「あの日から、パパは帰ってこなかった」と情緒に訴えてもだめ

LINEで送る
Pocket

集団的自衛権についての問題は、政治的というより情緒的な問題にすり替えられている気がする。
その典型的な例。

(1/2) 「あの日から、パパは帰ってこなかった」に賛否 センセーショナルポスター作ったのは社民党 : J-CASTニュース

集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈が閣議決定された今も、反対意見を唱える人は大勢いる。
そんな中、社民党が集団的自衛権に反対するポスターを発表したのだが、センセーショナルなデザインにネット上は賛否両論で盛り上がっている。

路上でしゃがみ、うつむく少年の写真

「あの日から、パパは帰ってこなかった」

話題になっているポスターは、路上でしゃがみ、うつむく少年の写真とともに、こんな言葉が大きく書かれたものだ。言葉の下には小さく「こんな未来はあまりにも悲しい」とも書かれている。

ポスターの下半分には「今、集団的自衛権にNOを」という文、そして社民党のロゴが入っている、というデザインだ。

あの日から、パパは帰ってこなかった

あの日から、パパは帰ってこなかった

自衛隊員が戦死して、その子どもが父を亡くす……というシチュエーションらしい。
意図はわからないでもないが、独身の隊員もいるし、女性隊員もいるのだから、パパだけじゃないよね。

自衛隊員も含まれる公務員の既婚率は、68.6%ということなのだが、自衛隊員だけの既婚率はググっても出てこなかった。
女性自衛官については記事があった。

女性自衛官1.2万人 ヘアカラーやネイルはどこまで許される? – ライブドアニュース

 2012年度末現在で、女性自衛官は1万2350人。全自衛官に対する割合は5.5%。既婚者の割合は約45%。「既婚女性自衛官の約80%が配偶者も自衛官(2012年4月1日現在)」(防衛省)とのこと。

女性よりは男性の既婚率は高そうだから、約60%というのは妥当なところか。いずれにしても、パパだけではないのだから、独身者や女性隊員のことも考えてあげてほしいね。

自衛隊員が職務上で死亡するケースは、なにも戦闘だけではない。もっぱら災害派遣で駆り出される自衛隊だが、災害の発生場所は直後であれば二次災害の危険性をともなっている。社民党のこのポスターの言い分からすれば、災害派遣でも死に至るリスクがあるわけだから、災害の場合でも自衛隊は派遣すべきではないということになる。

消防士や警察官だって、危険な現場に行く。パパが帰ってこなくなると子どもがかわいそうだから、消防士や警察官も派遣してはいけない……のかな?

自衛官は、服務の宣誓をするという。

服務の宣誓 – Wikipedia

 私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。

事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」と、やや曖昧な表現ではあるが、命の危険があることを承知させているわけだ。
専守防衛であっても、敵と戦う場合には戦死する自衛官は出てくる。それすらも否定するのだとしたら、どうやって国土と国民を守るのか?

少なくとも、社民党が守ってくれないことだけは確かだ。紛争の現場に社民党員がかけつけて、人間の盾になってくれるとでもいうのだろうか? そういう覚悟があるのなら、ただ反対するのではなく、社民党が矢面に立って命を張ると宣言してもらいたいものだ。

ちなみに、日本では「自衛隊」と呼ぶのだが……
自衛隊 – Wikipedia

自衛隊の公式な英訳名称は「Japan Self-Defense Forces」であるが、日本国外においては、陸海空の各自衛隊は日本国の実質的な国軍として認知されており、「Japan Army(日本陸軍)」「Japan Navy(日本海軍)」「Japan Air Force(日本空軍)」と表記されることがある。これは「Self-Defense Forces」という呼称が、国際社会上一般的ではなく、自衛隊の実態組織を表している呼称とは言い難いためである。

というように、海外から見ればれっきとした軍隊だ。兵器を装備した集団を軍隊と呼ぶのだから当然ではある。
社民党は自衛隊の存在そのものが気に入らないのだろうが、丸腰で主権や平和を維持できるほど、世界はやさしくない。
社民党の選挙公約では、以下のように謳われている。

社民党OfficialWeb┃政策┃2013年参院選 選挙公約

○「専守防衛」の理念の厳守を求め、攻撃的な装備の保有を抑制します。非現実的で膨大なコストを要するミサイル防衛のための装備の整備は凍結します。

「専守防衛」というのは、「戦闘をしない」ことではない。撃たれたら撃ち返さなくては、防衛にならない。その過程で、負傷や戦死する隊員も出てくるだろう。集団的自衛権を行使しなくても、犠牲者は出る。個別的自衛権ならば犠牲者が出ないという保証はどこにもない。

したがって、「集団的自衛権にNOといっても、(自衛官の)パパが確実に帰ってくる保証はない」というのが正しい。
自分たちに都合のいいイメージだけをアピールするのは、リスクを説明しないで儲け話をする詐欺と同じだよ。

社民党が自らの主張や公約を実現したいのなら、政権を取ればいい。そうすれば、非現実的な公約でも、数の力で実現できる。
なぜ政権が取れないのか、なぜ支持率がたったの0.5%しかないのか。そのことを自省したほうがいい。

自民党が暴走するのも困ったものだが、それを許しているのは少数政党に分裂している野党の責任でもある。それぞれの野党の主義主張は、傍目から見れば大同小異だ。多様な意見があることは当たり前のことだが、違いがあっても自民党に対抗できるだけの、ひとつの野党になれなければ意味がない。二大政党が必ずしもベストではないが、政権交代可能な政党であることの方がベターだ。少数野党で、ドングリの背比べをしていることの方が大きな問題だろう。

自民党を非難する前に、野党が無力であることを自己批判しなきゃいけない。自民党政権にNOを突きつけたくても、政権交代可能な政党がないから、国民には選択肢がないのだ。その責任は野党にある。

子どもをネタにして、情緒に訴えようとするポスターは姑息だ。

これでは問題の本質がわからなくなってしまう。集団的自衛権に反対するのなら、その対案としてよりいい案、より説得力のある案はなんなのかを示してほしい。
武力ではなく、外交努力で問題を解決できればいいが、話し合いにすらならない国もある。それぞれの国で、その国にとっての正義や利害があり、相容れないから対立する。なんらかの妥協点や合意を見いだすには、駆け引きであったり軍事力を背景とした圧力が必要だったりする。日本が丸腰で、軍事的に手足を縛られていれば、相手は強気に出られる。

日本は外交が苦手なのだから、外交努力でものごとを解決できると考えるのは難しい。話し合えば、わかりあえる……かというと、理解した上で自国の利益を最大限に得るのが外交だ。近隣の反日国は、話が通じないのではなく、通じてはいても通じていない振りをして、自国の主張こそが正義だといいたいのだ。そのためには、真実を隠したり、ねじ曲げたり、ねつ造したり、あらゆる手段を使う。

強いものの主張が、正義になる。歴史は勝者によって書かれるからだ。戦争をしないまでも、外交で敗者となれば、真実は無意味になり、勝者に都合のいい歴史が書き足される。

閣議決定で集団的自衛権の行使を決めることに問題はあるにしても、集団的自衛権そのものを否定するのは、自分の首を絞めるようなものだろう。
繰り返すが、世界はそれほどやさしくない。

社民党の主張は非現実的なので、ポスターを現実的に書き換えよう。

あの日から、ボクの故郷は失われた

あの日から、ボクの故郷は失われた

(Visited 40 times, 1 visits today)