五輪エンブレム問題で、報道メディアが果たせなかった役割

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五輪エンブレム問題で、報道メディアが果たせなかった役割

佐野氏デザインの五輪エンブレム使用中止か?」の続き。

 昨晩のTVニュースは、五輪エンブレム撤回についてで1色だった。
 全局見たわけではないが、NHKがけっこう時間を取り、内容もある程度深かったように思う。
 白紙に戻ったことで一件落着ではなく、もう一度やり直さなくてはいけないわけで、今後はその過程と結果がどうなるかが重要になってくる。

 前エントリでも書いたが、応募資格を限定しない一般公募にして、最終決定は国民の投票によって決めるのが、最適解ではないかと思う。
その方が民主主義だしね。

 国の首相は、国民の直接投票で選べないが、五輪エンブレムは国民の直接投票で選べる。そのくらいの大胆な手法を採れれば、エンブレムの意味合いはまったく違ったものになるのではないか。

 今朝の朝日新聞の社説には……

(社説)五輪エンブレム 失敗繰り返さぬために:朝日新聞デジタル

 ベルギーのデザイナーが自分が制作した劇場ロゴに似ていると主張し、使用差し止めを求める裁判を起こした。これに対して佐野氏は「盗用」を強く否定し、組織委も応募時の「原案」と修正の過程を公表し、それを裏付けようとした。

しかし、その際に示したイメージ画像に写真の無断転用があったことなどが新たに指摘された。佐野氏がデザイン監修をした景品トートバッグの図柄に、第三者の作品を写したものがあったことなども重なり、騒ぎは大きくなる一方だった。

写真や図柄の転用は明らかに佐野氏のミスだ。こうした脇の甘さがエンブレムへの不信を募らせてしまった。多くの人に愛されるのは難しいだろうという使用中止の判断はうなずける。

 経過を追っているだけで、分析らしい分析のない社説だね。
 この社説には「ネット」という言葉が、一度も出てきていない。「指摘された」「騒ぎは大きくなる一方」「エンブレムへの不信」といった展開は、すべてネット上で起こったにもかかわらずだ。まるで、ネットなど存在していないかのように書かれている。

 ネットのない時代であれば、本来、報道メディアが盗作・盗用疑惑を発掘してスクープとして報じているところだろう。だが、報道メディアはネット民が検証した情報を、後追いで報じるだけになった。自ら情報を掘り起こす能力を失ってしまった、ともいえる。ネット民の数と検証にかけた延べ時間は、報道メディアが割ける能力をはるかに凌駕していた。

 報道メディアは、ネット情報のおこぼれに預かる存在に成り下がった。そのことについて、報道メディアは強い危機感を持つ必要があるのではないか?
 STAP細胞のときもそうだったが、疑惑の発信源はネットだった。記者会見などで発信される情報のみを鵜呑みにして報道するのでは、裏の裏の情報までは辿り着けない。佐野氏(とそのスタッフ)も小保方氏も、ネットから素材を拾ってきてコピペしていた。それらは誰にでもアクセスできるもので、根気は必要だろうが特別な能力は必要ない。パクった彼らに拾い出せたものなら、誰にでも拾い出せるものだ。

 コピペ元を発見したネット民は、「これが怪しい」と睨んで、根気よく探したのだろう。画像検索を使って一発で出てくることもあるが、Googleで探せるものにも限度がある。ログインが必要なサイトや、検索エンジンを拒否しているサイトのものは出てこない。そうなると、しらみつぶしに探していく根気戦になる。それは、砂浜にある特長の一致する一粒を探すのに等しい。

 なんの報酬を得ることもなく、なぜそんな労力をつぎ込むのか?
 あるコメンテーターは正義感とか使命感などといっていたが、それはちょっと違うと思う。
 たぶん、「面白い」からだ。一種の宝探し、あるいはゲームの難関をクリアするチャレンジに近い。それを見つけたときの達成感がたまらないのだ。
 ネット情報を利用することで、ニュースとして「売り物」にしてしまう報道メディアは、他人の成果を自らの利益にしているわけで、佐野氏のやった画像流用と同レベルの話ではないだろうか?

 報道メディアは、自前の「ネット部隊」を持つべきかもしれない。常勤の社員でなくても、事があったときに協力してくれる、千人規模くらいの部隊で調査すれば、ある程度の成果は出せるように思う。とはいえ、今の新聞社・テレビ局には、そういう発想自体がないだろうし、実現は難しいだろうけど。

 撤回からまだ1日しか経っていないが、今回の問題を検証する記事もボチボチ出始めている。
 そのひとつが……

五輪エンブレム問題 声あげない業界、陰謀論に憤り 中川淳一郎氏 – withnews(ウィズニュース)

 中川氏が憤るのは、デザイン業界、広告業界から、今回の事態について説明をしようとする目立った動きがなかったことです。

「業界内のつながりでしか生きていないことが見えてしまった。ネットの作法がわからないまま、狭い世界で、身内同士、あるいは、一部のトップクリエーターをありがたがる若者が佐野氏を擁護し、ネットの意見を『素人は黙ってな』的に上から目線でバカにした。そんなところも、ネットで嫌われ、攻撃の対象になってしまった」

(中略)

そんな佐野氏の対応について中川氏は「すぐ、ベルギーに飛ぶべきだった」と主張します。

「盗用を指摘された時点で、ベルギーに行く。劇場立ち会いの元、ドビ氏と話し合って握手をする。そこで写真を撮る。それで、済んでいたかもしれないのに。それをしなかったから劇場の態度が硬化し、ドビ氏もそこに同調する形となった。挙句の果てには『原案』を出す事態に追い込まれ、ヤン・チヒョルト展まで取り沙汰されるハメとなった」。

 擁護していたクリエイターの「エリート感」は、たしかに鼻についたね。実際、エリートだし収入だって多いだろう。たぶん、末端のデザイナーである私の5倍~10倍は稼いでると思うよ(^_^)b

 佐野氏側や組織委員会側から出される釈明に、筋の通った一貫性がなかったことも、粗探しの一因になった。コンセプトをもっともらしく説明しても、後付け感が強く、そのコンセプトでなぜそのデザインなのかの必然性が感じられなかった。「盗作をしたことはない」といった端から、過去作品の盗用が露見したり、「もう出てこない」といったら、さらに過去作品から発掘されてしまったり。少なからずの嘘があったために、発言が信用されなくなった。

 小話をひとつ……

 万引きの常習犯が捕まって、トートバッグの中を検査すると、いろいろと万引きしたものが出てくる。すると、彼の腕にはロレックスの腕時計があった。
「そのロレックスも万引きしたんだろう?」と問うと、
「違う。これは僕のお金で買ったものだ」と反論する。
「ロレックスを買えるようなヤツが、なんで万引きなんかするんだよ。信用できないな」
「そっちのフランスパンは万引きしたが、ロレックスは間違いなく僕が買ったものだ!」
「万引きするヤツが偉そうなこというな」

 まぁ、そういう展開になってしまったのだと思う。

 エンブレムのデザインが、結果として似たものがすでに存在していると判明したとき。
 佐野氏も審査委員の永井氏も、本音では「これはマズイな」と思ったはずだ。そう思う感性がなければ、デザイナーとはいえない。自分のデザインが、既存のものに似てしまうことは、著作権や商標権といった法的な問題以前に、デザイナーとしてのプライドが許さないはずだからだ。まして、盗作ではないと言い張るからには。原案を修正させたのは、似ていることを回避するためだったのではないか。

 マズイとは思ったが、公言はできない。すでに公式発表してしまったから、あとには引けない。それで、コンセプト云々やアルファベットの展開例などを作って、理由づけをした。

 しかし、あれはただの屁理屈でしかなかった。
 あの理屈が通用するのなら、原案だって修正する必要はなかったはずだからだ。
 今後、デザイン界で盗作を疑われるような事例が発生したとき、同じ言い訳が通用することになってしまう。図形の配置がちょっとずれていればいい、コンセプトが違っていればいいという逃げ道を作ってしまった。そういう意味では、悪しき前例になったともいえる。

 マズイと思ったとき、中川氏のいうようにベルギーに飛ぶか、飛ばないまでも電話して話し合いをすればよかった。「偶然似てしまったが、このロゴを使うことを容認して欲しい」といえば、多少の和解金を払う程度で済んでいたかもしれない。

 IOCが認めたものだからという権威を振りかざして、対決姿勢に進んだから事態がこじれてしまった。ベルギーの劇場ロゴが、商標登録されていなかったことで強気に出てしまった。日本の弁護士は、著作権論争では裁判には負けないだろうといっていたが、海外の裁判ではどうなるかはわからない。裁判が長引けば、影響も大きくなる。裁判を起こされる前に、解決することが必要だった。

デザイン業界、広告業界から、今回の事態について説明をしようとする目立った動きがなかった」というのは、自分の立場、利害、今後の仕事に関わってくるからだ。しがらみが多いということ。
 触らぬ神に祟りなし。とばっちりを浴びたくなかったのだろう。

 ネットの反応に敏感なデザイナーもいると思うが、うかつに発言すると、自分の粗探しをされてしまうことを恐れたのかもしれない。程度の差はあっても、パクリやトレースはけっして珍しいことではなく、臑に傷とまではいかなくても、裾に汚れのあるデザイナーは少なくない。
また、

「一部のトップクリエーターに仕事が集中するいびつな状況がある。実際にはチームで取り組んだ仕事が少なくないのに、名前が出るのはトップクリエーターだけ。そして、クリエーターは自分の仕事を『作品』と言ってはばからない。本当は商品を売るための販促物なのに」。

 というのは、デザイン業界に限った話ではなく、ファッション業界、出版業界、音楽業界、写真業界、建築業界……etc. でも同様だろう。格差のピラミッドは、どこの業界でもあり、頂点近くにいるごく一部の人たちが、多くの利益を享受し、底辺にいる人たちが少ない報酬ながらも支えている。普通の会社でも、平社員から社長に至るピラミッド構造になっているわけで、デザイン業界だけが特別なわけでもない。

 私のやったデザインでも、デザイナーとして名前が出るのは上司のAD(Art Director)やCD(Creative Director)だ。ADがまったくタッチしていなくて、「OK」を出しただけでも、デザイナー名はADになる。それが組織に属するデザイナーの宿命だ。私がフリーランスでやっていたときには、私の名前が出ていたけどね。だが、フリーランスで食っていくのは大変なんだ。

 ピラミッド構造をなくすことは不可能だろうが、頂上を目指すチャンスは等しく与えられるべきだろう。当初のエンブレム応募要項のように、敷居を高くして、チャレンジすることそのものを拒絶するから反感を買う。無名のデザイナーが、エンブレム採用の栄誉を受けられてもいいではないか。権威や経歴ではなく、実力と才能でトップに上がれる環境を作っていくことが望まれる。

 報道メディアはパクリ疑惑をスクープすることはできなかったが、今回の問題を検証したり分析したりの取材はすべきだろうね。そして、その内容が問われる。
 往々にして的外れな検証・分析になってしまうので、どこまで掘り下げられるか。
 報道メディアとしての感性や能力が試されると思う。 

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