「まん防ドミノ」で詰み?

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「まん防ドミノ」で詰み?

「まん防」あるいは「マンボウ」が発動されたが、こんないいかげんな対策で効果があると、本気で思っているんだろうか?
その神経というか発想自体が、もはや危機的。
マンボウのどこに感染対策としての科学的根拠があるんだ?

「まん防」見通せぬ実効性 身内も「ギャンブルに近い」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 「まん防」は、緊急事態宣言に比べ国民に行動の変化を促すアナウンス効果が低いとみられる。政府内では、実効性が見通せない中で各地に「まん防ドミノ」が起きることに懸念の声も上がる。「まん防」に慎重だった政府関係者は「今回の適用はギャンブルに近い」。別の政府関係者は「まん防は中途半端な制度だ。国民が『まん防慣れ』してしまうと、次に緊急事態宣言が出た時の効果が薄れる」と語る。

緊急事態宣言よりもゆるいマンボウに、効果なんて期待できるはずもない。
大阪府知事が先頭に立ってマンボウの発動を要請したようだが、ただの政治的パフォーマンスになっているように見える。

対策やってます感」のためのマンボウなんだろう。
バカバカしくて、「あんた、バカ?」とアスカの罵声が聞こえてくる。
マンボウをやれば、感染拡大を防げる……という人、出てきてその根拠を説明してくれ。
おそらく、だれもそんなことは思っていない。本音では。

しかし、なにかしないと無策だ、無能だと非難される。
バカバカしくても、効果がなくても、無駄でも、手を打つ。次の有効な一手が思いつかなくても、駒を進めないといけない将棋みたいなもの。「まいりました」と負けを認めるわけにはいかないのだ。勝てなくても手は打つ。それがポーズでも。

まん防ドミノ」は、ちょっと笑ってしまった。
バタバタと各都道府県がドミノ倒ししていくのか。
そりゃそうなるわな。意味も効果もない対策だからね。
コロナ対策であたふたしている政府や自治体を見ていると、まるで戦時中の日本のように見えてくる。

私は戦後世代だから、ドキュメンタリーやドラマ・映画で描かれた戦時中の様子しか知らない。直近では、朝ドラの「エール」や現在放送中の「おちょやん」でも戦時中の様子が出てくる。嘘ばかりの大本営発表や、勝てる見込みのない無謀な作戦を強行したり、精神論で本土決戦と意気込んでみたり。
敵がウイルスになっても、「国民の努力」でなんとかなると思っているのは、戦時中と同じだ。
「自粛を要請」という言葉は、それ自体が矛盾しているのだが、言い方を変えれば「根性でなんとかなる」というのに等しい。

そう、日本の感染対策の最終兵器は「根性」なのだ。
根性でウイルスに立ち向かえ!……と、政府はいっている。政府が武器としてくれたのは、アベノマスクと10万円だけで、あとは「根性を出せ!」と叫ぶばかり。
感染した人は、根性が足りなかったくらいに思っているのではないか?

根性論の一端は、以下の発言にも現れている。

菅首相「奇策ない。粘り強く」 3府県6市に蔓延防止措置初適用 – 産経ニュース

対策本部で首相は「感染対策に奇策はない。ワクチン接種が行き渡るまでに飲食店対策、検査の拡大、医療体制の確保を粘り強く進めながら、感染拡大を食い止める」と述べた。

奇策はあるのだが、そのジョーカーカードは切れないだけ。ジョーカーとは「外出禁止令」だ。
法的に無理ともいわれるが、「飲食店に自粛を要請」できるのだから「国民に昼夜を問わず外出自粛を要請」もできるはずだ。言葉上、強制ではなく要請なので、法的な問題は起きないだろう。

当初は「科学的エビデンスに基づいて……」という言い方をしていたのだが、最近はその言い方はされなくなっている。
なぜなら、やってることの根拠に科学的エビデンスがないからだ。

頭のいい専門家たちは、とっくに気がついているはずだ。
今までやってきた対策ではだめだ」と。
感染拡大の主犯は若者ではなかった』でも触れたが、日本よりも厳しいロックダウンをした国や地域でも、感染拡大は阻止できなかった。日本が根性で対抗しても、阻止はできないのは明白。

だが、専門家たちは「だめだ」とはいえないのだろう。
それは政府への忖度なのか、自身の保身のためなのかはともかく、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」とばかりに、無駄だとわかっていても歩調を合わせるしかないのかもしれない。

小池都知事や吉村大阪府知事は、感情的に市民をあおることで共感を得ようとしている節がある。エモーショナルに訴える方がわかりやすいのだが、それでは本当に必要な対策がなんなのかが曖昧になる。

マンボウは悪手だと思う。
これでは詰みになってしまうよ。

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