ネトゲ廃人とワーカホリック

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ネトゲ廃人とワーカホリック

ネットゲームはしないのだが、どんなゲームなのかは興味がある。情報だけはチェックしている。
そもそもゲームに費やす時間がない(^_^;

以前は、スーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブ、ドリームキャスト、PS、PS2とゲーム機を持っていたし、そこそこゲームをやってもいた。仕事でゲーム関係の雑誌に関わっていたこともあり、ゲーム事情を知る必要もあったからだ。

ゲームをやりだすと、他のことができなくなる。圧倒的に時間を占拠されてしまうからだ。
だから、ネットゲームにはまってしまう人の気持ちはわかる。

そんなネットゲームについての記事。

ネトゲ廃人:【1】バーチャルに生き、現実世界で生きられない人、増える – 毎日jp(毎日新聞)

 寝食も忘れてインターネットのゲームにのめりこみ、学校や職場に行けなくなる人たちが現れ始めた。現実で生きることを放棄した彼らは、「ネトゲ廃人」と呼ばれる。廃人がひしめくバーチャルな世界で、何が起きているのか。

「廃人がひしめくバーチャルな世界」というのは誇張しすぎな気もするが、リアルな世界とバーチャルな世界の境界線は、この記事が示唆するほど隔たったものではない。

(過去に書いた関連記事↓)
リアルとバーチャルの狭間(1)
リアルとバーチャルの狭間(2)
リアルとバーチャルの狭間(3)
ネットと子どもの関係(1)
ネットと子どもの関係(2)
リアルとバーチャルとネットと(1)
※未完のまま終わっているが、関連することは書いている(^^;)

あることに没頭して、それ以外のことが考えられなくなる……ということは、ゲームに限らず誰にでも起こりうる。
趣味に対する執着……いわゆるオタク化は、対象がなにかの違い。切手収集、鉄道、ミッキー、ブランド品、資格取得、盆栽、骨董品……等々、年代や性別に関わらず、夢中になる人は多い。

その夢中になる対象に対して、惜しみなく資金を投じ、持てる時間の大部分をつぎこむ。
それがたまたま「ネットゲーム」になった人が、「ネトゲ廃人」というだけのことだろう。
ことさらにネットゲームが奇異の目で見られるのは、社会との接点が切れているように見られるからだ。コンピュータとネットを利用することから、無機質で人間性を感じられないといった先入観もあるように思う。

だが、そうした先入観は、ごく少数の極めて重症のネットゲーム中毒の人のイメージが背景にあるのではないか?
そのことは少年犯罪が起きたときに、「最近の子どもたちは……」という論調と同じだ。数人の凶悪犯のイメージが、数十万の子どもたちのイメージとして語られる。

記事中には、

 しかし国内では対策はおろか、ネットゲーム依存者の統計もない。人気ゲーム、FF11を運営するスクウェア・エニックスは「長時間プレーする人が何人いるのか、把握していない。わかっても、外に出す数字ではない」という。

……とある。
つまり、実態は把握されていないのに、「廃人がひしめくバーチャルな世界」と論じるのは矛盾している、というか根拠がない。
イメージ先行型というか「ネットゲームは悪」という前提に立って、記事が書かれているような作為的な悪意すら感じる印象だ。

ネトゲとは関係のない記事を読んでいて、似ているなと思ったのが、ワーカホリックについての記事。

残業代もなければ生産性も低い~日本人の「労働」に未来はあるか:日経ビジネスオンライン

 長時間労働が常態化している日本の正社員。当然、残業時間も長い。労働者1人当たりの平均年間所定外労働時間(サービス残業を含まない)は、2001年以後増加傾向で、2003年以後は150時間前後で推移している。『エンドレス・ワーカーズ』の著者、小倉一哉氏の調査によると、日本の正社員の約9割は残業をしており、「超過労働時間」(所定労働時間を超えて働いた労働時間。サービス残業を含む)は、1人当たり月平均35時間(年間420時間)。月に22日働く場合、サービス残業も含めて、1日当たり1時間半残業していることになる。また、職場だけでなく自宅で勤務時間外に仕事をする人も、全体の3分の1に上るようだ。(労働政策研究・研修機構の調査)

長時間労働は、労働者の疲労感を高め、働く意欲に悪影響を与えている。前述の小倉一哉氏の調査では、超過労働時間が月50時間以上の人の中で、「一日の仕事でぐったりと疲れて、退社後は何もやる気になれない」(=疲労感をもつ)ことが「ほとんどない」人は、回答者全体の3%に過ぎない。

労働や仕事に関する言葉を、ゲームに関する言葉に置き換えると、「ネトゲ廃人」の様子と近くなる。

仕事もゲームも、最初は自発的に始めるものだが、だんだんと自発性よりも習慣性や強制感、あるいは強迫観念から続けるようになる。いつでもやめられるが、簡単にはやめられない。仕事の場合は、生活するための収入を得る必然性があるが、ゲームの場合は達成感などの快楽を得るためだ。得るものが違うとはいえ、欲求を満たす行為のひとつではある。

仕事に依存し、家庭よりも仕事がすべてになるような中毒が「ワーカホリック」
ゲームに依存し、ゲームから抜けられなくなるのが「ネトゲ廃人」
両者を比べるのは、極端すぎるだろうか?

違いはあるかもしれないが、行き着く先は、心身の健康を害することであり、身近な人たちとの関係性の欠如やねじれだ。
仕事一辺倒で家庭をかえりみなかったお父さんが、家庭に居場所がなくなり、リストラや定年後になにもすることがなくなる……という状況は、ネトゲ廃人と似たようなもの。

典型的なのが「過労死」
過労死には強制力や極度の義務感も働いているが、限界を超えて抜けられなくなった結果ということでは、ネトゲ廃人と通じるものがある。

なにごとも、ほどほどに……ということだね。

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