「クリスマスについて」

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クリスマスについて

今日はクリスマスだ。

大部分がキリスト教徒ではない日本にも、イベントとして定着している。プレゼントを贈ったりもらったり、彼氏彼女とデートしたりと、本来の趣旨とは違う意義で浸透している。

クリスマスは一般的には、イエス・キリストが生まれた日(キリスト降誕祭)とされているが、これは厳密には間違いである。

なぜXmasと表記するのかといえば、ギリシア語のキリストの頭文字クリストス(ΧΡΙΣΤΟΣ)をとっているからだ。しかし、実際にキリストがいつ生まれたかは不明。歴史上最初の降誕祭は、紀元200年ごろの5月20日に行われた。

その降誕祭も、キリスト教初期には日付は一定されておらず、1月6日、3月21日(春分)、12月25日のいずれかが選ばれていた。325年のニケア公会議(第1回目のニケア公会議は325年。公会議というのは、全世界の司教が、教義、儀式などについて、審議決定するために開く世界会議の事。大掛かりな為、めったには開かない。)で12月25日に決定され、ローマ教会が12月25日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降からである。そして、379年からギリシア教会もこれに従った。

そもそも12月25日になったのは、古くからの冬至祭、とくにローマ人が行っていた年に一度の乱痴気騒ぎのサターネリフ祭(サトゥルナリアと表記するものもある。祭りの期間には奴隷も自由に主人の供宴に参加でき、年令、性別、階級といった社会的区分制度なしに、宴会、競技、行列などが催され、現代風に言えば、乱交パーティーのようなことも許されていた)を、キリスト教の祝祭に置き換えたのである。

ローマでは農業神サターン(綴りは、Saturn。悪魔を意味するSatanとは違うが、役割的には似ている。由来はギリシャ神話あるいは古いイタリアの神にあるとも言われる。クロノスのローマ名であり、「破壊者」「死の王」。生け贄を捧げ、彼を崇めて祭りを行ったのは、彼をなだめるためであった)の祭りサターネリフを、12月21日から31日まで行っていた(17日から1週間、という説もあり)。ここでは饗宴、性的放縦、贈答品の交換「幸運の贈り物」などの風習があった。特に12月25日は冬至の「後」で太陽がよみがえる日として記念されたという。

早い話が、キリスト教を浸透させ発展させるための、宗教と政治絡みの手段だったのだ。

クリスマスにはつきもののサンタクロースが登場するのは、もっとあとの時代である。

王政復古(1660年)以降、産業革命頃(18世紀後半)には貧富の差とともに過酷な労働条件の問題もあり、昔ながらのバカ騒ぎをすることもなくなった。クリスマスを祝う費用を出せない一般家庭においてはクリスマスは消失しかけた。

しかし繁栄のビクトリア朝(1837年〜1901年)でのアルバート公以降、隣人愛や宗教的心の復活により、家庭でのクリスマスが再び行われるようになった。そして、子供を中心とした祭りになっていった。サンタクロースの導入もこの頃に行われ、またツリー(アルバート公のドイツでの習慣)、プレゼント、カード、ディナー、などもこの頃で、これ以降「みんなで祝うクリスマス」が出現し、現在に至っているということだ。

サンタのモデルは、4世紀に小アジアのミュラの司教だった聖ニコラウスに由来し、その名は聖ニコラウスを意味するオランダ語のSint Klaesが英語化して、なまったものであるとされる。がしかし、これにも諸説あり、複数のルーツを持つ、同系統の由来が複合したものと考えるのが妥当なようだ。

さらに、サンタに馴染みのコスチューム……赤い帽子に赤い服は、有名飲料メーカー・コカコーラのCMが最初(1931年)だという。

さて、クリスマスはいずれにしても、キリスト教の発展と広がりに大きく貢献したのはたしかである。

キリスト教の聖典である聖書は、欧米人のものの考えかた、価値観の根底ともなっている。

俗に聖書といわれるものは、新約聖書の4つの福音書を指す。マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書が、その4つである。

その内容はいずれも基本は同じで、キリストが語ったり行ったことを手記風に書いたものである。書かれていることに共通点も多いが、書かれた年代によって書き足されたものや、別解釈になっている部分も多々ある。

この他にも多くの版が存在し、教会が聖典として認めているものが、聖書とされている。

アニメ「エヴァンゲリオン」で有名になった『死海文書』もまた、これらの福音書の一部なのだ。これらは外典や偽典と呼ばれ、異なった言語・宗派の福音書となっている。

それらの福音書は、キリストの死後(65年〜100年)に書かれ、まとめられた。内容が違うのは、書いた人物が違うからであり、執筆者の価値観も大きく反映されているからだ。

当時は筆記で書き写され広められたことから、異なる言語で書かれたり、書き間違いや脱落もあった。その不明な部分を埋めるのに役立っているのが、外典や偽典なのである。

『死海文書』が注目されるのは、代表的な4つの福音書にはない記述があったり、時代の異なる福音書の間を埋める記述があったりするからである。

いずれにしても、聖書はイエス・キリストを主人公とした物語である。事実も多少は含まれているものの、かなりの部分で脚色や創作も多いといえる。

そして、1900年に渡って、大ベストセラーとなっている物語だ。

聖書の中には、書かれた当時の価値観や比喩が多く登場する。それを解釈するには、当時の人々の考えかたや、生活習慣を知る必要がある。

現代的な解釈を加えているとはいえ、1900年前の教えが、いまなお通用するというのは驚くべきことでもある。時代とともに価値観や社会的規範が変わったとはいっても、思想の原点となるものがある欧米人は、確固たるアイデンティティを持っているのだろう。

これはユダヤ教やイスラム教にもいえることだ。

宗教的な違いが元となっている対立は、根が深い。それは単なる宗教的な対立ではなく、アイデンティティの対立――人間性の対立なのだ。

振り返って、わが日本ではというと、日本書紀や万葉集が、日本人のアイデンティティの核に根付いているかというと、残念ながら古典のテストに出題される以上の役割は担っていない。

……などと、クリスマスのこと、ひいてはキリスト教のことを、この機会にいろいろと知るのもよいのではないかと(笑)。

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