今どきの子どもたちの環境を論じるときに、ネットは切り離せないものになっている。
 「」の問題は、「リアル」と「バーチャル」の関係でもある。
 ネットと子どもの関係が論じられるとき、その背景となる「問題」が誇張される傾向にあるようだ。
 問題を起こす子どもは、極めて限られているが、テレビなどで取り上げられることで、あたかも大多数の子どもたちが、同じような状況にあるかのような印象になってしまう。報道は事実を伝えてはいるが、事実以上の過大なイメージを見る人に与えてしまう。
 以下の記事も、問題提起としてはわかるのだが、問題の本質と実態がどうなのかは曖昧ではないだろうか?
ネットワークと子ども、悩みつづけるオトナ達(7) – ビジネススタイル – nikkei BPnet

乱暴にまとめれば、「携帯電話やパソコンを持たせていいのか」や「ネットを使わせていいのか」という原則的な問題を、「みんな」「友人」という関係性や、「」「先生」という権威でスリカエ、曖昧なまま増えつづけているのではないだろうか。意地悪にいってしまえば、だから、お父さんやお母さんは不安になるし、子どもとネットに関わる「事件」もなくならない。

 心配するのはわかるが、実態はどうなのだろうか?
 実態とは、ネットが子どもたちに浸透することによって、事件や犯罪、あるいは心身に影響が及んだ子どもたちが、実数としてどれだけいるのか?……ということだ。
 その客観的な数字は、提示されていない。

 似たようなことは、私たちが子どもの時にも言われた。
 コンピュータもネットも存在しなかった時代の話だ。
 当時、問題にされたのは「テレビ」と「」だった。
 テレビを見過ぎるとバカになるとか、漫画を読みすぎると読解力がなくなる、などと悪者にされて学校や親から規制された。この時代の子どもたちの夢中になったバーチャルが、テレビと漫画だったのだ。大人たちは子どもたちがテレビと漫画に接することに危機感を抱き、管理しようとした。
 私の田舎では、NHKの他に民放が1局しかなかった。現在と比べれば、見られる番組の選択肢は限られていたし、漫画雑誌も少なかった時代だ。
 それでも、「子どもたちには害」になると考えられた。
 だが、そんな環境で育った私たちが、問題のある大人になっただろうか?
 大多数の子どもたちは、ちゃんとした大人になったはずである。犯罪者になった人間もいるわけだが、その割合はどの時代でも大差がない。

 それに関連した記事として以下を。
ITmedia News:(3)「貧しい漫画」が向き合ってきた自由と責任と (4/4)

 松文館裁判で思い出すのは、その時の判決文の中だったと思うんですけれども、青少年の強制わいせつ事件の件数に触れた下りがあるんですね。昭和49年(1974年)の段階では年間2000件あったと。それがだんだん時代が下ってくると、だいたい4分の1くらいの水準で推移している。微妙な増減はありますが、激増したり激減したりはしていない。

 これは殺人を含めた凶悪犯罪とほぼ一緒で、だいたいこういったもののピークは昭和35年と、まあ、今の団塊の世代の方々が思春期だったころにピークがあるんですけれどもね、この世代はずーっと凶暴な世代なんですけれども、それは置いといて(会場笑い)、その後どんどん、そういう傾向は減少している。

 ゾーニングといっても、今は子どもであってもネットでいくらでもわいせつ画像が見られる状況で、最もアクセシビリティが高い時代になってしまっている。主にネットの普及によって、昔は隠れてこっそり見るようなものが、簡単に見ることができてしまう。そういう状況がにもかかわらず、犯罪件数が減少しているという点からだけでも明らかだと思います。

 この記事は、青少年と性描写の問題を取り上げているのだが、本質的な部分では共通した問題を含んでいる。
 ネット社会が拡大した現在と、私が子どもだった30年あまり前とは状況は違うだろう。
 それでも、大多数の子どもたちは、ネットを利用しつつも、健全に育っているはずだ。そう思うのは、もし、健全に育っていない子どもが大多数であるとするならば、子どもに関わる犯罪や問題は、もっと頻繁に大規模かつ広範囲に起こっているはずだからだ。
 言葉遣いが悪くなったとか、礼儀を知らない子どもは多いかもしれないが、それは程度の差はあっても昔もそうだったし、社会に出て行く年齢になると修正されていくものだろう。それができなければ、社会から脱落していくだけだ。

(つづく)

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