富野氏が吠えていた(^_^)
 好きな監督ではあるし、氏が語ることは面白いものではある。
 持論を展開する気迫には圧倒されるが、論点を子細に見ていくと、やや的外れな部分も散見される。
 長いインタビューだが、読んでみる?
「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5) – ITmedia News

 水彩絵の具や鉛筆、コンテ、油絵の具などで描いていた時代は、多様な描き方があったんです。だがCGを使って描き始めた時、みんな基本的にほとんど同じじゃない? 質感の違いを誰が突破してる? どこかのソフトメーカーが作ったものを使ってその上にぺたぺた貼り込みしているだけでしょ。

 キャラクターのことで言えば、みんなが好きなキャラを作って、それが全部売れているかというと、売れていないじゃない。それでもキャラクターを作ったと思っているのは、めでたいよね。それがクリエイティブなアートだとなぜ思うのか。それは今、みんながそういう言葉使いをしているだけ。

 技術や言葉はとても恐いことがあって、自分はとても独自なことをやってるつもりでもほとんどコピー、まねのレベル。そこから抜け出すために……プロクリエイターになるにはどうするか。プロで重要なことは金もうけできるかどうか。食えないとしょうがないんだから。食えてなんぼ。

 揚げ足を取るわけではないが、たとえば上記の部分。
 手描きの絵とCGの対比を述べているが、一言にCGといっても多様である。絵の具の種類が多様にあり、どれを使うかによって画風も変わる。油絵といっても、様々な手法や流派がある。
 それと同じように、コンピュータを使って描く絵にも、様々なスタイルがある。ソフトによってできることが制約されるというのは事実だが、使い方は人それぞれ。ここでいっているのは、3DCGのことだと思われるが、モデリングの造形は作る人によってそれぞれだろう。
 所詮、絵の具もコンピュータも道具にすぎない。「質感」ということにこだわっているようだが、画家が絵筆や絵の具やキャンパスを自分で作るわけではなく、画材店で売っている既製品を買ってくるだけだ。違いは、どの画材を選ぶかだ。
 CGソフトを画材と考えれば、同じようなことだと思う。コンピュータの性能が低く、ソフトの機能も貧弱だった時代は、できることも貧弱だった。だが、現在では性能もよくなり機能も充実して自由度が高まっている。
 「手描き」ということにこだわるのなら、CGソフトに残された課題の一つだとは思う。2DCGであれば、かなり手描きの味を活かせるようになっているが、3Dではまだ制約が多い。しかし、それは技術的な問題であり、克服は可能だろう。

 別の例を挙げれば、写真はどうだろう?
 フィルムからデジタルに移行した時代だが、写真はすでにあるものをカメラで撮影するだけである。
 撮影者は、カメラを置いて対象物に向け、シャッターを切るだけ。
 対象物が風景、建物、オブジェ、人物という違いはあるが、対象物を自分で作ることはほとんどない。組み合わせることはあっても、それは誰かが作ったものであって、撮影者が作ったものではない。
 写真はクリエイティブではないのだろうか?
 それはそこにあるものを、ただ撮影してコピーしただけのものだろうか?
 カメラマンはクリエイターではないのだろうか?

 富野氏の論法でいけば、カメラマンは他人の製作物や自然にあるものを、ただコピーしているだけだということになる。ある場所、ある時間にカメラを置いてシャッターを切れば、誰が撮っても同じものが撮れる。そういう意味では、写真にはオリジナリティはなくなる。
 1から手作りするものだけが、クリエイティブなのだろうか?
 だとすれば、オリジナルの「質感」を出すためには、絵筆、絵の具、キャンパスから自分で作らなければ、オリジナリティのある質感にはならないのではないか?
 問題の本質は、道具や手法ではないと思うのだ。

「食えないとしょうがないんだから。食えてなんぼ」
 ……ということに関していえば、末端の動画アニメーターは、薄給で食えない人が多いわけだから、彼らはプロとはいえないことになる。私が動画アニメーターを辞めたのも、食えなかったからだ(^_^;
 アニメの制作現場で、クリエイターといえるのは、ごく一部の人たちだけだ。分業化が進んでいて、作業工程の歯車と化していることを考えれば、名前すら出てこない多くの人たちはクリエイターではないといってることになる。
 富野氏は、制作チームの中の各部署のトップに立て……といってるのだろう。それがクリエイターだと。
 たしかに、そのとおりではあるのだが……。

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