アップルとサムスンの特許闘争は、なにかと注目を集める。
 特許侵害かどうかは、法的な解釈ではあるのだが、一般のユーザーからみれば、アップルのiPhoneがなければ、その後のスマートフォンブームもなかったことは事実。
 サムスンが「真似」したことは誰の目にもあきらかだった。

悔しいサムスン、賠償より痛い「模倣品」の汚名 対アップル敗訴の衝撃 (1/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)

 米アップルと韓国サムスン電子の特許をめぐる法廷対決で、米カリフォルニア州北部連邦地裁の陪審がサムスン側のアップルに対する特許侵害を認定した。

 「ナショナルブランド」の全面敗北に韓国メディアは一斉に評決を非難する記事で反発しているが、アップル側は米国内でのサムスンの旧モデル製品の販売差し止めも申請、追撃態勢を取る。

 評決では製品を「模倣品」と断じられた。これはサムスンが最も重点を置くデザイン開発を否定されたことを意味し、今後の世界戦略に大きな影響が及ぶことは不可避だ。

 そもそもOSのAndroidが、iOSの模倣だとして故ジョブズ氏が怒っていたということから、サムスンがAndroidを採用したことが問題の発端だろう。
 それがAppleとGoogleの代理戦争といわれるゆえん。
 サムスンも独自開発したものだと主張するのなら、OSも独自開発すべきだった。
 これは日本のメーカーにもいえる。
 ガラケー時代には、日本のメーカーは各社で独自のシステムを構築していたではないか。その独自性を捨てて、無料のAndroidに飛びついたのは独自性を捨てたのと同義だ。

 iPhoneが登場して、日本では未発売だった頃。
 日本の携帯各社は、その先進性を認めながらも、日本では流行らないと豪語していた。物理キーではないディスプレイ上の仮想キーが、日本のユーザーには受け入れられないと読んでいたからだ。
 だが、ユーザーはiPhoneの「新しさ」をすんなりと受け入れた。
 もし、iPhoneが登場していなければ、物理キーがたくさん並んだスマートフォンが主流になっていたかもしれない。一時期、ブラックベリーが人気だったようにね。
 先鞭をつけたのは、間違いなくアップルだった。実際には、タッチキーの機種はそれ以前にもあったが、iPhoneほど洗練されていなかったために、先駆的ではあったものの時流を変えることはできなかった。

 アメリカの法廷が自国のアップルに有利な判決を下したという批判もあるが、それは当然の帰結でもある。逆に韓国ではサムスンに有利な判決を下している。裁判は個々の国で、それぞれの事情を反映して裁定されるから、厳密な公正さではなく政治的かつ国益にかなった妥当な判決なのだ。
 日本の裁判では、争点がやや違っているし、裁判のシステムが違っているために、少々首を傾げる判決になっている。日本では著作権や特許についての裁判が曖昧だという事情もある。アメリカのように、特許裁判が頻繁に行われるような状況にはないことも一因だろう。

 この一件は、日本の企業にとってもよい教訓だ。
 日本からの技術流出は、日本の首を絞めている。テレビにしろ半導体にしろ、日本の技術が海外に流出して主導権を奪われてきた。工場の海外移転で、現地の人々に技術を伝授して、それが味方からライバルに転身したり、リストラした人材が海外企業に流れて、技術も一緒に流出する。ライバルを自ら作り出してしまったのだ。
 だが、そのことで日本企業は訴訟を起こしたりはしてこなかった。事を荒立てたくないという国民性が、災いしているともいえる。

 アップルとサムスンが各国で裁判闘争をしているにもかかわらず、部品の調達先としての関係もあるというのは、日本の企業感覚としては理解に苦しむところだろう。
 裁判は裁判、取引は取引というドライな関係が、アメリカらしいともいえる。
 日本が世界についていけないのは、そういうメンタルな部分かもしれない。

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