小学生の象徴にもなっているランドセル。
そのランドセルが、子供の体重の半分にもなる重さになっているという。

「脱ゆとり」で重くなるランドセル 児童体重の半分に それでも「置き勉」禁止のなぜ (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

 子どもたちが背負っている荷物が「脱ゆとり」以降、重くなっているという。ある調査では、ランドセルやサブバックを含めた総重量が体重の約半分に達する子までいることもわかり、ツイッターでは「教科書の学校保管を進めてほしい」という投稿が2万6千リツイートされるなど話題になった。成長期の体への悪影響を懸念する医師もいる。だが、教室に教科書を置いて帰る「置き勉」は禁止する学校は多い。なぜ、重い教科書を毎日、持ち帰らなければいけないのか。

そんなに重いランドセルを背負わせるのは、もはや虐待といってもいいのではないか?

これを「ランドセル虐待」とでも呼ぼう。

体重の半分というと、大人の体重が60kgだとしたら荷物を30kg(80kgなら40kg)を背負って、通勤できるか?……てな話。
かなりキツイよ。毎日続けたら、確実に腰と膝を痛める。

私は撮影の遠出をするときに、フル装備の機材を持っていくと約20kgになるが、それをバックパックに詰め込み、背負って半日移動する。撮影ポイントでバックパックは降ろすから、休み休みではあるが、背負っての移動はかなりキツイ。たまにだからまだいいが、これを毎日やっていたら続かないね。

重いランドセルで、腰を痛めたり、発育に問題が出たりと、健康被害もあるのにランドセル虐待が続いているのが信じられない。
しかも、学校が子供に対して、ひいては教育行政が行っている虐待なのだ。
こんなことがまかり通っていいのだろうか?

日本は、虐待とかイジメに対して、鈍感だ。
当事者や弱者の視点に立って考えることができないのだろう。でなければ、あえて考えないようにしているのだろう。
教育にかかわる頭の禿げたお偉いさんたちは、自分たちも昔はガキだったことを忘れてしまったのか、記憶は抜けた毛とともに消し去っているらしい。官僚のエリートたちですら、記憶力はハエの頭程度しかないみたいだしね。

置き勉”(学校に教科書を置いて帰ること)が許されないというのも、理由に説得力が乏しいね。置き勉させないための理由をこじつけている感じ。
優先順位として、なにを重要視するかの問題。
子供に重いものを背負わせて、肉体的苦痛を与えるのが教育なのか? それがなによりも重要なことなのか?
現状、ランドセル虐待に堪えることが、子供に求められているということだろう。

電子立国の日本……といっていたのは、いつのころだっけ?
もう、このスローガンはお蔵入りしたのかな?
教科書を電子化して、タブレット端末だけ持ち運べばいいようにすればいい。
そんなこともできないほど、電子立国から落ちぶれてしまったのか?

教科書を電子化すれば、タブレットを持ち歩くことすら必要なくなる。教室の各自の机が端末になっていれば、手ぶらで学校に行っても勉強はできる。
帰宅してからは、自宅の端末から教科書を参照すればいいのだし、ノートも電子化してクラウド上に置いておけば、家でも学校でもノートを開くことができる。

巨額の設備投資はかかるが、難しいことではない。
やるかやらないか、教育の近代化をする気があるかどうかだろう。

安倍首相は、学校絡みで胡散臭いことをやっていたようだが、教育問題に影響力を行使するのなら、学校経営者に利するものではなく、子供たちに利することに影響力を行使してほしいものだ。

子供たちをランドセル虐待から解放する。

こういうアピールは、有効ではないかな?
教科書の電子化は、早くに実現すべきことのひとつだと思うよ。

 

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