タイムトラベルで抜け落ちている視点

タイムトラベルで抜け落ちている視点

……時間移動についての考察記事。
面白いのだけど、ちょっと疑問に思うこともある。
前にも書いたように思うが、おさらいも兼ねて。

タイムトラベルはどこまで可能か、についての哲学的考察(青山 拓央) | 現代新書 | 講談社(1/4)

タイムトラベルをする主体は、通常の時間経過ではたどり着けないある時点に到着するわけだが、その到着時点が未来ならそれは未来へのトラベルであり、過去ならそれは過去へのトラベルである──。

タイムトラベルの行先が未来か過去かによる分類。これは明快なものに見え、事実、きわめて多くの機会にこの分類は使用されている。だが、この分類は本当は、見た目ほどすっきりとしたものではなく、タイムトラベルとは何かを考えていくにつれ、「未来に行く」あるいは「過去に行く」という表現の曖昧さが気になってくる。

未来か過去か……という定義は「現在」をどう定義するかによる。
「時間は流れている」と表現するが、それは抽象的な表現であって、流れているのが時間なのか宇宙なのかは不明だ。

この思考実験を電車にたとえる。
私たちは電車に乗っている。電車とは、私たちを含む宇宙だ。
そして、線路が時間とする。

「時間が流れている」と動く主体が時間の場合は、電車は静止しているが線路が動いていることになる。線路が動くことで、あたかも電車が走っているように錯覚する。
「宇宙が時間の上を流れている」と、主体が宇宙の場合は、時間である線路は静止していて、電車が線路の上を走ることで時間が流れる。
どちらの場合も、電車に乗っている人には、電車が走っていると認識される。

私たちの主観的感覚は、前者の時間の方が動いている場合だ。線路(時間)が勝手に動いていて、電車に自由はなく、止まることも戻ることもできない。
この世界の「現在」とは、電車と線路が接している部分となる。仮に時間が止まったとしても、電車の中の人にとっての現在は変わらないため、止まっていることにも気がつかない。線路が動かない限り、時間は進みも戻りもしないので、電車の中の人は電車から出ることもできない。
これを「動く線路時間説」とする。

つまり、時間が流れることの主体が「時間」そのものにあるのだとすれば、現在時間から離れて行動することは不可能となる。電車から降りるということは、時間のない世界に降りることになってしまうからだ。

では、主体が電車()の場合はどうなるか。
線路には時間の目盛りが刻まれていて、そのレールの上を電車が進むことで、時間が進む。動力は電車にあり、速く走ることも止まることも戻ることもできる。
「現在」が線路との接点であることには違いはないが、どの時間上に接するかは電車しだいとなる。電車の進行方向が「未来」とするなら、後方は「過去」となる。しかし、主体は電車にあるため、進行方向を変えれば、後方の過去に向かって走ることも可能だ。
進行方向が未来だと定義するなら、線路上(時間上)に未来と過去の区別はなく、どっちに向かって電車が走るかが重要になる。
これを「動く電車時間説」とする。

電車が主体の場合であれば、時間移動……タイムトラベルは可能になる。
天動説と地動説に似たような話で、どっちが動いているのかという話でもある。

時間の流れを「川の流れ」にたとえることもある。
川に浮かぶ船が、私たちの宇宙だ。
川は高いところから低いところに流れる。時間の川は過去から未来に流れるというわけだ。
そこに浮かぶ私たちの船には動力がなく、ただ流されるだけ。
それが船の宇宙で感じる時間だ。

この場合は、川を自力で移動できる船があれば、時間移動は可能になる。
しかし、川は常に流れているため、上流に戻ったとしても自分たちの過去なのではなく、別の時間になってしまう。下流に進んでも同様で、その未来は別の未来である。
連続性のある時間の流れは、船の宇宙にいる人たちだけにしか認識されない。船から離れると、異なる時間になってしまうからだ。
これを「時間の川説」とする。

時間テーマのSFやアニメは多い。
しかし、時間に関する設定は曖昧だ。
前述した、「動く線路時間説」「動く電車時間説」「時間の川説」と、これだけに限らないが、どの時間定義を前提にするかで、タイムトラベルは可能かどうか、どういうタイムトラベルになるかが変わる。

時間テーマの物語では、タイムトラベラーが過去なり未来なりにジャンプすると、なぜかジャンプする前の記憶を保持している。
時間が外的環境要素だとするなら、人間はその影響下にあり、「現在」から離れると「現在」を保持できなくなる……と考えられる。宇宙空間に出るときには、宇宙服の中に生存できる環境を封じ込めるように、時間移動するときには現在時間を封じ込めて時間環境の連続性を保つ必要がある。そうでなければ、異なる時間に支配される。もはや、それではタイムトラベルにはならなくなる。

また、ある地点の過去や未来にジャンプするときは、空間的距離も移動する必要がある。
このことは多くの時間テーマもので無視されている(^_^)b

たとえば、渋谷駅前で500年前の時代にジャンプしたとする。
時間だけを戻った場合、タイムトラベラーは宇宙空間に放り出されることになる。
なぜなら、地球は自転していて、太陽の周りを公転していて、太陽系は銀河系の中を回っていて、銀河系は銀河団の中を移動していて、宇宙は光速に近いスピードで膨張している。
500年前の渋谷の空間座標は、とてつもなく遠い宇宙のある一点なのだ。

タイムマシンを造るとしたら、時間を移動するだけでなく、光年単位の距離を飛べる宇宙船としての機能も必要になる。生身でジャンプしたら、確実に死ぬ(^_^)。
そういう意味では、時間テーマものの世界は天動説の世界なのだ。

「親殺しのパラドックス」というのが時間テーマにはある。
子供が両親の結婚前に親となる人物を殺したら、殺人犯の子供は産まれないから、親殺しができない……というパラドックスだ。

この時間の設定は、歴史は一本道で、映画のフィルムのように過去も未来も動かしようのない確定事項である……という前提だ。
言い換えると、過去と未来は常に存在していて、行くことが可能だとしているわけだ。ただし、タイムトラベラーが自分の現在時間の連続性を保てる装備をつけていないと、時間移動すればその時間の影響下にさらされる。

しかし、「時間の川説」の時間では、連続性のある過去に戻ることはできない。100m(100年)上流に戻っても、そこに流れている時間は別の時間だからだ。船の人たちの過去とは、記憶と痕跡に残されたものでしかない。未来も確定しておらず、船が100年下流に辿り着くまで船の人たちに未来は訪れない。

我々の宇宙では、時間はビッグバンとともに発生したのだろう。宇宙の膨張そのものが時間なのかもしれない。宇宙の膨張速度が速くなっているらしいから、それが時間の流れの違いなのだとしたら、初期宇宙の時間はゆっくり流れていたともいえる。たとえそうだとしても、私たちには違いがわからない。

そこまで踏み込んだSFにすると、今までにない時間テーマSFになるんだけどね。
アイデアは出したから、誰か書いて(映像作品を作って)くれよ(^_^)b

 

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