ロボット話の続き。

ロボットがより人間らしくというのは、人間の姿や動作、感情表現を模倣することでもある。
そのために必要なことが「人間らしさ」とは何か?……という研究だという。
心と体は一体で、分離して存在できるわけではない。

だが、世の中の風潮としては、分離して考える場面が少なからずある。
魂だけの世界……つまり、死後の世界とか、精神が肉体から離れて幽体離脱するとか。それらの感覚は、当人の幻想、あるいは妄想にすぎない。想像力の産物でもある。
とはいえ、その「想像力」が人間らしさのひとつでもある。

想像力というのも、錯覚から発生している。いわゆるインスピレーションで「ビビッ」と直感するなんていうのは、錯覚が暴走したようなものだ。ないものをあるもののように捉え、リアルな認識を歪曲して表現する。それがアートだったり発見・発明だったりする。

余談だが、殺人事件の裁判で、責任能力があるかどうかを精神鑑定で判断する……というのも、心と体を分離してしまう発想だ。

精神だけ狂っていて、体が正常(あるいは、その逆)なんてことはない。その人間の人格が異常だとすれば、それは意識の宿っている脳の異常があるからだ。体である脳と精神は表裏一体なのだ。

裁判は罪を裁くのであって、人間を裁くのではなかったはずだ。責任能力の有無ではなく、罪に対して裁きを下すべきだと思う。

では、脳の中にある「意識」はどこで、どのようにして生まれてくるのか?
意識は人だけではなく、犬や猫にもある。脳がある生物には、みな意識はあるのだろう。

では、もっと単純な生物ではどうなのだろう?
ミミズは? ミジンコは? バクテリアは?

意識が生物のどのレベルで発生しているのか、じつのところ確かめようがないようだ。
人間に限っていえば、ある人間が誕生する過程のどこで意識は発生するのだろうか?

精子と卵子の段階からか? 受精した瞬間からか? 受精卵が分割を始めて何日目か? 胎児のどの段階で意識が芽生えるのだろうか?
わからない……というのが、現状らしい。

確かなことは、母親の胎内から生まれてきたときには、意識は根付いている。人が人として誕生しているわけだ。

ロボットが限りなく人間に近づくためには、どこかの段階で「意識」に目覚める必要がある。あるいは、意識と受け取れるような模倣のシステムだ。

現状のロボット研究を見ていると、その方法はハードとしての機械部分と、ロボットの能力を左右するソフトウエアとに分けられている。人間でいえば、肉体と心、というわけだ。

だが、意識というのはソフトウエアなのか?……という疑問がわく。
情報の処理と蓄積、それに基ずく類推が、意識の源なのかということ。

直感的に、それだったら「想像力」は出てこないだろうなーと思う。コンピュータ的な情報処理は正確で速いが、「錯覚」をしない。映画を見てそれが動画として見えるのは、人間の錯覚であって、正確な眼でみれば、1つ1つの分離された画像でしかない。動いているように見えるのは、1つ1つの画像の間を、人間の脳が想像力で埋めているからだ。

と、まったく関係ない記事を見ていて、これもまた人間的な錯覚だと思った。

オカルト懐疑派に見るディベート作法~『なぜ宇宙人は地球に来ない?』 松尾 貴史著(評者:朝山 実):日経ビジネスオンライン

 地球まで、光の速さで飛んでも何千年、何万年もかかる。仮に、光速の何倍もの速度で移動できる乗り物を発明した宇宙人がいたとして、それほど優秀な彼らは遠路はるばる「未開の地球人」に会いにやってきたいと思うものなのか。やってくると思うのは、思い上がりもはなはだしいといさめる。

不思議な現象はいろいろとあるが、それを幽霊と見るか、プラズマと見るか、UFOと見るかは、人の想像力である。
なぜ、いろいろな解釈が出てくるかといえば、ある現象や事柄に対して、理由付けや意味づけをすることが、正しいかどうかは別にして「理解する」方法になるからだ。いや、理解した気になる、が正しいか。

おそらく、人間は論理的に物事を考えようとして、じつは論理的な思考が苦手なんだと思う。曖昧さと錯覚で世界を見ているのだから、そもそも論理の出発点からしてあやふやだ。

未来のコンピュータベースのロボットの思考は、恐ろしく論理的だろう。スタートレックのバルカン星人やボーグよりもだ。データ少佐は近いかもしれないが、それでも論理的な不完全さが逆に人間的だったりした。

と、そんなロボットが、論理的ではない宇宙人の妄想……夢を見るだろうか?……というと、そういう飛躍はしないだろなーと思う。
(まだ続くかも……)

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