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 著作権に関する誤解、問題は少なくない。
 地上デジタル放送での、コピーワンス問題もそれに関するものだ。
 以下のブロガーの認識も、大きな勘違いがある。
小説家は死ぬと本が売れなくなる、絵描きは死なないと絵の価値が上がらない – Coffee Break

『小説家は死ぬと本が売れなくなる』というのは、「生きているときは死んだ後より本が売れる可能性がある」ということでしょうか。まあ、売れない本は生きているときも死んでからも売れないのであくまで可能性ですが。一方、『絵描きは死なないと絵の価値が上がらない』というのは、売れたとしても生きているうちはまた新たな絵が創作されてくるので安いよ~ということでしょうか。何となく、アーティストは、生きているうちは、あんまりお金入ってこないよ~と言っているように聞こえます。まあ、これが事実なのかどうなのかはアーティストではないので、正直わかりませんが、昔の画家、作曲家、小説家で今は有名な方の中に、本人は貧困な生活をおくっていたという話があるようなので、ある程度は事実なんでしょうね。

これは、当時、著作権がなかったから貧困な生活をおくったのであって、著作権がある画家、作曲家、小説家は貧困な生活をおくらなくても大丈夫ということなのでしょうか?おそらく、著作権は本当に偉大なるアーティスト(?)の生活の向上にはあまり寄与しないでしょうね。昔、本人が生きている頃はあまり評価されず、なくなってから評価された場合があるように、現在もそういったケースが多いでしょうからね。

 この記事の著者の勘違いは、「著作権」が「収益(売り上げ)を保障している」という点だ。

 著作権は、収益を保障している権利ではない。

 あらゆる著作物には、著作権がある。
 前述の勘違い記事にも著作権があるし、私が書いているこの記事にも著作権がある。
 それは著作物と著作した人の、基本的な権利を保障しているだけなのだ。
 収益が発生するかどうかは、それを市場に出す出版社や販売元との個別の契約に依存する。
 その契約の根拠となるのが著作権である。

 有名作家であろうが、新人作家であろうが、出版物を出すときには、出版社とその報酬について契約する。売れるかどうかは、その作品に市場価値がどれだけあるかによって決まる。著作権は、その作品が著作者のものであるという基本的な権利を保障しているのだ。

 ある画家が、生存中は不遇で、死後に評価されて作品が高値で売買されるというのは、著作権とは関係ない。
 ゴッホ(1853 – 1890年)などが好例だが、ゴッホの活躍した時代には著作権などは存在しなかった。
 最初の著作権の原型が誕生したのは、1887年。
 ゴッホの絵が近年高値で売買されているのは、コレクターが価値をつり上げているのであって、著作権とは無縁だ。

 著作権があっても、作品が売れなければ、作家やアーティストは貧乏なのだ。
 それは市場のニーズに左右される。

 また、記事中で例に出されていた、ムソルグスキーの「展覧会の絵」については、作曲されたのは1874年であり、ムソルグスキーは1881年没で法的な著作権は存在しなかった。
 同作品を編曲したラヴェルは、1922年にラヴェル版を出した。ムソルグスキーの没後、48年後のことだ。現在の著作権法に照らし合わせれば、死後50年は権利が保障されているので、権利を有する親族などに対価を支払う必要がある。しかしながら、著作権の考えが浸透していない時期でもあり、実際はどうだったのかは定かではない。
 したがって、ラヴェル版が著作権侵害に当たるのかどうかは、判断しようがない。

 記事は最後に、

そう考えていくと、著作権団体の主張って、アーティストを守るためとかではなく、昔の仕事で儲かっている人がその儲け口を減らさないためあるように思えてくるのですが本当のところはどうなのでしょう?

 と書いているが、とんでもない誤解である。
 著作権と儲けることとは、関係ない話なのだ。
 売れない作品は売れないし、売れる作品は時代を超えても売れる。
 著作権は著作者の権利を保障しているのであって、儲かることを保障しているわけではないのだ。

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