【追悼】四月は君の嘘

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宮園かをりが死んだ……

 『四月は君の嘘

酷だよ……
酷な終わり方だ。
登場人物達にとっても、見ていたファンにとっても。

予想された結末ではあったが、かをりちゃんは生きて欲しかった。
たかがアニメ、たかが物語ではあるのだが、この結末はツライ。

彼女は生きたいと願い、生きようと努力していた。
だが、願いは閉ざされた。
実在の人物ではないから、彼女はもともと存在していない。
だけど、やっぱり悲しい……
私たちが物語に感動するのは、たとえそれがフィクションであっても、共感し、共鳴して、束の間の時間を共有するからだ。
その関係性を断たれるのは、喪失感を招く。

原作者、監督は、鬼だ(^_^)b
感動的な結末を迎えるために、用意されたシナリオ。
それがこの物語を決定的に昇華させる効果的なものだとしても、理不尽すぎる。
6ヶ月間、
毎週、
彼らの物語に触れるのを楽しみにしていた。
いつか終わりは来るものだが、もう、彼らには会えない。
しかも、こんな終わり方で。

泣けた。
アニメ作品で泣けたのは久しぶりだった。
思い起こすと……

アニメ「坂道のアポロン」で泣けた…
物語の渇望~『true tears』

俗に青春時代といわれる中学生~高校生。
自分がその歳の頃は、悩みや苦労が多くて、青春を謳歌したとはいえないのだが、歳を取って思い出すと、それなりに青春してたなーと思ったりする。
「四月は君の嘘」の彼らの生き様は、青春を過ぎた年代から見た理想像でもある。
宮園かをりは、人生を達観したセリフをいっていた。自分の余命が少ないことの自覚が、そうさせていたという設定ではあったが、同時に作者視点の代弁でもあったのだろう。
14歳という時間は、今しかない。
あっという間に過ぎてしまう。
二度とない瞬間。
それは悲壮感であり、切なさでもある。

現実世界では、予期せず命を失うことがある。
過去、私の友人が……7人、亡くなった。
事故死、病死、自殺など、理由はそれぞれだが、当人だって若くして死ぬことになるなんて、元気だった頃は想像していなかっただろう。
そんなこともあって、私は「死」をわりと身近に感じる。
亡くなるのが彼らではなく、私であったかもしれないと。
亡くなった親友のひとりとやりとりしていたメールが、今もメールボックスの中に残っている。残っていることはわかっているのだが、見ることができない。見ると、辛くなるからだ。そのメールの中には、親友の息づかいが残留している。

かをりちゃんが公正に残した手紙は、やさしくも残酷な最後の手紙だ。
亡くなったあとに「告白」されるなんて、最悪だよ。
公正は気丈に受けとめていたが、私だったら受けとめきれない。

かをりちゃんには生きて欲しかった。
生きて、公正と再び共演して欲しかった。
それを期待していたのに、最後は別れのシーンのイメージとしての共演だった。
こうして感想を書いていると、泣けてくる(>_<)ゞ
先立った友人達の面影が重なる。

可愛くて、明るくて、型破りで、元気な少女……宮園かをり
彼女は愛されるキャラクターだった。
彼女を死なせるなんて……罪だ。

最近、涙もろくていけない。
涙腺が劣化しているようだ。

素敵な時間をありがとう。

そして、バカやろう!

 
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