【サッカー】評論はかくあるべき…の姿 の続き。
ドナドーニ監督は、いいこというなー……という、記事の続編。
元伊代表監督ドナドーニがザック解任論を一刀両断「今はチームの成長を待つ時。監督交代など論外」 | フットボールチャンネル
そうであれば、“たかが”とは言えないにせよ、わずか1試合のみ、あるいは一つの“前哨戦”である大会をもって過去3年にも及ぶ仕事が否定されるべきではない。より客観的に、冷静に、自国の代表の立ち位置を正しく見極めた上で、あくまでも“具体的な”論拠を示しながら批評なり批判なりを行うべきだと私は思う。
そもそも、ブラジルとイタリアに負けたから解任となるのであれば、それこそ世界中の国の代表が常に監督交代を強いられることになるだろう。対ブラジルと対イタリアに連敗する可能性は、あのスペイン以外の国すべてにとって低くはない確率として想定すべき結果と言えるはずだからだ。そしてまたあのスペインでさえも先日の決勝でブラジルに敗れている
(中略)
いずれにしても、何度も言うようだが、結果論であれば誰にだって言える。そして、すべての敗因を“戦術”や“采配”に落とし込んでしまうということは、逆説的に言えば、“戦術”や“采配”が完璧であれば“絶対に負けない”ことになってしまう。そんなはずはない。
こういう視点、論点、客観性が日本のサッカージャーナリストには求められていると思う。
強豪国に連敗したから、監督交代……と短絡的に批判する評論家が、いかに多かったか。
ブラジルやスペインが、格下相手に連敗したら監督交代というのはわかる。事実、ブラジルは前監督の成績不振を理由に交代させている。表向きの理由とは別に、組織内部の政治的な問題はあったにせよ、常勝チームであらねばならないチームとしては当然だろう。
常勝チームのブラジルやスペインを例に挙げて、日本も成績不振で交代だ……といっても意味と事情は違う。
監督交代論を突き上げる人たちは、「ブラジル、イタリア、メキシコに負けるとはなにごとだ! 絶対に勝たなければならなかった!」とでもいいたいのだろうか?
日本がFIFAランキングで10位以内に入るようになったら、そういう理屈も成り立つ。だが、日本の立ち位置はそういうレベルにはない。上を目指すことは必要だが、謙虚でもありたい。もともと、まともにやりあって勝てる相手ではなかった。どこまで善戦できるか?……という大会だったはずだ。
監督を交代させて優勝できるのなら、迷わずそうすればいいし、誰も反対はしない。
必勝法としての戦術や采配があるのなら、喜んで採用するだろう。
だが、正解は、ない。
日本チームの戦力が頼りないのは事実だし、それが敗因になることも多い。それでも強豪国が常に勝つわけではない。運も左右する。ほんの数センチの差でシュートが決まる場合もある。そのわずかな運を味方につけられるように、肉薄した試合ができるようになることだ。
勝利の方程式はないのだから、日本にできることは運を引き寄せることだろう。そのために接戦になるような試合をすることだ。
W杯の組み合わせが決まれば、どういう戦い方が必要なのかが見えてくる。可能性としては、またまたブラジル、イタリア、メキシコと同組になることだってありえる。いずれにしても、初戦で勝つこと。初戦で勝てれば、選手のモチベーションは高まるが、負けると疲労感は数倍になってしまう。
W杯では、レギュラーメンバーの顔ぶれも、多少は変わっているだろう。どういう顔ぶれになったとしても、グループリーグは突破してほしい。
緊張感と期待感のある、あの時間を、1試合でも多く観ていたいのだ。