昨晩放送の、NHKスペシャル、『スペース・スペクタクル』第1集「宇宙人の星」を見つけ出せ…は、近年放送されたNスペの中でも、科学番組として最悪だったね。
いやもう、これは笑うしかない(^o^)
この番組のディレクターの科学的センスが、いかに幼稚かというのがわかった。
「ボーと生きてんじゃねーよ」
……と、チコちゃんに叱られるレベル。
▼番組公式サイト
櫻井翔が宇宙へナビゲート NHKスペシャル 『スペース・スペクタクル』
取材を受けている科学者たちの研究や発言は、真摯なものだ。それは傾聴の価値がある。
しかし、そのせっかくの科学的エッセンスを、ちんけな宇宙人に結びつける強引さがバカバカしい。
「赤色矮星の惑星に生命が存在しているかもしれない」
というところまではいい。
研究者が想像した架空の生物の描写は、あくまで想像であって科学的根拠の説得力は乏しい。それらはウルトラマンに出てくる異星人や怪獣と大差がない。バルタン星人やカネゴンだって、科学的な理由づけをすることは可能なのだ。
スタジオのセットや、CG、着ぐるみ等に力を入れたのをアピールしたいのだろうが、大仰に科学的な異星人の姿……などと自画自賛するようなものではない。台本とはいえ、三文芝居につきあわされている櫻井君が気の毒だったよ(^_^)。
太陽系外惑星や地球外生命を探している科学者は、「宇宙人」を探しているのではなく、生命活動の痕跡を探している。
「人」ではないのだ。
そこをはき違えている。
もちろん、この銀河系を含む広大な宇宙のどこかに、「宇宙人」と呼べるような知的生命体はいるだろう。そのことを疑う科学者はいないはずだ。なにしろ、宇宙には無数の星がある。地球だけが特別と考える方が不自然だからだ。
地球が奇跡の産物だとする。
「奇跡」というのが、確率的にどのくらい低いと奇跡といえるか?
仮に、1兆分の1の確率が奇跡だとする。
宇宙の銀河の数は、2兆個以上と考えられている。
天の川銀河には、約2000億個の恒星があるとされる。
2兆個×2000億個=4×10の23乗個の恒星
1兆分の1の確率で、地球のような惑星と知的生命が存在するなら、4000億個の恒星に宇宙人の惑星があることになる。
赤色矮星が注目されているのは、主星が小さくて暗いため、地球サイズの惑星を検出しやすいからでもある。
ただし、太陽系から比較的近い星に限られる。遠くなるほどに、赤色矮星そのものが観測しにくくなり、惑星も見つけにくくなる。
また、トランジット法は、地球から見て恒星と惑星軌道が重なる位置、つまり真横から見えていないと使えない方法だ。
生命の存在そのものは、赤色矮星の惑星でも可能だろうが、機械文明を生み出す知的生命体の存在には適さないだろう。過酷すぎる環境は、生物の進化にも制限がかかるからだ。生存するのにギリギリの環境では、体を大きくしたりする必然性がない。進化を可能とするには、生命にとって余裕のある環境があってこそなんだ。
深海の熱水噴出口が、生命の起源かもしれないともいわれている。そこに生息するバクテリアや甲殻類は、その環境に留まっている限り、進化は進まない。発生は深海だったにしても、生命は極限環境から出て、新たな環境に適応し、エネルギー代謝の新しい方法を身につけ、海から地上へと生存環境を克服した。
それが進化であり、進化とは生存のための冗長性、つまり余裕を生み出すことでもあった。
その余裕が、体を大きくし、脳を発達させ、知性の目覚めへとつながった。
熱水噴出口の近くに、深海人がいないのは、極限環境では進化する余地がないからだ。
同じことが、赤色矮星の潮汐ロックされた惑星にもいえる。
植物的な生命の可能性は高いが、動物的な生命は疑問符がつく。せいぜい微生物止まりのような気がする。
生命の形態は、地球型である必要はないが、地球にこのような生命が誕生したのは、これがオーソドックスな形態だからだと考えられる。
とするならば、「宇宙人」と呼べる知的生命体が存在する可能性は、我々の太陽と同等の恒星で、地球と同等の惑星である方が見込みはある。宇宙人を探すのなら、太陽と同じG型主系列星の中から探すのが道理というもの。
太陽系外惑星と地球外生命を、「宇宙人」に短絡させてしまった番組の作りは、情けないほどに科学オンチの発想だ。太陽系外惑星を真面目に研究している科学者を、バカにしているようにも見える。
第2集はブラックホールの話題らしいが、どういう科学オンチぶりを晒すのやら……。