NHKスペシャル「風の電話」を見て

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 仕事から帰宅するのは、だいたい夜8時30分ころ。
 最寄り駅を下車して、駅前のスーパーに立ち寄り、並んでいる食材を見ながら夕食のメニューを考える。時間的に遅いため、売り切れた食材や安くなっている食材があるので、それによってメニューが変わる。主夫でもあるので、料理は私が作る。
 妻は料理が苦手……というよりできないが、炊飯だけはしてくれる。米をといで、炊飯器にセットするだけだからだ。
 帰宅すると、さっそく料理を始める。
 キャベツのオリーブオイル炒めと、同じくオリーブオイルを使った鶏の竜田揚げ、ナメコの味噌汁。
 料理ができあがる頃に、9時のNHKニュースが始まる。

 毎日のニュースで取り上げられる話題は、大部分が暗いニュースばかりだ。事件、事故、災害、悲劇、世界情勢……etc。「ニュース」の意味を変えた方がいいんじゃないかと思うほどに、暗い話が続く。明るいニュースがないわけではないが、その明るさが相当に明るくないと、ピックアップの対象にならないらしい。暗いニュースは、人の生死に関連することが多く、「悲しみ」や「涙」あるいは「怒り」をともなうからインパクトが強くなる。

 人々は「」に敏感なんだ。

 トップニュースは、誤認された万引きを苦に自殺した中学生の事件。
 ひどい話だ。
 「指導死」という造語まで出ている。
 学校という閉鎖環境は、ブラック企業の体質と似たところがある。大人の教師と子どもの生徒の関係は、強力な上下関係でありパワハラが内在している。生徒は先生に逆らえず、逆らえば問題児扱いされる。言うことを聞く生徒はよい生徒、言うことを聞かない生徒は悪い生徒と評価される。
 御しやすいよい生徒に対しては、先生もやさしく接するだろうが、問題児に対しては厳しくあたる。生徒同士のイジメが問題になることもあるが、その背景には教師と生徒との関係が遠因にあるように思う。子どもは大人の言動や行動を真似するからだ。良いことも悪いことも、身近にいる大人(または年上の子ども)から学ぶ。

 あるコメンテーターが、「もっと愛情があれば」というようなコメントをしていたが、必要なのは愛情ではなくて、公正な「ジャッジ」なのではと思う。サッカーの審判のようなジャッジだ。教師も人間だから、何十人もいる生徒全員に好感をもてるわけではない。好き嫌いがあるのは当然だし、好感をもてない相手に愛情など注げない。むしろ、愛情という感情は公正なジャッジの邪魔になる。
 公正なジャッジを可能とするための、ルール作り、評価基準、事実確認の徹底などを明確にする必要がありそう。

 ……と、本題はここから。

 ニュースに続いてのNHKスペシャル。
 なにがテーマなのか知らずに、なにげなく見始めた。

 「風の電話」?……って、なに?

 知らなかった。
 テレビで取り上げるのは初めてではないようだが……、知らなかった。

 見ていて……
 涙があふれてきた……

 つらいな……
 こういうのは……

NHKスペシャル | 風の電話  ~残された人々の声~

 津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町。海を見下ろす高台の庭園に、不思議なたたずまいの電話ボックスがある。その名は「風の電話」。中にあるのは、線のつながっていない黒電話と1冊のノート。亡くなった、あるいは行方不明になった家族や友人ともう一度言葉を交わしたいと願う人々がここで受話器を握り「会話」をする。震災直後、地元の人が「遺族と故人が心を通わせる場が必要」と設置したのが始まり。ノートにはすでに訪れた無数の人の思いが綴られている。東日本大震災からもうすぐ5年。復興が徐々に進んでも、大切な人を失いなかなか前に進めずにいる人たちが数多くいる。口に出すことのできない思いを抱える人たちにとって風の電話は大切な支えになっている。
 番組では電話ボックスに密着。そこに通う人たちは、この5年間、どのような日々を生きてきたのか。そして、節目となる年をむかえ、受話器の向こうの大切な人に何を伝えて次の一歩を踏み出すのか。海辺に建つ小さな電話ボックスを通して、被災地に生きる人びとの喪失と再生の5年間を見つめる。

NHKスペシャル「風の電話」

 ずっと涙が流れっぱなしだった。
 ティッシュを何枚も濡らした。

 カメラは「風の電話」を訪れる人たちを、淡々と追う。
 下手にあおることなく、ただ、ただ、淡々と……

 断片的な一方通行の電話の中に、それぞれのドラマが見える。
 つらいな……
 見ているのがつらい。
 でも、見入ってしまう。

 社会問題をテーマとしたドキュメンタリーとしては、今年のベストワンといってもいいと思う。まだ3月だけど、これほど心に響く番組は、そうそうあるものじゃない。
 番組のシーンで一番印象に残ったのは、たまたま現場近くにいて被災したトラック運転手の家族。残された母子は、青森県から「風の電話」を訪れる。
 3人兄妹のうちの妹は、父のことはまったく話さなかったという。
 妹は「風の電話」の電話を取り、嗚咽を漏らしながら父親に話しかける。
 呼びかけても、返ってくることのない返事。
 過ぎた時間……
 止まった時間……
 これから歩いていく時間……
 流した涙は、笑顔の栄養分になっていく……と、信じたい。
 
 今朝、この番組のシーンが夢に出てきて、目が覚めた。
 朝の5時。
 頭にこびりついて離れなかった。
 それで、これを書きはじめた。

「なんで今日は早起きなの?」
 妻がいった。
「いや、別に。目が覚めちゃったんだよ」
 私には彼女がいてくれる。その幸せを噛みしめる。

 震災という大災害でなくても、事件・事故・病気などで、身近な家族、恋人、友人を亡くした人は多いと思う。たいていの人が、葬式に出席したことはあるはずだ。
 私にとっては、じいちゃん、ばあちゃん、同郷の親友、社会人になったときに私のスーツを仕立ててくれたテーラーの叔父さん、夢を語り合った同好の仲間……etc。
 今は亡き、みんなの顔が思い浮かぶ。

 毎日、どこかで、誰かが、「死」に直面している。
 誰もが無縁ではない話。
 「風の電話」は亡くした人との会話という形をとった、自分自身との対話だろう。
 悲しみと思い出に向きあう電話。

 あの丘から見える風景と、あの電話ボックスと、あの古びた黒電話。
 作った人は庭師だそうだが、なんという素晴らしい舞台だ!
 その発想も素晴らしいが、ほんとうに故人と電話できるような気がしてくる。

 ただ……、こうして大々的に取り上げられると、観光地化してしまうのではと危惧する。
 ひっそりとそこにあるから、価値と意味があると思う。
 静かな場所であり続けられることを願う。

 日々の生活の中では、楽しいことよりも、辛いこと、苦しいことの方が多かったりもする。
 それでも……
 生きていこう。
 きっと、意味があるはずだから。

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