ゴーストライターについて思う

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 楽曲を代作していたゴーストライターについて、多くの記事が書かれているが……
 現在の明らかになっている事情から察する、当事者の心理については想像の域を出ない。
 そんなコラムのひとつ。

ゴースト考—-江川紹子さんの論考から – 高瀬文人の「精密な空論」

 まず、この記事をお読みください。

 彼はなぜゴーストライターを続けたのか~佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える

 違う、と思います。江川さんは、ゴーストライティングをやったことがないのでしょうか。

 ゴーストは、確固たる自分のアイデンティティを持っています。でないとできない仕事です。
 なぜなら、ゴーストは発注元の意図に合わせ、狙った効果を最大限発揮できるよう、自分の技術を投入する、できるからゴーストとして働けるのです。自作、つまり自分の表現意図と自分という表現者を同一視するのとは全く違う心理で仕事を進めるものです。

 私も江川さんの分析は、ちょっと飛躍しすぎだと思うし、高瀬さんの分析にほぼ同意。

 じつのところ、様々なジャンルの作品を作る、クリエイティブな世界では、ゴーストライター的な仕事はごく当たり前にある。
 いわゆる、裏方やスタッフ、あるいは下請けで仕事をしている人たちだ。

 私の仕事は出版関係のグラフィックデザインだが、AD(アート・ディレクター)の指示に従ってデザインを作る。
「シャープで格好良くて、勢いのあるデザインで」
 指示とはそんなものだ。佐村河内氏の指示と大差ない(笑)
 抽象的なイメージで、それを私が形にする。いくつかの案を出して、ADはその中からチョイスして、クライアントに提出する。
 私のデザインを採用した書籍などが出版されても、デザイナーとして名前が出るのはADの名前であって、私ではない。会社組織の中のデザイナーなので、私の名前が表に出ることはない。

 芸能人や各界の著名人が本を出すことがあるが、当人が執筆することは珍しくて、多くの場合、取材で聞き出したことをゴーストライターが本として書き上げる。あるいは、当人が書いたものをもとにして、ライターが書き直し(リライト)することも多い。文章の素人なので、誤字脱字や意味不明な部分が多いためだ。インタビュー記事なども、インタビューをそのまま書き起こしただけでは読み物にならないから、編集者があとから文章を足したり修正したりする。
 当人が100%執筆した本というのは、小説を除けば少数派だ。

 Wikipediaで「ゴーストライター」を引くと、その有名な例が出ている。早くも、佐村河内氏のことが追記されていた。

 ゴーストライター – Wikipedia

ゴーストライターの例

●赤塚不二夫 – 漫画以外のエッセイなどの活字の仕事はほぼ全てが長谷邦夫や高平哲郎や奥成達などのブレーンによる代筆。
●池島信平 – 菊池寛の『日本将譚』などの代作をした。
●伊藤整 – 川端康成の『文章読本』の代作をした。
●大黒摩季 – 作詞クレジットが後に「作詞:ビーイングスタッフ・大黒摩季」となっていた。詳しくは大黒摩季#ビーイングスタッフ表記問題を参照。
●海江田万里 – 野末陳平の著書の代作をしていた。
●梶山季之 – 川端康成の新聞小説『東京の人』の代作をした。
●春日原浩 – 江本孟紀『プロ野球を10倍楽しく見る方法』のゴーストライター。
●川端康成 – 菊池寛『不壊の白珠』の代作をした
●木村和久 – 学生時代にビートきよしの代作。
●小島政二郎 – 徳田秋声の童話のほか、『赤い鳥』で主催の鈴木三重吉ほか、多くの童話を代作した。
●堺屋太一 – 趣味が高じてプロレス本『プロレス式 最強の経営 「好き」と「気迫」が組織を変える』を執筆したが、自分の名義ではなく『週刊プロレス』編集長のターザン山本を著者として立てて出版し、印税も受け取らなかった。
●佐藤碧子 – 菊池寛の『新道』などの代作をした。
●重松清 – 複数の名義でゴーストライターを行い、ゴーストの帝王と呼ばれていた
●篠原善太郎 – 池田大作の『人間革命』を実際に書いている[23] ●清水義範 – 下積みの頃にアルバイトでアン・ルイスなどのゴーストライターを行う。
●志茂田景樹 – 創価学会で、『人間革命』の代作者に選ばれたが、実際に書いたかどうかは不明(『折伏鬼』)。
●瀬沼茂樹 – 川端康成の『小説の研究』の代作をした。
●竹村健一 – 1982年に著書の盗作が指摘された際、ゴーストライターが書いたもので自分の責任ではないとした。
●津田信 – 小野田寛郎の手記のゴーストだったことを明かし、『週刊ポスト』で小野田を幻想の英雄だとする告発●手記を発表して話題になった。
●内藤三津子 – 神彰『怪物魂』のゴーストライター。
●中里恒子 – 川端康成の『花日記』を代作した。『乙女の港』は共同執筆とされている。
●長門裕之 – 『洋子へ』が暴露本として騒がれると、ゴーストライターが書いたもので、原稿チェックもできずに勝手に暴露本にされたと説明した。
●新垣隆 – 「現代のベートーベン」として名高い佐村河内守の代表作交響曲第1番 (佐村河内守)のゴーストライターであることが、告発により判明した。その結果佐村河内は価を著しく低下させることとなった。
●花田清輝 – 康芳夫『虚業家宣言』のゴーストライター。
●半藤一利 – 『日本のいちばん長い日』は当初大宅壮一の名義で発表された。ただし文春スタッフの共同作業ともみられる。
●村島健一 – 堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』のゴーストライターを担当。
●横溝正史 – 江戸川乱歩の『あ・てる・てえる・ふいるむ』など3作品の代作をした
●横光利一 – 菊池寛『受難華』の代作をしたことがある
●龍胆寺雄 – 川端康成の「空の片仮名」が代作だと指摘した。

 これらに共通しているのは、作品を発表後に代作だったことが明らかになっていることだ。最初から「ゴーストライターが書きました」とは言えないのだから、当たり前ではあるが。
 ようするに、作品を「商品」として売るために、作家のネームバリューや権威を利用しているから、ゴートライターが存在し必要とされているわけだ。

 高瀬さんが書いているように、ゴーストライター的な仕事をする人は、技術を提供しているという意識だと思う。加えて、自分の技術なり能力を発揮できる場があることに喜びを感じたりする。裏方として職人的な仕事が向いている人もいるのだ。

 今回の代作問題で罪なのは、長きにわたって様々な嘘を通してきたことだろう。
 共作といえるかどうかはともかく、新垣氏の存在を共作者としてクレジットしておけば問題にはされなかった。ただ、そうした場合、「現代のベートーベン」という評価はされなかったかもしれないが。

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