愛情や愛国心が戦争を起こす?

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愛情や愛国心が戦争を起こす?

Hilary ClarkによるPixabayからの画像

科学ファンのひとりとして、脳科学はとても興味がある。
ロボット関連のエントリでも書いたが、感情、人格、擬人化……といったことも、脳の働きだからだ。

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集団の争いごと……極論すれば「戦争」は、脳の機能に組みこまれている……としたら、違和感を持つ人も少なくないだろう。

人間には「知性」がある、「愛情」がある、「助け合い」もある、「絆」もあるから大丈夫……かというと、じつはそれらの要素が敵対心やナショナリズムの原因になるという。
以下の記事は、いろいろと示唆に富んでいる。

脳とナショナリズムと戦争の意外な関係:日経ビジネスオンライン

中野 あの時の対談ではお話ししなかった、「泥棒洞窟実験」というものがあります(注:泥棒洞窟は地名)。

10~11歳の白人男子で構成する2つの集団を近くの場所でキャンプをさせました。最初の1週間はそれぞれの存在を知らせずに過ごさせる。次の週に、偶然を装って、両集団を引き合わせました。その後、綱引きなどのゲームをして競わせ、お互いの対抗心を煽るように仕向けたのです。

その後、両集団の親睦を図るため、食事を一緒に作って食べたり、花火をしたり、イベントを催したのですが、結果は親睦どころではありませんでした。相手の集団が使うキッチンにゴミを捨てたり、殴り合いのけんかを始めたり、相手の集団の旗を燃やしたり、まるで戦争が勃発したかのような行動が見られたのです。

たった3週間のことですよ。お互い、なんの怨恨もないのに。

(中略)

内集団バイアスにはオキシトシンという脳内物質が影響しています。「幸福ホルモン」と呼ばれることもある物質です。これが働くと、対象に対する愛着が増します。一方で、偏見や妬みが増すネガティブな影響があることも分かっています。

——なるほど。脳の働きはそういう化学物質に影響を受けるのですね。脳科学の醍醐味です。ちなみに、何かを食べるとオキシトシンが増えたりするものでしょうか。

中野 食べ物よりも、スキンシップで増えること分かっています。

——通常は親近感を高めるためのスキンシップが偏見や妬みにつながる可能性がある。なんとも皮肉な話です。内集団バイアスがもたらすメリットが大きいだけに、なんとも悩ましい話ですね。内集団バイアスをなくすことはできないのでしょうか。

中野 残念ながらできません。自分が帰属する集団を大事に思う気持ちは自然なものだからです。家族を愛する気持ちや、“ふるさと”“おらが村”を愛する気持ち――パトリオティズム――を持つのは自然なことです。

(中略)

中野 そうですよね。なので、人間は恋愛をするのです。恋愛というのは知性を麻痺させることです。知性を麻痺させ、合理的な判断力を低下させなければ、ヒトは、種を残すという個体の生存にとって不利益になる行為ができないのです。このことに思い至った時、私は愕然としました。

断片を引用してもわかりにくいと思うので、元記事を参照してほしい。会員制サイトだが、登録は無料。
これらの知見は、ひとつの説ではあるが、ヒントにはなる。

泥棒洞窟実験」のくだりは、近隣の国々との関係を思い浮かべてしまった。反日を煽って、国内情勢をまとめようとするお隣さんは、愛国心を植え付けてきたがゆえに敵愾心も育ててきたんだね。過去の遺恨があるとはいえ、「泥棒洞窟実験」そのものだ。

日本はというと、戦時中はアメリカを敵視して、愛国心を助長してきたから、戦争に突き進んだともいえる。敗戦後は、アメリカを敵視することなく、むしろアメリカに追いつけ追い越せで、アメリカ賛美に走った。また、愛国心を煽るような教育もしてこなかった。政治にあまり関心のない世代が増え、愛国心が希薄になったように思う。
だが、それは平和には必要だったともいえる。愛国心の乏しい、ゆる~い国民だったことが、戦争に突き進むようなナショナリズムには発展しなかった。

大家族から核家族に、さらにひとり暮らしへと、集団の最小単位である家族が解体されたことで、集団としての国も弱体化した。若者が政治に無関心であることが問題にされるが、それは平和的な社会としては良いことだともいえる。むしろ、安保法案を巡って、反対派、賛成派で若者たちが徒党を組むことの方が、「内集団バイアス」を顕現させ、ナショナリズムが成長してしまうとも考えられる。
毒は薬にもなるが、薬が毒になることもあるということだ。

政治家達の言動や行動を見ていて、違和感を感じることがある。
野党は戦争反対を叫びながらも、自分たちの主義主張を通すために、「自民党と戦う」と支持者達を鼓舞する。その「戦う」という闘争心が、戦争の根源でもある。
政争は物理的な暴力を使うのではなく、言論や駆け引きで行う。戦争は武器を使って殺し合いをする。戦い方の手段が違うだけで、自分たちの利益を得るために「戦う」から、本質的な違いはないといっていい。

どちらも「内集団バイアス」や「メタn人協力」に基づいているからだ。
対立勢力の主張は全否定し、自分たちこそが正義だという。与党と野党の対立の構図は、戦争の構図そのものだ。互いの主張の中で、良いところは認め、妥協点を探ることはしない。クーデターが簡単に起こるような政情不安の国であれば、この対立はクーデターに発展しているだろう。

幸いにもクーデターが起きないのは、政治に無関心、あるいはそれほど関心がない人が多くいるためだ。安倍政権に対する反対運動が起こってはいるものの、全体から見れば少数派だ。テレビではデモ隊の部分を見せているだけだから、あたかも大規模なデモのように錯覚するが、実際には局所的な現象でしかない。
霞ヶ関周辺は、通勤時間帯を除けば、ふだんから人通りが少ない場所であり、デモ隊が数百人~数千人は集まれるスペースがある。しかし、主催者側発表の数万人というのは誇張しすぎ。

デモ隊が気勢を上げているときでも、新宿や渋谷ではいつもどおりの人混みだ。大多数の人々は、反対運動にはさほど興味がない。関わりたくないというのが本音かもしれない。その無関心こそが、平和でいられることなのではと思ってしまう。

反対派の人たちは、安倍政権を「敵」に見立て、打倒自民党を叫ぶ。
これも「メタn人協力」だろう。
安保法案反対、戦争反対、徴兵制反対……と声高に主張することで、ひとつの集団を形成しているわけだが、この行動・手法は、戦争に突き進むときの世相背景と同じだ。
違いは「敵」が誰であるか、イデオロギーが何であるかだ。

日本は民間人が銃を所持できないから、デモをするくらいで収まっているが、銃を自由に持てる国であれば、武力衝突になっていても不思議ではない。中東のISは、その典型だ。
反対派がヒストリックに「戦争反対!」とシュプレヒコールを上げているのを見ると、強烈に危機感を覚える。そのやり方では、かえって逆効果ではないかと思うからだ。そこには、強い意志とともに、敵意や嫌悪、一方的な正義感がある。それはナショナリズムの芽でもある。

引用記事の後半では、親子の愛情表現であるスキンシップが、偏見や妬みを生むという。
愛情をたっぷりと注げば、平和で平等で偏見や差別のない社会になるかというと、そうではないらしい。これには異を唱える人が多そうだが、愛情と憎悪は表裏一体ということだね。

人間には「知性」があり「理性」があり「心」があり「魂」がある……ともいうが、じつのところそれらは仮想的な概念だ。
すべては、「脳」の機能でしかない。
脳内の化学物質や神経細胞の電気的な反応の結果……つまり、脳の性能そのもの。
「心」あるいは「魂」が、普遍的なものとして人間の中にあるのなら、認知症やアルツハイマーで脳機能が低下しても、「心」は保持されるはずだ。しかし、認知症になれば、人が変わったようになってしまう。

人は自らの「意志」で、自身の人格を形成しているように思っているが、それすらも脳内化学物質によって左右される。陽気になったり鬱になったりするのも、脳内環境の変化によるもの。
脳細胞が壊れると、自分自身の心も壊れる。そして、壊れていることを自覚もできない。なぜなら、脳が壊れているから。

母親達が「戦争反対、徴兵制反対」と、愛する我が子を守ろうとする愛情は素晴らしいことだが、その愛情が偏見や妬みといったネガティブな要素も同時に育み、愛国心が戦争を引き起こすとしたら、いったいどうすればいいのだろうか?

集団を形成すると「内集団バイアス」が働き、政治的な集団である政党は、より政治色の強い「内集団バイアス」が働く。
ひとつの方法としては、政党政治をやめることかもね。選挙は基本的に立候補した個人を選ぶが、結果としては政党を選ぶことになっている。そして、政党が国の方向を決めてしまう。議決するときには、政党の議員数で始めから結果が決まっている。そんなのは民主主義とは違う気がする。

いずれにしても、現状の選挙制度、政治のシステムから、変えたいと思ったら政権を変えるしかない。
次の総選挙で、国民はどういう選択をするか……だね。

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