結婚に対する、「幻想」というか「願望」というか「理想像」というのは、男女ともにある。
芸能ニュースで、熱愛が発覚すると「結婚はいつですか?」とバカのひとつ覚えの質問が飛ばされるのは、いつものこと。
結婚したら、今度は「子どもは何人欲しいですか?」と、出産することが当然のような言い分。
恋愛=結婚=出産、という図式が、方程式であるかのように考えるのは、価値観の押しつけだろう。
人それぞれで、状況や考え方は違うのだから、恋愛や結婚の考え方も違う。男女関係においては、画一的な「常識」はやっかいな慣習だ。
恋愛はたいていの人がする。
男がいて女がいれば、好きになる相手ができる。それが性的な本能に根ざしたものだとしても、恋愛はある意味必然だろう。
だが、恋愛の結果、結婚したからといって、関係がうまくいくとは限らない。
そんな記事が、以下。
おふたりさまの孤独:日経ウーマンオンライン【働く女性のモノローグ 誰にも言えなかったこと part2】
「でも、最近よく思うんですよね。仕事がデキる人が、必ずしも家庭で奥さんに気を配れるとは限らないんだなって」
彰子さんには離婚歴がある。「結婚すると男の人って変わる」。二度の結婚を通じて、そう感じている。
(中略)
実際、一度、知人と話をしていたら、「夫婦のすれ違い?普通、そういうものでしょ。完全に分かり合えている夫婦なんているのかしら? うちだって夫は家庭のこと何にもやってくれないわよ」と一笑に付された。ただ、一方で、夫に対するモヤモヤした気持ちが心の底におりのようにたまっていく。
「結婚すると男の人って変わる」
……というが、逆もしかり。
「結婚すると女の人って変わる」
……である(^_^)。
むしろ、変わらない男女の方が珍しいだろう。
というか、変わらざるをえない。
うちは結婚前に5年くらい同棲していたが、入籍だけの結婚後には、彼女は微妙に変わったね(^_^;)。
恋人時代は、同棲していても恋人関係という曖昧で危うい関係だ。その関係がいつ終わりになっても不思議ではない。そういう意味では、絶えず緊張関係がある。
ところが、入籍すると「安心」してしまうのだ。
正式に夫婦になったから、結婚には反対していた親から文句は言われないし、世間的にも夫婦であることを公言できる。同棲しているというのは、あまり表には出せないからだ。
緊張感がなくなったというのが、一番の変化だった。
もともと同棲していたから、生活そのものが大きく変わったわけではなかった。
だが、恋人関係の緊張感がなくなったのは、ある種の寂しさにも思えた。「安心」を手に入れた代わりに、ふたりを結びつけていた強い危機感が失われた。危機感の喪失は、「恋」の終わりを意味していた。
もちろん、今でも彼女のことが好きだ(^_^)。
ただ、恋人時代のような緊張感のある「好き」とは違う気がする。
結婚は、好きになった人とはいえ、赤の他人が生活をともにするのだ。親子や兄弟だって、必ずしも理解しあっているとはいえないのに、赤の他人で、しかも異性と理解しあえるはずがない。
理解しようとする努力は必要だ。
それが、思いやりであったり、優しさだったりする。
だが、完璧に理解なんて、絶対にありえない(^_^)
なにがしか、いつも誤解や勘違いが存在する。
まったく関係ない別のサイトの記事に、関連した話題があった。
対談・肉食と草食の日本史:(最終回)世界中が日本化する? 草食男子と少子化の未来 – ITmedia News
本郷 ただ、今の時代で本当に厳しい問いかけは、「これからの時代はどうなるのよ?」という問題ですよね。
統計的にも30代の多くは未婚のままですし、個人レベルでは独身生活が長くっても、ほとんど問題がない。ただし、これは大きく見ると少子化とも密接につながる問題なので、そこを忘れずにいることは非常に大事だと思います。
堀田 労働スタイルも流動化してしまって、「終身雇用? なんスかそれ、ぷぷっ」という世の中になった。同じように、一人の異性と一生添い遂げるという恋愛スタイルもとっくの昔に過去のものになったので、いかなるパターンでもなんでもアリという、多様なあり方を許容する方向性で行ったほうがいいんじゃないかと思います。
(中略)
堀田 統計では「家族と過ごす時間が一番大事」など、保守的な価値観を持つ人が増えているようなんです。でもこれは実情がどんどん流動化してしまっているからこそ、逆に「家族とはこういうものだ。ママ愛しているよ、チュッ」と、当為の理想が顕在化しているのかもしれませんね。
僕自身は、もう労働も、家庭も、すべて流動化を前提にして税制や社会制度をつくるべきではないかと思っています。もうこうなったら、なんでもアリでぜんぜんオッケーですよ。多夫多妻だってどんとこいですよ。
こちらの記事は、肉食系・草食系をネタにしているのだが、結婚についての部分が面白い。
基本的に、結婚というのは契約だろう。
婚姻届という証明を出すことで、男女が夫婦であると、公に認められる契約。
これで晴れて「家族」というお墨付きが付く。
家族関係が明確ではないと、立ち入れないことや情報を提供されないことは、いろいろとある。たとえば、相手が入院したとき、家族以外面会謝絶……となったら、家族ではない恋人は排除される場合もある。
恋人や同棲しているだけでは、無条件に家族として認めてくれない。認めてもらうには、面倒な手続きが必要になる。
少子化の解決方法として、多夫多妻というのはひとつの方法かもね。そういう関係を許容できれば、だけど。
夫婦の場合、生活にかかる費用が一人暮らしに比べて倍になるわけではない。
独身のときに食費が月に5万円かかっていたとして、二人になったら10万円かかるかというと、そんなことはない。5万円で二人分まかなうことも可能なのだ。うちはそうなっている(^_^)
家賃や光熱費は二人になってもたいして変わらない。
つまり、ひとりで生活するより、二人で生活する方が、生活コストは安くできる。
多夫多妻が可能だとすれば、ひとりあたりの生活コストは下がるだろう。全員が働いていれば、世帯収入も人数分上がる。子育ても二人よりも三人以上の方が協力できるから、ひとりにかかる負担は減るだろう。……と、仮定の話ではあるが。
昔の大家族……親夫婦、兄弟夫婦、祖父・祖母といった3世代が一緒に生活していた時代というのは、擬似的な多夫多妻の生活形態ともいえる。コスト的にも家事や子育ての労力的にも、個々の負担が軽くなっていたから「家族」として機能していた。
じつのところ、夫婦だけ、あるいは夫婦と子どもの核家族では、形の上では「家族」でも、機能的には「家族」とはいえない気がする。
負荷の分散ができないからだ。夫か妻のどっちかに、負荷が偏ってしまう。
それが、日経WOMANの記事に出てくる夫婦関係だ。
記事中に……
結婚したら、何でも言い合えるし、八つ当たりもしちゃう。夫の中ではそういう関係こそが“家族”だと思っているみたい。
……とある。
夫が妻に、逆に妻が夫に、言いたいことをぶつけあっていたら、互いに文句ばかりを言い合ってしまう。
そんなの「家族」じゃないよ。
何でも言える……ということと、何を言ってもいい……というのは違う。そこが勘違いのもと。
何でも言える信頼関係が必要だが、相手への思いやりは必要。
権利と義務、あるいは自由と責任みたいな相関関係がなくては、意味がない。都合のいいところだけ要求するのは間違いだろう。
夫婦であっても、相手の心が読めるわけではない。
おおよその見当くらいはつくが、本当のところはちゃんと聞かないとダメだ。
夫婦というか、男と女の関係は、難しいのが当たり前。うまくいくように、互いに努力しなくちゃね。