大ブームのポケモンGOだが、好意的な意見だけでなく批判的な意見も少なくない。
この手の論争は、デジャヴ(既視感)というか、いつか来た道でもある。
やくみつる氏、ポケモンGO利用者を「心の底から侮蔑します」 – 芸能社会 – SANSPO.COM(サンスポ)
かつて、大昔の話ではあるが、テレビが三種の神器として一般家庭に「一家に一台」といわれていた時代。私は子供だったが、その当時はテレビが子供に有害だとして、「テレビを見るとバカになる」などとまことしやかにいわれたものだ。
私の通っていた小学校では、テレビを見る時間を厳しく制限する指導が行われていて、毎日の生活記録をつけるノートに、テレビを何分見たかを記入し、担任の先生に自己申告していた。
まぁ、テレビ時代以降、日本人はバカになったのかもしれないが、全部が全部バカになったわけでもない。経済大国にのし上がり、科学技術の発展にも貢献した。テレビは害ばかりではなかったのではと思う。
マンガやアニメについても、同様の通過儀礼があった。
もう30年くらい前だと思うが、通勤電車でスーツを着たサラリーマンがマンガを読んでいることを批判されたものだ。
「社会心にもなって、マンガを読むとは嘆かわしい」と。
やくみつる氏流にいえば、「マンガを読む人を、心の底から侮蔑します」とされていたのだ。
そういう時代もあった。
ファミコンがブームになったころも、ゲームが子供の害になるといわれた。
ケータイが普及すると、同じようにいわれた。
スマホになっても同じようなことがいわれた。
そして、今度はポケモンGOだ。
同じことの繰り返し。
新しいものがでてくると、拒絶反応を示す人は一定数いるので、このようなことになってしまう。
どんなものでも、「益」になることと「害」になることがある。両者は背中合わせだ。薬は病気を治せる益の効果もあるが、副作用という害の効果もある。益と害とどちらが優位か?……という違いだ。
とりあえず、どんなゲームなのかはやってみないと評価はできない。
というわけで、やってみた。
ただ、私のiPhoneは古い4sなので、スペック的におぼつかない(^_^)b
なので、iPad Airで。
そういえば、スマホでポケモンGOをやってる人は見かけるが、iPadを使ってる人は見かけない。もしかして、これはレアなことなのか?(^_^)
▼iPadでポケモンGO
当然だけど、画面がデカイ。
少々重いのが玉にきずだが、ゲーム画面としてはこのくらいあった方がいいようにも思う。画面が広い分、仮想空間の世界が広く感じる。
▼ポケモンGO「iPadで広い空間」
たまたま近くにポケストップがあるので、室内から出ることなくモンスターボールの補充も容易だ。
このポケストップは近くに行かないと開かないことになっているが、距離的な許容値は30~50メートルくらいのようだ。だから、直下に行かなくて使える。GPSで位置情報を捉えているが、誤差があるのでその分許容範囲があるのだと思われる。自分が動いていなくても、キャラが右往左往して動いているのはそのためか?
▼ポケモンGO「室内からポケストップ」
室内から出ることなく、ポケストップを使い、ときどき出現するモンスターをゲットした。
別に外を歩き回らなくてもいいんじゃね?(^o^)
じっとして動かない状態でも、モンスターは出現してくる。都会ならではの環境のせいもあるだろうが、あまり労せず数時間で23種・30匹あまりのモンスターをゲットして、レベル5まで上がった。モンスターを捕まえるだけなら、歩き回る必要はなさそう。ただ、場所によって出現するモンスターの種類が変わるそうなので、コレクターとしては新しいのを捕まえたくなるのだと思う。
▼ポケモンGO「ドガース」
▼ポケモンGO「事務所にて」
▼ポケモンGO「オニドリル」
また、室内からポケモンGOをするときは、以下のようなエラーがちょくちょく出る。
▼ポケモンGO「GPSの信号をさがしています」
鉄筋コンクリートの建物なので、GPSの電波が届きにくくなっているようだ。この警告が出ている間は、ゲームは進行できず、中断される。窓際に行くことで、この問題は解消できる。
やってみてわかったこと。
これは夢中になる要素があるということ。モンスターをゲットするのは、昆虫採集や釣りで獲物をゲットするのと、心理的な充足感は同じだ。バーチャルでの狩りの満足感を得ているといえる。多くの人には、なにかを「集める」という収集癖があるものだが、そのコレクター欲を刺激するのだと思う。
そして、世界観が「綺麗」なことだ。
位置ゲーとして、リアルな地図とシンクロしているが、画面上の世界には余分なものがなく、シンプルで清潔感があり、綺麗なのだ。
現実世界は、雑多な建物が混み合って建っているし、人や車が往来し、騒々しく、複雑になっている。それは情報量が過多になっている状態でもあって、精神的に疲れる環境にもなっている。
しかし、ポケモンGOの世界は、透き通っているのだ。
▼ポケモンGO「百花繚乱」
リアルな地図と連動していても、ポケモンGOの世界の地図には現実の汚いものがない、クリーンな世界だ。
ある意味、ピュアで清涼感のある世界である。
ゲームには現実逃避の意味合いもあるが、リアルな世界とリンクしたポケモンGOの世界は、クリーンで理想的な内面世界を具現化しているともいえる。
それが、プレーヤーの癒やしにもなっているように思う。
爆発的なヒット作となった「ポケモンGO」だが、短期間で熱くなってしまったものは、冷めるのも早い。すでにモンスターをコンプリートした人も出てきているようだが、そういう人が多く出てくると、飽きられるのも早くなってしまう。
現在のバージョンでは、モンスターをゲットすることに主眼があるため、育成やジムでのファイトといったことには、あまり注力されていない印象だ。
それでも、ARゲームの可能性を示した功績大きいのではないか?
大きな転換点となるゲームだった、といわれるのかもしれない。