最近の若者=キレるという発想の危うさ

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Young man with knife

 白昼の秋葉原で起きた連続通り魔事件で、メディアは過熱報道だ。
 ショッキングな事件ではあるが、メディアはエキサイトしすぎのようにも思う。

TBSは事件の起きた夜に放送する予定だったミステリー番組の放送を、「遺族に配慮して」という理由で番組を差し替えた

 それを言い出したら、フィクションとはいえ人が死ぬような番組はなにも放送できなくなる。なぜなら、毎日交通事故は起きているし、ガンなどの病気で死んでいる人だって毎日いるはずだからだ。記事にはならない亡くなった人たちの遺族のことは無視して、注目される事件の遺族だけに配慮するというのもおかしな話だ。
 いっそのこと、放送倫理として「人が死ぬシーンは禁止」「暴力はどんな些細なものでも禁止」とでもしなければ、放送局の言う「配慮」は意味がないだろう。そうなったら、多くのドラマや映画は放送禁止になってしまう。

 こういう事件が起きると、必ずといっていいほど「最近の若者は」と言い出す人が出てくる。
 以下の記事は、今回の事件の2日前に書かれているが、時期がずれていれば秋葉原のことが大きく取り上げられていただろう。

通り魔犯に厳罰を! / SAFETY JAPAN [松村 喜秀氏] / 日経BP社

 八つ当たりなのか何か分からないが、いきなりキレて暴力を振るう若者が増えたような気がする。

最近の傾向として、じっと我慢してがんばる精神力が希薄になっているようだ。恋人づくりも苦手な若者が増え、簡単にメイド喫茶のようなところで、疑似恋人をカネで買って満足する。

自分の気持ちや誠意を女性に伝えて口説く力がなく、思い通りにならないとストーカー的な振る舞いに出たり、暴力を振るう。それが、テレビゲームやパソコン、インターネット、ケータイの影響なのかよく分からないが、通り魔の金川容疑者もゲームにのめり込んでいたようだ。

自分を表現し、相手と通じ合う力がないものだから、すぐに武器を持ちたがる傾向も強い。おとなしい人間が刃物を持った瞬間に人が変わって暴力的になる。武器によって自分が強くなったと浅はかな勘違いをしているのだが、そのままキレて通り魔になってしまうのだから始末におえない。

 「ような気がする」で、若者論を論じて欲しくない。
 すぐキレるのは若者に限ったことではない。いい歳をした中年でもキレてる人は見かけるし、白髪の老人だってキレることはある。中高年の凶悪犯罪だって発生しているではないか。しかし、「最近の老人はすぐキレる」とは論じられないのだ。
 若者を悪者にするのは、社会の歪みのツケを若者に押しつけているだけではないのか?

 関連した記事として、以下の書評があった。

若者たちよ、「武器」をとれ~『「若者論」を疑え!』 後藤和智著(評:三浦天紗子):NBonline(日経ビジネス オンライン)

 考えてみれば、若者をめぐる通俗的な報道や言説によって、割を食うのは若者自身だ。一部の大人たちは「まことしやかな若者論」を楯に取り、それ見たことかと若者を責め立てる。それに影響されて、若者自身も必要以上に自分を貶めていく。こうした負の連鎖はもとより、経済構造の問題にまで自己責任論をかぶせられる謂われはないのだ。

 書評の元となっている著者の主張と、前出の松村氏の記事は、対局にあるといっていい。
つまり、若者⇔中高年という対極にある世代の、それぞれの立場からの「若者論」だ。

 結局のところ、現在起きている特異な事件や社会の歪みに対して、犯人捜しをしているという点で、両者は共通している。
 結果として犯罪が起き、その原因がなんであるか、納得のできる理由を見つけたいのだ。そうすることで、「○○が原因で、こんなことが起きた」と論理的な整合性を作り出す。

 ものごとはそんなに単純ではなく、1+1=2とはならない。
 しかし、理解できないことが許せないのが、現代の社会だ。理由付けが必要だ。それは裁判でも「動機」として語られる。ものごとを単純化しようとすること自体が、矛盾をはらんでいるにも関わらず。

 「犯人捜し」の過程で、アニメが悪い、ゲームが悪い、ネットが悪い……と、容疑者が挙げられていき、「若者が悪い」と最有力の容疑者が挙がる。
 「最近の若者はキレやすい」と結論づけされると、そうだその通りだと、賛同する声が上がり、犯人にされてしまう。
 そうした若者論は、人種差別に似ている。
 「○○人だから危険」と、個人を否定し、集団をひとくくりにして批判したり差別したりすることと同じではないか?

 大部分の若者は、いたって健全だ。最近の若者の趣向や傾向はあるが、それは今も昔もかわらない。
「最近の若者は…」と批判的な論評をするのなら、いつの時代の若者が「手本となる若者」だったのかを示して欲しい。

 「夢は兵隊になること」「お国のために命を捧げます」と言っていた、第二次大戦のころなのか?
 戦後の混乱した復興時代を生き抜いた若者なのか?
 高度成長時代にバブリーな生活をしていた時代なのか?
 それとも、もっと遡って幕末の新撰組が活躍していた時代なのか?

 最近の若者を批判するには、その対照がなくては、比較のしようがないと思うのだ。

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