韓国で出版された「慰安婦被害者はいない」とする著作

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韓国で出版された「慰安婦被害者はいない」とする著作

「歴史は勝者が書く」ともいわれるが、過去の出来事で残されている資料が少ないほどに、真実は曖昧になり、ときに誇張または矮小化されてしまう。

太平洋戦争中のことに関しても、記録が少なかったり、人々の証言しかなかったりして、書かれる歴史は真実があやふやになっている。
敗者となった日本は悪役にされた。

民間人を標的とした都市への空爆や原爆は、虐殺以外のなにものでもないと思うのだが、アメリカは勝者となったために糾弾されることはなかった。

現在の裁判においても、目撃証言というのは思い込みや勘違いがあり、確実な証拠とはならない場合がある。人の記憶は、カメラのような正確さで覚えているのではなく、印象や断片的な記憶から再構築されるものなのだ。記憶の9割は実際とは違う想像で補われているといってもいい。

証言が記憶に基づいていても、想像で大部分が埋められている。
なかったことをあったことのように話してしまうのは、記憶が薄れてくると穴を埋めるために想像力が働くからだ。
こうしたことは、被験者を使った実験でも確かめられている。
記憶とは、じつに曖昧でいいかげんなものなんだ。

歪曲され誇張されている歴史問題のひとつに、いわゆる慰安婦問題がある。
朝日新聞の捏造記事に端を発した問題だが、年を経るほどに問題が変質し肥大化した。
それに対する異論が、韓国から出版されたという。

「慰安婦被害者はいない」韓国で出版された“慰安婦問題のタブーを破る本”『赤い水曜日』驚きの内容とは? | 文春オンライン

著者は『赤い水曜日』の「あとがき」で、韓国で定説とされている日本軍慰安婦をめぐる「強制動員説、性奴隷説、戦争犯罪説」は運動団体のウソの扇動による虚偽であると断言。「慰安婦問題の本質は貧困であり、貧しさによってもたらされた悲しくも恥ずべきわれわれの自画像である」「もう人のせいにするのはやめよう」「問題解決の前提はウソをやめ正直になることだ」と主張している。

(中略)

本書は、日本軍慰安婦だったとして支援団体によって内外で日本糾弾の反日運動の先頭に立たされ、韓国政府から法的に生活支援を受けているいわゆる“慰安婦被害者”について、記録として残されている彼女たちの証言集を詳細に検証している。その結果、韓国の「慰安婦被害者法(日帝下日本軍慰安婦被害者に対する保護・支援及び記念事業等に関する法律)」で定義されている「日帝に強制動員され性的虐待を受け慰安婦としての生活を強要された被害者」という「日本軍慰安婦被害者にあてはまる者は一人もいない」と主張している。

(中略)

本書では、彼女が養父によって身売りのため中国に連れて行かれる際、見送りの実母から平壌駅で黄色いセーターを贈られ、中国では約3カ月間、慰安婦をした後、客として来ていた朝鮮人の商売人と駆け落ちしたという証言をあらためて引用、分析。日本軍による強制的な慰安婦生活という事実はまったくないとしている。

(中略)

またソウルの日本大使館前をはじめ内外に拡大設置されている慰安婦少女像についても「幻想の中のあどけない少女」「真実とはほど遠い少女物語」としてその虚構性を糾弾。批判のホコ先は韓国の教科書にも向けられ、虚偽に満ちたとんでもない記述がまかり通っているとしている。

(中略)

著者は、元慰安婦たちの証言を検証し、韓国での法的根拠になっている定義に照らし合わせた場合、日本軍慰安婦被害者なるものは存在せず、そこに加害者がいたとすればそれは日本軍ではなく「ひどく貧しい国で自分の子どもを物のように売り渡した父母や、それを商品のように紹介し紹介料を手にしていた業者、そしてそれを性的商品として軍人や多くの男たちから金をせしめていたお抱え主だった」という。

その結果「日本軍は慰安所で定められた費用を支払い、性的欲求を解消する顧客にすぎなかった」といい「慰安婦問題はわれわれが解決しなければならない問題であって、決して他国にその責任を押し付けることではない」と書いている。

戦後76年が経過して、当事者の多くが亡くなっているので、真相はますますわかりにくくなっている。
この記事にもあるように、慰安婦の実態は人身売買が大半だったのだろうと思う。
娘を売り飛ばした親あるいは親族がいたはずだが、彼らが真実を語ることはなかった。人身売買であれば、仲介者のブローカーがいたはずで、彼らもまた口を開くことはなかった。あの時代でも、人身売買は闇取り引きだったのだから、「わしらが売り飛ばした」などと公言はできない。

そういう意味では、「慰安婦少女像」ではなく、「売春婦像」あるいは「人身売買像」というのが適切だろう。
著者の金柄憲氏の主張が真相に近いとすれば、少女像は韓国人による韓国人少女の人身売買の象徴ということになる。意味がまったく異なり、韓国の恥を世界にさらしているともいえる。

この問題の問題点は、現代の価値観や法律に照らして、80年前の行いを裁こうとしていることだ。
当時は人権意識も男女平等意識も著しく低かった。
人の命の重さは恐ろしく軽かった。
赤紙で召集された若者たちの多くが命を賭した。
空襲では無差別かつ無慈悲に殺された。
アジアだけでなく、ヨーロッパでも同様だった。
あの時代は、世界中で人権も命も軽んじられていたんだ。

どこの国でも、自国の歴史は都合のいいように書くものだ。
特に、中国や韓国(北朝鮮も)は誇張したり、逆に矮小化したりする傾向にある。針小棒大というか大言壮語というか、虚勢を張る国民性だ。それは古い文献などにも現れている。
慰安婦問題は誇張され脚色された。そして、政治的に道具として利用された。

歴史は人類の記憶でもあるわけだが、ときに間違った歴史として語り継がれることがある。研究者たちが数少ない資料や遺物から、「ほんとうはこうだったのではないか」という新説を出したりする。そうして書き換えられた歴史も少なくない。

金柄憲氏の説が、広く受け入れられる歴史になるかどうか。
反日のもっとも大きな理由にされたきた歴史認識でもあるので、これを否定されることは韓国のアイデンティティを失うことにもなる。
信じてきたものが嘘だった……というのは、なんにせよショックなことだろう。
ゆえに、韓国では受け入れられがたい主張となる。

とはいえ、反日一色の韓国ではなく、歴史の事実を探求する姿勢の人がいることは、救いかもしれない。

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