ネット記事で話題になっていた『100日後に死ぬワニ』
見るには見ていたが、あまり面白いとは思わなかった。
第一印象は、「下手くそなマンガだな−」だった(^_^)
それがなにやら、書籍化、映画化されることになって、炎上したという。
カンニング竹山『100日後に死ぬワニ』炎上に「モヤモヤした人ほど良いカモ」と警告 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
『100日後に死ぬワニ』が、叩かれている意味がまったくわからないんですよね。作者本人が「自分1人で始めた」と説明していますが、初めから書籍化とか大きなキャンペーンありきの企画だったとしても、何が悪いんですか? 最初は1人で描き始めたものでも、話題になれば編集者とかが「本を出しませんか」「映画にしませんか」って声をかけるのは普通のこと。逆に最初から書籍化ありきで「今は普通に出しても売れないから、こういう仕掛けにしよう」って100日間、毎日出していこうと考えたというのもアリでしょ。それなのにネットで見ているものについて、世の中の人が信じすぎているのが僕は逆に心配です。文句を言っている割に、純粋すぎているというか……。スマホやパソコンは自分の所有物だから、それで見るコンテンツも自分だけのもののように勘違いしているんですよね。いつのまにか陶酔しちゃって、ネットの中の物語を自分の世界に変えちゃっている。
金が絡むと「我々は騙された!」「人の利益のために俺たちは使われたんだ」って、勝手に妄想して、バカな人ほど騒ぐ。それがネットというか、ツイッターなどのSNSの常。なぜか? 理由は簡単です、浅はかだから(笑)。答えはそれしかないと思う。そもそもコンテンツがタダなわけがない。あなたが見ているネットニュースでさえ、すべて金が絡んで作られているし、今手にしているスマートフォンやパソコンだって、世の中にはめられて買ったものなんですよ。自分の生活のあらゆることが企業の戦略にまんまとのせられた結果だってことを忘れてないか?
いやー、同感だ。
たぶん、やっかみ半分の気持ちもあるのだろう。
そもそも、あの程度のマンガが、なぜそこまで大きく取り上げられているのか、そこが疑問だった。一度ならずも、度々取り上げられていたので、注目させようという意図が見え見えだった。
メジャーではない書き手(描き手)の作品を記事として取り上げるケースは、ちょくちょく見られる。それらは純粋なアマチュアということは希で、いちおうプロとして作品を発表している人であることが多い。記事は「面白い作品」として取り上げつつ、最後に出版した本の宣伝があったりする。ようするに、宣伝記事。
この手の記事は、タイアップであり、ネットの反応を見るための観測気球的なものだろう。
その反応に、『100日後に死ぬワニ』は手応えがあった。
これはいけるかもしれない……と、ビジネスサイドの人たちは考えた結果があれだ。
いずれにしても、きくちゆうき氏は宝くじの1等を当てたようなものだ。
無名の才能ある作家、注目されることのない良質の作品は、希少な存在ではあるが、スポットライトを浴びることはめったにない。
それこそ、幸運が必要な世界だ。
ワニは死んだが、100日目に次のステージへと転生したというわけだ。
いわば、壮大なハッピーエンド。
マンガに限らず、様々なジャンルでクリエイティブな活動をしている人たちは多い。
しかし、才能や作品を評価され、注目される人はわずか。
スポットライトを浴びるには、才能と努力だけではなく、幸運も不可欠な要素。
存命中には評価されずに、死後に評価されたアーティスト。
発明が斬新すぎて、発明者の死後にようやく実用化された技術。
時代を先取りした作品作りをしていたが、注目されることなく忘れ去られたり。
ネット上には、くだらないものも多いが、ときどき、ごくまれに、キラリと光る宝石の原石のような感性や作品が見つかる。
願わくば、そうした原石に、多少なりとも光を当てて欲しいと思う。