昨今のネット事情やデジタルコミュニケーション事情の記事を読んでいて、いつも感じることがある。
それは「既視感」だ。

記事を書いている人の年齢や、デジタル環境との関わり方にもよるが、ある状況がつい最近になって現れたかのように論じている。

以下の記事でも、既視感を感じた。

時代に取り残されそうな“バブル・オトコ”の苦悩:NBonline(日経ビジネス オンライン)

 頭では分かっているつもりでも、“”“mixi”“You Tube”“ニコニコ動画”と次々に現れる新しいデジタルコミュニケーションを使いこなすのは、今の若者たちのように容易ではありません。既に“自分は今の時代についていくのはもう無理だ”とギブアップしてしまっている人たちも少なくないでしょう。そんな中で我々“アラフォーなマーケッター”たちはこれからも、かなりのスピードで進化し続けていくであろう“新しいコミュニケーション”の一歩先を行くためには、日々の様々な努力が欠かせません。

「アラフォー」とは現在40歳前後の世代のこと。
私は少し上の世代だ。

40歳で「自分は今の時代についていくのはもう無理だ」と思う感覚が、私とは違っている。私はそんなふうに感じことがない、というか今でも新しい技術や新しいデジタル世界観に興味津々だからだ。

おそらく、私は元祖デジタル世代だと思う。
初めてコンピュータに接したのは、高校1年の時、学科としてコンピュータを学んだときだった。
1974年のことである。
まだ、世の中にパソコンが登場する以前のことだ。

※参考→コンピュータの歴史(年表)

当時のコンピュータは、ようやく銀行や大企業で導入されはじめた時期で、商用に使うものだった。
学校にあったコンピュータは「ミニコン」と呼ばれていたが、それでも冷蔵庫くらいの大きさがあった。処理能力は現在に比べれば、恐ろしく貧弱だ。正確なスペックは覚えていないが、8ビット機でメモリはたぶん数百KB、システムの起動はカセットテープから読み込み(起動するのに30分くらいかかった)、コマンドの入力は電子タイプライター、データの入力は紙テープかマークシート、データの出力と保存は紙テープだった。ディスプレイはなくコンピュータのステータスは電子タイプライターが印字してはき出していた。

プログラム言語はFORTRANかCOBOLで、ごく初歩的なものだ。
授業の一環として、銀行のコンピュータルームに見学に行ったりしたが、広いフロアに巨大なコンピュータが何台も並び、オープンリールの磁気テープや、これまた大きな磁気ドラムがガンガン回っていた。それだけ巨大でも、現在の携帯ゲーム機ほどの処理能力はなかっただろう。

参考の年表では、第4世代のコンピュータの時代だが、コンピュータを実用的に使う世代としては、70年代前半が最初の世代といってもいいと思う。
以後、私はコンピュータの発展とともに成長したといってもいい。
自宅にパソコンを導入したのも早かった。

※参照→最初に使ったパソコン、NEC PC-6601(1983年)

これが私のパソコン初号機で、それから5~6年ごとにパソコンを乗り換えていき、1991年頃からMacintoshを使い始めた。

当初、コンピュータはネットワークで使うというシステムはなかった。単独の孤立した機器でしかなかったのだ。
そこに電話回線を使って、データをやりとりするモデムが登場し、ネットワークの基礎が作られていった。
すでに消滅してしまったパソコン通信は、ネットの第1世代だ。

その後、インターネットが爆発的に普及することになったが、現在ネット特有の現象や問題として挙げられていることの多くは、パソコン通信時代にも規模や影響力は小さいながらも発生していた。
それゆえ、私には「既視感」として感じられる。

※携帯電話に関する既視感はこちら→ネット時代特有の現象とはいえないもろもろのこと

パソコン通信はマニアックな領域だったから、一般にはあまり注目されることはなかった。しかし、そこで起こっていたことは、現在のネット事情を十分に予見できるものだったと思う。言い換えれば、ネット時代を先取りした実験場だったのだ。
その実験の成果を、インターネット時代が訪れたときに活かせなかったのは、残念なことだと思う。

コンピュータとつきあい始めて、早34年。
紙テープ時代は懐かしい青春時代でもあったが、マルチコアで64~128ビット時代に突入したパソコンもまた魅力的だ。
そろそろ新しいパソコンが欲しくなる時期なのだ(^_^)。

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