シンプルかつ古典的な和菓子……というか、和風ファーストフード的な食べもののひとつ。
回転焼き
東京では、「今川焼き」とか「大判焼き」と呼ばれるが、九州出身の私にとっては「回転焼き」である。
「今川焼き」「回転焼き」「二重焼き」「三笠焼」――あれの呼び名が想像以上にいろいろある件 – ねとらぼ
小麦粉・砂糖・水で作った生地に、あんこなどの具をたっぷり入れたお菓子といえば「今川焼き」です。このお菓子、実は「大判焼き」「回転焼き」「二重焼き」「太鼓饅頭」などなど、地域や店によって呼び名がさまざま。ネットでも昔からよく話のタネになっています。
地域別の呼び名というのが面白い。
これを見るとわかるが、九州ではほとんど「回転焼き」だ。
回転するから回転焼きなのか、車輪のように見えるから回転焼きなのか……と思っていたら、
回転焼きとは – 大阪弁 Weblio辞書
小麦粉の生地を丸い型に流し込んで、あんを入れて焼いたもの。その型の銅板を回転させて焼いていたことから。屋台で作り売りされている。
……なのだそうだ。
しかし、そのようにして焼く回転焼きを見たことがない。屋台というより、小さな店舗で焼かれていて、型の鉄板は大型で一度に数十個が焼けるようなもの。鉄板を回すのではなく、半分焼けたら回転焼きそのものをタコ焼きのようにひっくり返し、あんこがあるもう半分と合体させている。
うちの彼女は東京出身なので、「今川焼き」と呼ぶ。
当初、回転焼きといっても通じず、地域ギャップを感じたものだ。食べものには、そうした地域ギャップがいろいろとある。
「ソース」といえば、私は「イカリソース」をイメージするが、彼女は「ブルドックソース」だ。現在はブランド名を残して同じ傘下になっているが、味はぜんぜん違う。東京ではイカリソースが手に入らないので、実家から送ってもらったり通販で買ったりする。
「醤油」といえば、たまり醤油の一種である刺身醤油で私は育ったのだが、彼女は薄口の醤油。
彼女と一緒に生活を始めた頃は、食べものや味に関するギャップがいろいろとあって、双方が徐々に歩みよることになった。
料理は私がほぼ全面的に作っているので、私の母の味が基本だ。料理を習ったわけではなく、母の作る様子を見ながら、自然と覚えた。高校生のときから、自分の弁当は自分で作ったりもした。ときどき、ある料理を作りたくなって、電話で母に作り方を聞くこともある。
さて、回転焼きである。
さすがに自分で作ることはないが、ときどき食べたくなる一品だ。
東京だと、池袋の東武の地下にある「御座候」で買うことが多い。ここでは「御座候」が商品名だ。
シンプルな食べものだけに、店によって味はいろいろだ。
材料はシンプル、作り方もシンプル、構造もシンプル、見た目もシンプル。まるでアインシュタインの物理法則「E=mc^2」のようなシンプルさであり、美味いか不味いかが明確に答えとして出てくる。
基本構造としては「たい焼き」と同等ではあるが、たい焼きのような媚びた姿をしていないところがいい。「およげ!たいやきくん」は昭和の名曲であったし、あの歌詞にサラリーマンの悲哀を感じた人も多かっただろうが、小豆のあんこに小麦粉の外骨格を装備し、魚に擬態するなど邪道である。
しかも、たい焼きの最大の弱点は、あんこが偏ってしまうことだ。頭と尻尾の部分にはあんこが含まれないことが多く、あんこを内蔵する内臓部分との食感のギャップがいただけない。水棲生物である魚をモデルとしながら、水に浸すことはできないスペックは、名は体を表すに反している。
なぜ、魚なのか? 魚の中でもなぜ「鯛」なのかのコンセプトが崩壊している。最低限、水中活動限界が何秒なのかの表記は必要だ。これでは使徒との戦いには使えない。
回転焼きの形のシンプルさは称賛に値する。
「円」は自然界の基本であり、宇宙の表現しているといってもいい。理想的には「球」であるべきだったが、あのサイズで球体にするには構造強度が不足しているから、食べやすさも考えて扁平な円柱を選択したのは合理的な判断だ。球体は「タコ焼き」にゆずろう。
外装の小麦粉の皮が宇宙全体とするなら、中身のあんこは銀河や星々だ。つまり、あんこはビッグバンで生じた銀河であり、生命の源だ。
それが味の決め手。
小豆と甘みの砂糖で織りなす、味のハビタブルゾーンだ。生命は誕生と進化に適したハビタブルゾーンで育まれる。われわれの住む太陽系は、奇跡的ともいえる環境にあるからこそ、生命が生まれ、人類が進化できた。
美味しい回転焼きにも、その絶妙な環境、組み合わせが必要なのだ。
あんこが不味ければ、たとえシンプルで優美な姿をしていても、回転焼きは生命には不向きな赤色巨星や白色矮星と化す。科学的に興味深いとしても、味としては生ゴミとなり、ゴミ収集車によってしかるべき場所に運ばれる運命にある。それは回転焼きにとって、救いのない不幸だ。
あんこの存在感が大きいために、皮が軽視されがちだが、皮は構造を維持しているだけでなく、食感にも多大な影響を及ぼす。
「御座候」の皮は、やや薄いものが採用されているが、私が育った地元ではもう少し厚めだった。
店によって材料の配合は違うのだろうが、私が馴染んだ回転焼きの皮は、パリッとした食感に焼かれ、中のあんこの柔らかさとのコントラストが特徴だった。
あんこは「黒あん」と「白あん」が代表的だ。和洋折衷で「チーズ」というものもあるが、王道は黒あんだろう。
食材で黒いものというのは、本来あまり美味しそうに見えないことが多いのだが、あんこだけは別だ。黒といいつつも、やや赤みがかった黒なので、その赤みが唾液腺を刺激する。
白あんがジェダイだとすれば、黒あんはダースベイダーだともいえる。悪役であるはずのダースベイダーが人気なのは、黒あんが黒いのに美味しさをそそるのに似ている。
回転焼きは、和菓子ではあるものの、主流からははずれている。いわば、和菓子のファーストフードだ。ちょこっと買って、気軽に食べられる。歩きながら食べることはほめられたことではないが、その場で食べられるのは、戦闘能力としては高い。PAC-3の命中率には賛否いろいろあるが、移動式で配備が容易なことが重宝されている。回転焼きは、和菓子界のPAC-3といえるかもしれない。
などと書いていたら、無性に食べたくなった。
今日、帰りに東武池袋まで進撃して、仕留めてこようと思う。