世界のドキュメンタリー「“気候正義” 森を守る英独市民の闘い」|NHK BS1

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 気候問題に関するドキュメンタリーを見て思ったこと。
 この問題は、なにを優先するかの究極の選択だ。自然保護なのか、経済発展なのか、あるいは便利で豊かな生活なのか、不便で我慢の生活なのか。
 どちらを選択するにしても、なにかを犠牲にしなくてはならない。

世界のドキュメンタリー「“気候正義” 森を守る英独市民の闘い」|NHK BS1

“気候正義” 森を守る英独市民の闘い-1

露天掘りの炭鉱

 2022年、イギリス制作の番組。
 ドイツのノルトライン・ウェストファーレン州、ハンバッハの森と、イギリスのダラム州、ポント・バレーを舞台とした、環境保護活動を取材していた。

 最近、名画を汚す環境活動家のニュースがあったが、そのやり方は間違っていると思った。そんなことをしても、多くの人の共感は得られない。あれでは環境保護を名目にした汚しテロにしか見えない。汚物を浴びせられたゴッホやダビンチの名画が、とんだとばっちりだ。画家の作品に、環境破壊の責任はない。

 この番組では、比較的真摯な態度で環境保護活動をしている人々を追っていた。
 過去記事の「リチウムを獲得せよ! 欧州エネルギー安全保障と新秩序」でも触れたが、便利で豊かな生活を求めれば、誰かが理不尽な代償を払うことになる。脱炭素のためにリチウムが必要だからと、ある地域の自然を破壊する。
 それが冒頭にも書いた、選択問題だ。

 「石炭はいらない」というのはわかる。
 では、その代替エネルギーはどうするのか?
 再生可能エネルギーにすればいいというが、前述したように必要なリチウムをどこかの地面から採掘しなければならない。太陽光発電でも、それを作るための資源はどこかを掘り返さないといけない。代償は常につきまとう。

 非暴力での活動には頭が下がる。名画を汚すよりは、共感できる。
 番組では、企業側や警察を「悪」のように描写されていたが、彼らとて自身の仕事や生活があり、不本意であっても命令には逆らえない立場だろう。仕事を放棄することは、職を失ったり、自身の生活を窮地に陥れることにつながる。それは簡単にできることではない。警察官にも同情の余地はある。

“気候正義” 森を守る英独市民の闘い-2

活動家たちを排除しようとする警察。

 警察は公権力であり、すなわち政府側だといえる。その強引な手法を見ていると、ロシアでの反政府勢力の排除と同じだなと思った。
 同、世界のドキュメンタリーで、「プーチン政権と闘う女性たち」を思い出した。
 専制政治のロシアと、民主国家であるはずのドイツで、やってることがほぼ同じという皮肉。活動家たちにこじつけの罪を着せて逮捕したり、有無を言わさず強制排除するやり方は、ロシアの警察と一緒。
 民主主義って、なんなのだろうね。

“気候正義” 森を守る英独市民の闘い-3

「“気候正義” 森を守る英独市民の闘い」より

 この企業側の発言も問題だが、その石炭を必要とする工場や発電所があり、それによって雇用が維持され、さまざまな製品や電力の恩恵を人々が受けている。採掘企業の強欲さだけが問題なのではなく、社会の強欲さが背景にある。

“気候正義” 森を守る英独市民の闘い-4

村のすぐ近くにある露天掘り炭鉱。

 日本でも似たような問題はある。
 たとえばゴミ焼却場の建設をめぐる反対運動。「私たちの町にゴミ焼却場を作るな!」というのはわかるが、では他所に作ればいいのか? その他所の町でも反対はされるだろう。じゃ、ゴミの処分はどうするんだ?……という堂々巡り。
 どこにも処分する場所がなければ、公共サービスとしてゴミは収集できないという話になってしまう。各自が庭で燃やすのか? 各自の土地に埋めるのか? マンション住まいの人たちはどうすればいいのか?
 答えが出せない問題になる。

 活動家たちは苦戦を強いられるが、紆余曲折の末、いちおうの成果を上げる。

“気候正義” 森を守る英独市民の闘い-5

活動の末、イギリスの炭鉱は閉鎖された。

“気候正義” 森を守る英独市民の闘い-6

ドイツの森は保護されることになった。

 環境保護活動の成果を謳っているが、では炭鉱の閉鎖で得られなくなったエネルギー源をどこから、どうやって調達するのか?……という別の問題が発生しているはずだ。
 その解決策として、セルビアのリチウムを採掘すればいいとなると、セルビアの環境と人々の健康が損なわれる。これでは、「自分の住む町(村)でなければいい」という話になってしまう。

 活動家はいった。

僕たちがあそこまで抵抗しなかったら、森は間違いなく消えていただろう。脱石炭や気候問題についても、これほど盛んな議論にならなかったはずだ。多大なコストや犠牲をともなったけど、その価値はあったと思う。

 番組中でも触れられていたが、警察による活動家たちの排除中に取材記者が木から落下して死亡したという。それも犠牲のひとつだ。

 締めくくりの活動家たちの言葉。

森が世界を変える希望を取り戻させてくれた。ハンバッハの森を守ったのは法律ではなく社会運動、つまりは私たち。

世界規模の問題だから、解決には世界規模の団結が必要。

人々は変化に飢えてるし、生き残るために変革が必要だ。

まだ始まったばかり、続けなければ。

政府も気候会議も頼りにならない。自分たちの手で自らを救うしかない。

一つの森を守ったところで自然破壊はやまない。システムを変えなきゃ。

現代の経済システムは、生態系がなければ資源は保てないという事実を無視している。人間の驕りだと思う。

希望は行動から生まれる。今から歴史を変えられる。

 見ていて思うのは、エゴとエゴのぶつかり合いだということ。
 根本的な問題を直視していない気がする。
 便利で豊かで快適な生活を維持するためには、エネルギーが必要だ。そのエネルギーを得るためには代償がともなう。
 環境保護を進めるためには、エネルギー消費量を劇的に減らす必要がある。節電というレベルではなく、電力の供給を制限するレベルにまで引き上げる。たとえば、1日12時間だけとか。スマホを使えなくても、冷暖房が使えなくても我慢する。そのくらいしないと、大量のエネルギー消費は抑えられない。

 現在の生活水準を維持しつつ、環境を保護する……というのは、たぶん無理。人口が多すぎるのも、それに拍車をかけている。
 自然界のエントロピーの収支が合わないからだ。一定の秩序を保とうとすると、同等の無秩序を生み出す……エントロピー増大の法則だ。

 もう一度、いう。

 この問題は、なにを優先するかの究極の選択だ。

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