ジブリ『熱風』7月号の憲法改正特集

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 ジブリ発行の小冊子『熱風』7月号に掲載された記事が、PDFで配布されている。

ジブリ『熱風』7月号の憲法改正特集がPDFで緊急配信 – ITmedia eBook USER

 スタジオジブリが毎月刊行している小冊子『熱風』の7月号がPDFで緊急配信された。

『熱風』7月号

 憲法改正の空気が漂っていることから、それについてのコラムが載っている。

● 憲法を変えるなどもってのほか(宮崎駿)
● 9条 世界に伝えよう(鈴木敏夫)
● 戦争は怖い(中川李枝子)
● 60年の平和の大きさ(高畑勲)

 戦後世代のひとりである私には、戦争は書物、ニュース、映画、親や祖父から聞いた話の世界のことでしかない。
 日本は太平洋戦争後、直接的には戦争に関与していないが、世界のどこかで戦争は常に起こっている。
 宮崎駿氏らは、幼い子どもではあっても、戦争の空気を知っているだけに、言葉に重みが感じられる。

 私の両親も、戦争中は子どもだった。
 実家のある地方は、日本軍の飛行場や工場などがあったため、アメリカ軍の空襲の対象になっていた。子どもだった両親は、その空襲の中を生きのびた。

 のちに私の父となる少年は、ある日、畑仕事をしていた。
 市街地から離れた田舎の畑である。軍事的な目標もなく、空襲におびえる必要もない場所のはずだった。疎開先にされるようなところだったという。
 しかし、そこに一機のグラマン戦闘機が飛来した。
 少年は、ぼんやりとながめていた。偵察でもしているのだろうかと。
 すると、戦闘機は彼に向かってぐんぐんと迫ってくる。高度を落とし、爆音を響かせて、彼に向かってきた。
 彼は不安にかられ、逃げ出す。
 なおも戦闘機は接近する。
 ダダダダダダダダダダ……
 間近に迫った戦闘機の機銃が火を噴いた。
 連射された銃弾が線を引くように土煙を立てる。彼はもんどり打って転倒した。銃弾は彼の両脇をかすめていった。
 戦闘機は低空飛行で彼の頭の上を通り過ぎると、高度を上げ、いずこかへ去った。
「あれは、からかわれたんだな。こっちは必死だったけどな」
 父は記憶に苦笑した。
 生きているから笑って話せるが、もし、銃弾が当たっていれば、私は生まれなかったことになる。
 一発の銃弾で、歴史が変わる。変えられてしまった人が、たくさんいるのも事実。

 のちに私の母となる少女は、海に近い街に住んでいた。
 空襲が頻繁に繰り返されるようになって、万が一のときのために防空壕を掘ることになった。防空壕といっても、横穴式のトンネルのような穴ではない。掘りやすい砂浜に浅い穴を掘っただけの、たこ壺だ。膝を抱えるようにしてしゃがむと、かろうじて身を隠せる程度のもの。直撃を受ければ役に立たず、身を隠すだけの気休めの穴だ。
 無防備な少女にできることは、それくらいしかなかった。

 何度かの空襲で、市街地は焼け野原になったという。
 少年と少女は生きのび、大人になって出会った。そして、私が生まれた。
 私が小学生の頃は、不発弾騒ぎがしょっちゅう起こっていた。ビルの建設や道路工事で、たびたび不発弾が発見され、ニュースになっていた。
「また不発弾だってよ」
 子どもたちの間でも、よく話題になった。
 通っていた小学校で、校舎の増築工事をしているときにも、不発弾が見つかった。増築で校庭を掘り起こす前から存在していたわけで、私たちはその校庭で毎日遊んでいたのだ。不発弾処理と、ほかにも不発弾がないかの調査が終わるまで学校は休校となった。
 戦争を直接には知らない世代だが、戦争が残した痕跡には接することはあった。

 ジブリ『熱風』7月号の憲法改正特集に書かれている記事については、憲法9条があったから、日本は再び戦争に走ることがなかった……かどうかは、ほんとうのところはわからない。ある程度のブレーキにはなったかもしれないが、実際のところは戦争をするだけの余力がなかったのではないかと思う。

 戦争なんてないほうがいいに決まっている。
 とはいえ、文明の歴史は戦争の歴史でもある。人類の英知が文明と社会を築いてきたが、同時に戦争のための兵器を開発してきた。どうやら、人間は本能的に戦うことをやめられない。
 理想論としての9条の意義もわからないではない。だが、9条があれば戦争をしないという因果関係も成立しない。現在の憲法を守ることが平和を守ること……という理屈もまた理想論だと思う。
 いろいろな矛盾を抱えつつも、理想をつらぬくには犠牲にしなければいけないことも出てくる。護憲を主張する人たちは理想を並べ立てるが、それを実現するためにはどういう代償を払わなければいけないかをあまりいわない。代償を払うことなく、理想を手に入れられるわけはないのだ。

 宮崎駿氏の記事中に……

 かつて、スイスやスウェーデンという中立国に憧れたことは事実でした。平和の国があってハイジが走り回ってるんだっていうイメージしかなかったから。でも、実際は違うわけで、非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」っていうのがやっぱり正しいと思うんです。だから馬鹿げてるけど、最新式の戦車ぐらいは多少造っておけばいいんですよ。本当はガンダムでも造って行進させりゃいいんじゃないかと思っているんだけれど(笑)。

 ……とある。
 その「ちょっと待て」という線引きをどこでするか?
 どこまでがOKでどこからがNGか。これは他国の武装との比較で変わる。たとえば、相手が100両の戦車を持っていたら、こちらは1両でいいのか、10両必要なのか、それとも同等の100両必要なのか。
 それとも、ある党がいうように、軍隊そのものがNGなのか。領海・領空を侵犯されて、相手が銃を撃ってきても武装はNGだから放水で対抗するだけで我慢するのか。右のほおをぶたれたら、左のほおを差し出して堪えるのか。「ちょっと待て」の境界線は、なかなかむずかしい。

 憲法とは話題がそれるが、宮崎駿氏はこうも書いている。

 人口自体は減ってもいいんです。日本の適正人口は3500万人ぐらいだと思います。農業技術の進歩も含めると、もう少し養えると思うんですけど、5000万人は無理だと思います。それなのに今は1億人以上いるから、アニメーションなんかが成り立ったんです。マーケットが小さいと成り立たないですから。人口が減っていくから、今後はアニメーションも成り立たなくなりますよ(笑)。

 これについては、同感。
 少子化が問題になって、解決策を模索しているが、そもそも国土の広さに対して人口が増えすぎたから減少に転じているのだと思う。これは生物学的な生存限界の問題でもある。

※参照↓
ロジスティック式 – Wikipedia

現実の生物は、ある特定の環境下で生活しており、そこに生活できる個体数には上限があると見るのが自然である。つまり、個体数が多くなると、その増加にブレーキがかかるものと想像される。

 経済成長のため、社会保障制度の維持のために、人口は増え続けなければいけないという理屈から、少子化を解消して人口が減ることを阻止しようとしている。
 しかし、際限なく経済成長できるはずもなく、人口も際限なく増え続けられるわけがない。少子化、人口減少が「悪いこと」として扱われるが、その発想自体を変える必要がある。環境問題(おもに温暖化問題)も大きな社会問題になっているが、環境問題の一番の解決方法は、人口を減らすことである。人口が半分になれば、エネルギー消費量も半分になる。
 そうなれば原発はなくても足りる。原発ゼロをかかげる政党もあるが、だとしたら人口を半分にしましょう……というのが道理だ。
 人口が半分になれば、経済は低迷するだろうが、毎年毎年売上げを伸ばし続けなればならないといった経済システムを見直す必要がある。
 少子化を解決し、人口減を阻止し、なおかつ経済成長はプラスを続け、国の借金を減らし、原発をなくし、環境問題も解決……などといった、いいとこ取りはできない。

 話がそれてしまったが……(笑)
 新作映画『風立ちぬ』は、明日(7月20日)から公開されるが、私は初日の夜に指定席の予約を取ってあるので、観るのを楽しみにしている。

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