「非実在青少年」の非現実性

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 「非実在青少年」に関するコラムが、あちこちで書かれている。
 否定的あるいは批判的な意見が多いが、それだけ物議をかもしているともいえる。
 日経ビジネスオンラインでも、2人のコラムニストが取り上げていた。
 以下、その一部。

「非実在青少年」という概念は、アダルトっぽくないよね。:日経ビジネスオンライン

協議会の委員の方々が真摯に論じられたことは理解している。「例えばセックスのものすごい過激な、乱交の場面を書くとしても、その場面を書くことで、人間の肉体というものがどうしても感情と関わってきてしまうんだというようなことを書こうとすれば、その描写というのはどうしても必要になってくる」という発言もあった。「漫画と文学は全く違うと思います。アニメ、漫画と言っているので、文学の世界でどういう表現が認められて、世界的な作家がどうというのは全く関係がない」と言われると、ちょっと鼻白むけど。

 小田嶋氏の記事は皮肉たっぷりで、性的な表現の質的な問題に触れている。
 一方、以下の伊東氏の記事では、現実的な実在青年に対する配慮がないといった切り口になっている。

「非実在青年」都条例案:「机上空論」の穴だらけ:日経ビジネスオンライン

 文案は「青少年に対し、性的刺激を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれ」があるコンテンツに関しては、やたらと事細かに指定をしています。

 いわく「年齢または服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を早期させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性行為又は性交類似行為に係る非実在青少年の肢体を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」等々。

 条例案は「児童ポルノ」の規制にはやたらと雄弁で、もっぱら成人によって「青少年が性的対象として扱われることがないよう」「児童ポルノおよび当該図書類又は映画等の対象とならないように適切な保護監督および教育に努めなければならない」など、微に入り細に渉ってあれこれと書いています。

(中略)

 つまり今回の条例案は、素人の僕が読む限りですが「実在する被害者青年の傷ついた心」などはマトモに考えておらず、業者を丸ごと規制しやすい「非実在青年」などをめぐって、机上の空論で考えられた作文で、今目の前で起こっているネットいじめなど、本当に青少年の健全な育成を阻んでいる問題に、ほとんど実効力ある対策を持っていないもの、と映りました。

 両者をつきあわせて読むと、補完しあって興味深い。

 青少年に対する教育という観点からいえば、ちゃんとした「性教育」をしているのか?……と突っ込みたくなる。
 おしべとめしべの話では、生物の話で、性教育にはならない。私の時代はその程度のことでお茶を濁されていた(^_^)。パソコンも携帯電話もインターネットもない時代の話。コンピュータはあったが、大企業にしかないような巨大なものだった。
 性に関する情報は限られていて……というか、中高生には禁断の世界だった。現在の中高生とは雲泥の差の、蒙昧な時代だ。深夜の大人のTV番組、「11PM」は見てはいけないものだった(^_^)。
 女性の体のこと、セックスのこと、実体験としてのセックスのノウハウのことなどを詳しく知ったのは、青少年を卒業してからだった(^_^;

 性描写が芸術的かポルノかという区別の仕方は、恣意的かつ偽善的だろう。
 芸術的だから健全で、ポルノだから不健全などというのはナンセンス。
 やってることは同じ。セックスはセックスなのだ。
 表現の方法が違うだけだ。優劣をつけるのもナンセンス。
 根本的な問題として、裸が猥褻なのか、セックスが猥褻なのか、性が猥褻なのか……という問題。
 芸術性を判断するのは「大人」だ。あるいはその筋の権威。
 だが、性的に未熟な青少年にとっては、芸術性やポルノ性は関係ない。裸は裸なのだ。
 たとえば、絵画のボッティチェリの「ビーナスの誕生」は、芸術であることに異論はないだろうが、性に目覚めたばかりの13歳前後の男子にしてみれば、十分に性的好奇心を刺激する。
 芸術性うんぬんの論法は、性的な経験を積んできた大人の見解でしかない。自分が少年だったときを思い出してみればいい。著名な写真家が撮った芸術的なヌード写真でも、少年にはオナペットでしかなかったのだ。

ボッティチェリの「ビーナスの誕生」

ボッティチェリの「ビーナスの誕生」

 「非実在青少年」として、アニメや漫画が標的にされているのは、突き詰めてみれば、エッチなことを想像すること、妄想することも「不健全」だとしたいのだろう。
 では、健全なエッチとはなんなのだろう?
 健全な裸、健全な男女交際のあり方、健全なセックスの仕方、健全な性描写の仕方……など、それらを教育しなくてはいけなくなる。

 女性を見て、その女性の裸を想像してはいけません……とか。
 膝上10センチまでのスカートは健全だが、10センチ以上は不健全……とか。
 青少年の男女交際は、肌を接触してはいけない……とか。
 正常位は健全ですが、肘膝付位は不健全です……とか(^_^)

 規制をしようとしている人たちが、その対象物を「不健全」であると判断する根拠というか基準は、じつはその人たちの「欲望」によって選別していることを自覚すべき。
 「これは猥褻だ。不健全だ」
 と、感じるのは、そこにエッチな欲望をかきたてられているからだ。
 なにも感じなければ、ただの裸だ。
 人が、服を着ていない犬や猫に欲情しないのと同じ。
 規制したい人たちの、猥雑な深層心理が見え隠れする。

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