ども時代を自然に囲まれた環境で過ごせたのは、私にとって財産になっている。海と山が近かったので、海も山も遊び場だった。子育てをするには、田舎はいいと思う。育った環境が子どもの人格形成に、少なからず影響するからね。

 実家に帰省したときは、最初は懐かしさと馴染みのある風景や空気感に癒やしを感じる。
 だが……
 3日目くらいになると、東京に帰りたくなってしまう(^^;)
 東京暮らしが長くなって、東京の雰囲気というかリズム感で生活するようになってしまったから、田舎ののんびりした生活リズムに心身がうまく合わせられなくなってしまう。
 ある種の禁断症状だと思う。
 禁煙とか禁酒しているときのような、ウズウズと落ち着かない状態に近い。

 私の田舎は、市街地から離れているので、都会的な喧騒から隔離されている。幹線道路もないので、車の行き交う音もしない。
 静かなんだ。
 昔はそれが当たり前だったが、久しぶりに帰省すると、その静けさに不安を感じてしまう。
 夜になると、静かさはより鮮明になる。街明かりは見えないし、街灯も少ないので、深夜になるとあたりは真っ暗。聞こえてくるのは風の音や虫の鳴き声。
 シーーーーーーーン
 ……と、無音のシーンではなく、人の気配がしない静寂の音が五感を満たす。ときどき、風に乗って車のエンジン音が聞こえてくると、ホッとする。住宅街ではあるのだが、それぞれの家庭は近所迷惑になるような騒音を立てるわけではないから、話し声やテレビの音さえ、ほとんど聞こえない。
 24時間営業のコンビニなんて近所にはないから、夜中に出歩く人もいない。東京は眠らない街だが、田舎の街は眠る。そんな夜中に、外をうろうろしていたら、不審者確定だ(笑)。

 東京と田舎の一番の違いは、「リズム感」ではないかと思う。
 言い換えるなら、「時間感覚」かな。
 東京は早いリズム感……つまり、ものごとが早く進展する。デメリットとしては「せわしい」ともいえるのだが、このリズム感に慣れてしまうと、のろのろしているのがうっとうしくなる。
 対して、田舎はリズム感がのんびりしている。時間感覚が2倍とか3倍とかになっているようなもの。渋滞でなかなか前に進まない感覚に近い。東京人が「せっかち」といわれるのは、リズム感の違いのためだろう。
 東京のリズム感のまま田舎に帰ると、まるで水中を歩いているかのような身動きの取れない感覚に陥ってしまう。

 田舎で一番困るのは移動手段だ。
 東京近郊だと電車でどこにでも行けるし、行動範囲は広くなる。
 しかし、私の田舎では、公共交通機関はバスしかない。そのバスも走っている路線と本数が限定的で、現在ではその路線も減ってしまって、実家の近くのバス路線は廃止されたという。
 したがって、車が必須の移動手段になっている。歩いて行ける距離にスーパーマーケットはないので、食料は毎日買い物に行くというわけにもいかず、車で1週間分の食料をまとめて買ってきて、ビッグサイズの冷蔵庫に入れているそうだ。
 私が実家にいたときは、親父の車、弟の車、そして私はバイクに乗っていた。それぞれが別行動することも度々なので、それぞれの移動手段としての車&バイクが必要だった。その維持費やガソリン代はバカにならない。
 東京のように、ちょっと歩けばコンビニに当たる生活をしていると、手軽に買い物ができるありがたみを実感する。

 東京生まれ東京育ちの友人と、話をしているときに出てきたエピソードがある。
 彼いわく。
「この前、家族でキャンプに行ったんだけどさ、自然の中でキャンプするのはいいよね。虫がいなければ、もっとよかったんだけど」
 自然といっても、東京近郊のキャンプ場だという。
「自然なんだから、虫がいるのが当たり前じゃん」
「いや~、オレ、虫が嫌いなんだよね。あれさえなければ最高なんだけど」
「自然に恵まれてるってことは、虫もいるから自然なんだぜ」
 都心に住んでいると、蚊やハエも少ないから、虫がいないのが当たり前の感覚になっているようだ。彼にとっての自然は、美しくて楽しい場所で、不快なことはないものだと思っている。
 自然に囲まれた環境で生活するということは、美しさと同時に危険性とも向き合うことを意味する。裏山が遊び場だった私は、野山を探検したりしていたが、怪我をすることは珍しくなく、不用意に触ってしまった毒性のある草木にかぶれてしまったこともある。蜂に刺されたりダニに噛まれたり、ムカデが服の中に入ってしまったり、いきなりヘビと対峙したり、危ない目によく遭遇した。そうした経験を積んで、危険を回避する術を学んだともいえる。
 最近話題になっている、「マダニにかまれて発症する重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」の感染源となるマダニは、そこらへんの野原に普通にいるので、野原を歩き回ったら噛まれていないかチェックした方がいい。知らない間に噛みついて、ぶら下がっているんだ。
 都会では、自然の危険性は体験できないから、子どもにとってはよい経験になると思う。痛い思いをしないと、危険性は実感できないからね。

 そうそう、台風には注意した方がいいよ。
 東京まで達する台風は、勢力がある程度衰えているが、九州や四国に直撃する台風は、勢力がMAXで来るからね。風や雨は半端ない。
 私の田舎では台風が直撃すると、低地の道路はすぐに冠水して、車もバイクも水しぶきを上げて走っていた。そんなのはいつものことなので、よほどの大災害でない限り、ニュースにはならない。
 昔に比べれば、最近の家は頑丈になっているが、台風の強風と豪雨には注意した方がいいね。住居の立地がどうなっているのか、ハザードマップをチェックしておくのも危機管理だと思う。

 私は東京で暮らしていて、「消耗」しているとあまり感じたことはない。
 しいていえば、朝の通勤電車の混み具合には辟易するが、イケダ君は満員電車とは無縁だったのではないだろうか?
 消耗することはあるかもしれないが、それ以上に刺激になることが多い。
 「眠らない街」であることも刺激のうちだが、電車に乗ってちょっと足を伸ばせば、美味しい食べものはあるし、地方や世界の物品や文化に触れることもできる。東京の街は、それ自体が情報の宝庫で、クリエイターとして吸収すべきものがあふれている。
 都内では電車に乗って30~60分なんて普通のことだけど、距離的には20~30kmの移動になる。田舎だとこの距離を車で走ると、ちょっとした遠出だ。距離よりも時間で距離感を計るのが、東京だともいえる。地方では街はコンパクトというか小さいが、移動手段が車かバイクあるいはバスや徒歩なので、小さな街でも利便性はよくない。そのため、行動半径は狭い範囲になる。

 地方は、良くも悪くも「村社会」だ。
 村社会には、メリットとデメリットがある。
 地域内での人と人とのつながりが強く、助け合いや親睦の度合いが深いのはメリット。共通意識のあるコミュニティを形成しやすいのは、村社会だからでもある。
 デメリットとしては、仲間意識が強すぎると、よそ者や価値観の違うものを受け入れにくくなったりする。村社会にうまく馴染めればいいが、そうではないと村社会の閉鎖性が嫌になるかもしれない。
 また、地方には「方言」が残っているところが少なくないので、方言に馴染めるかどうかも村社会に溶け込めるかどうかのポイントだと思う。
 私の田舎でも、日常会話では方言が随所に出てくるので、たまに帰省すると、方言に面食らうことがある。昔は自分もそうだったのだが、使わなくなって久しいと、逆に違和感を覚えてしまう。旧友たちの集まる同窓会に行くと、周りは方言丸出しの会話なのに、私が標準語だと「こいつ、気取りやがって」みたいにからかわれたりする。方言に馴染むのは、地方に馴染むことのひとつでもあるので、イケダ君も土佐弁をマスターするとよいと思う。

 最後に……
 イケダ君のいう「」は、対象範囲が広くて、「公務員」とか「サラリーマン」とひとくくりにしているのと同等だ。
 私もいちおう、グラフィック・デザイナーであったりフォトグラファーだったりするので、クリエイターの端くれだと思っているが、地方では仕事はしにくいなーというのが実感。
 クライアントの本拠地は多くが東京にあり、打ち合わせやなにかで直接顔を合わせる必要に迫られる。電話だけとかメールだけ、あるいはビデオチャットだけでは、なかなか信頼関係は築きにくい。そこは人間なので、面と向かって相手を知ることで、得られるものは多い。
 地方で悠々自適に仕事ができるクリエイターは、トップクラスのクリエイターだろうね。クリエイターもピンキリで、一流といわれる人は全体の1%にも満たないと思う。99%のクリエイターは、地方に移住したら仕事は激減だろうね。私も含まれる99%のその他大勢のクリエイターは、砂糖に群がる蟻のごとく、東京を始めとした大都市に群がるしかないと思う。

石の上にも三年
 ……ともいうので、せめて3年は頑張ってほしいね。
 3年頑張れたら、永住できるよ。
 地方の人をまきこんでなにかをするのなら、結果をあせらないこと。田舎はのんびりと事が進むからね。東京みたいに、すぐにアウトプットが出てくるわけじゃない。
 気長に。

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