【レビュー】映画『未来のミライ』


細田守監督の新作、『未来のミライ』を、7/21(土曜)の夜、観てきた。

未来のミライ

未来のミライ

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜む……
ぶっちゃけ、正直にいってもいいっすか?(笑)

惜しい……というか、消化不良の作品。
感動はないです。
疑問符がたくさん残ってしまった。

細田監督は日本のアニメ界を背負う監督のひとりだと思っているが、この作品はあまり評価できない。
部分を切り取ると、いいシーンもあった。
ただ、物語としてのつながりが弱く、必然性も感じられなくて、つぎはぎの印象が強い。
言い方を変えるなら、多くのエピソードを詰め込みすぎ。
物語がラストに向かって、収束していないんだ。

最後、
「え? これで終わり???????」
と、唐突に物語はぶち切れる。
なんだ? この終わり方は?
観客は、おきてきぼりじゃないか。

以下、ネタバレになる部分があるので、要注意!

 

 

 

 

 

 

 

 

映画を観に行くときは、いつも妻と一緒なのだが、見終わったあとは、互いに感想をいう。
私と同じように、彼女も消化不良の作品だったという印象。

消化不良の原因はいくつかある。
その1つ目の理由は、細田監督の作品なのに、新海誠監督の『君の名は。』のイメージが重なってしまったことだ。

未来のミライ

未来のミライ

君の名は。

君の名は。

絵柄的にも似ていることで、余計にイメージがだぶる。
加えて、未来と過去を行ったり来たりするという、物語の進行も似ている。

作品としてはまったく別物だし、テーマも違うのだが、フィーリングとしてかぶる部分が観ていて引っかかってしまった。その引っかかりが、両者を比べてしまうのだ。

時間移動の理由づけは、どちらの作品もいい加減で、テキトウだし、ただのファンタジーにすぎない。それでも、『君の名は。』の方が、まだ整合性は取れている。しかし、『未来のミライ』は整合性は放棄していて、「夢」なのか「くんちゃんが体験したリアル」なのか、どっちつかずになっている。おそらく、夢とリアルが交錯しているのだろうが、立ち位置がどちらにあるのかわからないと、物語としてのリアリティにはならないのではと思う。

それと、未来のミライが登場するときの、条件が曖昧だったことも、観ていて「?」と思ってしまう一因だ。
家の中庭で、未来のミライが現れたり、(ゆっこ)が擬人化して登場するのが唐突すぎる。そこになにがしか「鍵」……呪文とか小道具とか……があれば、まだ納得しやすいのだが、これといって共通した条件はなく、未来や過去に飛んでしまう。
いきなり時間が飛んでしまうことで、違和感を引きずってしまう。

2つ目の理由。
くんちゃんの声が、子供っぽくないこと。
これは声優のキャスティングのミスだと思うよ。
声が4歳児には聞こえず、大人びている。歳が近い子役を使うか、子供の声が得意な声優を使うべきだった。声を担当した上白石萌歌の演技が悪いわけではなく、そもそも声がミスマッチなのだ。ちなみに、上白石萌歌の姉の上白石萌音は「君の名は。」の「宮水三葉」を演じていた。

3つ目の理由。
「未来のミライ」は、大きく分けると5つの世界がある。

  1. 女子高生(中学生?)になったミライが登場する世界。くんちゃんが高校生になった姿も登場する。
  2. 母親が子供だった頃の世界。
  3. 擬人化した犬のゆっこがいる世界。
  4. 戦後まもない頃の曾祖父の若かりし頃の世界
  5. 50年後か100年後かわからないが、近未来の鉄道が走っている世界。

家族の歴史を追いながら、みんながつながっている……という意図なのだろうが、それが散漫な印象を与えることにもなっている。少々欲張りなのだ。
5つの世界は、それぞれ単独の物語として掘り下げられる素材だと思う。それをあらすじ的にエピソードとして挿入しているので、食い足りない、物足りない印象にもなってしまった。

4つ目の理由。
細田監督の過去作品を思い出させるシーンが、随所にあった。
それはしかたのない部分でもあるが、「どこかで見たような……」という既視感が、新鮮味をそこなうことにもなっている。

未来からミライが過去に来るのは、「時をかける少女」だし、
家族の歴史がツリー状につながっている電脳空間のようなシーンは、「サマーウォーズ」を連想するし、
母親の子供時代で、くんちゃんと部屋の中をメチャクチャにするシーンは、「おおかみこどもの雨と雪
犬のゆっこが人間の姿になるのは「バケモノの子
……というように、過去作品のイメージをパッチワークのようにつなぎ合わせている感じがする。

じつは、この作品を見る前に、SFサークルの仲間と話していたことがある。

「自分の過去作品を自己コピーするようになったら終わりだね。宮崎駿監督も、晩年は過去作品の自己コピーになってしまった」

自己コピーというのは、同じものを複製するという意味ではなく、手法やアイデアで似たものしか作れなくなるという意味だ。それは、監督の個性ではあるが、過去の作品で見たことのある展開で、新鮮味がない作品となる。

『未来のミライ』は、その自己コピーに陥ってしまったようだ。
だから、惜しい作品なのだ。

細田監督には期待しているので、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』……ときた一連の作品のイメージから、離れた方がいいのではないかな。あるいは、他の人の原作付きで自分では書かないような世界観の物語に挑戦した方がいいかもしれない。

これまでの路線が、自分のカラーだと突き進むのもいい。それはそれで方向性だとは思う。
次回作、どんな作品になるのか、楽しみにしています。

LINEで送る
Pocket
LinkedIn にシェア