ケータイを持たせないことが子どもを守ることなのか?

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前日に続いて、ケータイの別の問題。
子どもからケータイを取り上げようという風潮が高まっている。

AQUOSケータイ W61SH(2008年)

AQUOSケータイ W61SH(2008年)

だが、それは問題の本質を避けているだけのような気がする。
まずは、記事から。

小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) – ITmedia +D LifeStyle

 具体的にはまず、情報教育のカリキュラムが古すぎるということ、そして問題に対しての対処を求められるのが、常に学校であるということである。
(中略)
物心ついた頃からすでに手元に情報機器があって、その経験が人の繋がり方や発想、能力、可能性を広げていくということも考えられるわけだが、不所持規制は、子供たちにそっちの未来への選択権を与えないことになりはしないのか。そこが心配である。

問題になっているのはケータイそのものではなく、ケータイを使ったネットの利用方法だ。
ケータイだけ取り上げても、バソコンやWi-Fi機能でネットに接続できるゲーム機などがあれば、手段を変えるだけで意味はない。

要はネットの利用方法や、リスクを教えることなのだ。
その教育を抜きにして、ケータイを取り上げるだけでは、問題を先送りしているだけに過ぎない。

情報教育のカリキュラムが古すぎるというのは、教える側の教師が時代に取り残されているからだろう。

それに類することは、10年前(現在年からは25年前)にもいわれていた。パソコンが仕事に不可欠になってきた時代に、パソコンを使えないオジサン世代と使いこなす若い世代のギャップは、おもしろおかしく話題になったものだ。ITなどという言葉が流行りだした頃だ。
たしか、政府がIT先進国とかいって、学校にもパソコンを導入し始めた頃だったと思う。その頃から、教師がパソコンに疎くて、子どもに教えられないといったことは問題になっていた。

25年前に比べたら、パソコンやケータイは格段の進歩をした。しかし、社会や法整備はあまり進歩していない。技術革新や情報社会が進歩しても、利用する人間が追いついていない。

若い世代は新しい道具を上手に使うが、機器の操作が器用になっていても、情報を使いこなすという思考的な能力に長けているわけではない。そこの部分では、依然として遅れている。

ケータイは子どもにとって危険だ……という趣旨の発言は多いが、ケータイだけが危険なわけではない。
ネットでの犯罪やイジメといった、ネガティブな面ばかりが強調されるが、ネットでの利点はもっと多いだろう。

ネットのネガティブ面は、言い換えれば社会の暗黒面だ。
リアルな社会に犯罪やイジメがあれば、それはネットにも反映される。先鋭化されるという面はあるものの、リアル社会の鏡としてネット社会も存在している。

リスク……ということからいえば、道路を歩いていても交通事故に巻き込まれることはある。通学途中の子どもが事故に遭うことは、年に何度も繰り返されている。
2007年度の交通事故での死者数は、5,744人となっている。単純に計算すると、1日15人くらい亡くなっていることになる。ケータイが原因で死に至ることは希なのだから、車の方がはるかに危険なのだ。

道路は危険だからと、子どもを外に出さないようにするだろうか?
車は凶器だからと、車を禁止するだろうか?
子どもを危険から遠ざけるために、家に閉じ込めるのだろうか?
それが子どものためだといえるだろうか?

交通事故を避けるために、安全教育というのは行われる。そもそも車と歩行者が同じ道に存在しているという、致命的な欠陥があることは無視して、横断歩道は手を挙げてとか、飛び出しはいけませんとかいったことを教える。それである程度の安全は確保できていると、世間は考えているのだろう。だが、突っ込んでくる暴走車に対抗するすべはない。

ネットでも同じように教育すればいい。
リスクはある。そのリスクを回避する方法を教えればいいだけのことだ。完全に安全な方法などない。それは道を歩くときと同じだ。

毎日交通事故で15人が死んでいても、社会はあまり文句を言わない。悲惨な事故はニュースになるが、ニュースにならない事故の方が圧倒的に多いけれども、車を拒絶したりはしない。今も当たり前に車は走っていて、この瞬間にも誰かが事故に遭っているかもしれないにも関わらず。

デジタルネイティブという新しい世代のことも話題にはなるが、道具として使いこなすことと、能力として才能を発揮することとは別物だ。
ケータイを取り上げるというのは、方法として単純明快でやりやすい方法だ。

ネットが問題だとなれば、パソコンもゲーム機も取り上げるのか?
テレビだってよくないといわれた時代があったが、テレビも取り上げるか?
マンガも害悪だといわれた時代があった。マンガも取り上げるか?
ファーストフードばかり食べていると、体に良くないからと、ハンバーガーも禁止するか?
炭酸飲料はメタボの原因になるからと、ジュースも取り上げるか?

公園ではボール遊びは危険だからと、禁止されているところが多い。その結果、キャッチボールができない子どもが増えたという。キャッチボールはただ単にボール投げをしているだけではなく、空間認識能力を高める効果がある。

鉛筆削りに小刀を使うのは危険とか、ハサミは危険とかいって、刃物を器用に使えない子どもが増えたともいう。刃物が使えないから、料理で包丁も使えない。
危険から遠ざけることで、子どもを守っているつもりが、危険から身を守る能力を奪うことにはなってはいないか?

ケータイを取り上げることは簡単だが、それは情報教育から遠ざけることにもなるだろう。
それで本当にいいのだろうか?

もっと賢くケータイやネットを使うことを教えるべきだ。
ネットの負の側面ばかりが問題されていると、日本はデジタルネイティブどころか、デジタルプアー(デジタル貧民)になってしまうように思う。

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