3月24日の日本 VS. アフガニスタンについての、杉山氏の記事。
相変わらずの杉山節だけど、視野が狭いのでは?……と思う。

アフガニスタン戦大勝も「上機嫌で自画自賛」の指揮官に募る不安(杉山茂樹) – 個人 – Yahoo!ニュース

上機嫌とはこのことだ。

「美しい勝利。こちらが要求したアグレッシブさを前面に出して勇敢に戦った。ファンの方々もブラボー! と言っていただけることを期待します」

試合後の会見場に現れたハリルホジッチは、のっけから、いつも以上のハイテンションで自画自賛。自分と選手を褒めまくった。

杉山氏はハリルホジッチ監督が、よほど嫌いなのか、重箱の隅をつつく批判が多いね。
サッカーについての論評には、データや客観的な視点に基づく、詳細かつ論理的な分析が必要だと思うのだが、杉山氏の論評は印象論であったり感情論であったりの抽象的な表現が多く、的確性が乏しい。

外国人監督……特にヨーロッパ出身の監督は、自画自賛するものだ。それは自身をアピールするためであり、自信の表明であり、プライドでもあるからだ。弱気な発言をする監督は、監督しての資質を疑われる。ヨーロッパでは、選手同士の競争が激しいが、監督同士の競争も激しい。成績不振に陥れば、即座に解任されるし、ビッグクラブの監督になるには、成績や手腕はもとより、意志の強い監督が求められる。たとえ相手が弱小であっても、勝利したときは自身と選手を讃える。それは普通のことだ。

ところが、日本人の選手と監督は、勝ったときでも「反省」を先に口にする。反省することが「美徳」だと思っているからだ。勝ち誇ることは、「傲慢」と思われることを恐れるからだろう。
それは日本人のメンタリティだ。
なぜ勝利した喜びよりも、反省を先にいうのかといえば、次に「失敗(敗戦)」したときに叩かれるのを和らげるためだ。日本人は「失敗」することに厳しく、9勝していても1敗したことを、ことさらに厳しく追及する。勝ったときに偉そうなことをいったり、過剰に喜んだりすると、負けたときに勝利時の発言を引き合いに出してボロクソに叩く。だから、予防線として「反省」を口にする。
これはスポーツに限った話ではなく、仕事の上でも同様だ。自分を蔑み、謙虚になることで、失敗したときの影響を緩和する。それが処世術でもあるのだが、反面、積極性や大胆さを殺すメンタリティを育むことにもなってしまう。

サッカーの本場で、自己主張を明確にしないと競争に勝てない環境にいる選手は、強気な発言をする。本田選手がいい例だが、彼のようにズバズバと主張すると、それだけで日本人記者はビッグマウスと叩く。女子代表では、大儀見選手が厳しい発言をするが、やはり叩かれる。ヨーロッパで競争している彼らには、それが普通のことだと思うのだが、日本人のメンタリティとはかけ離れているから、傲慢に見えてしまう。
空気を読むとか、突出したことは言わない・しない、という同調圧力の中にある日本人には、彼らのような規格外の日本人に違和感を感じてしまう。
主義主張を抑制し、周囲を気遣って温厚に振る舞い、勝利の喜びよりも自分の至らなさを反省する。それが悪いわけではないが、そうしないと批判される空気は問題だろう。

ハリルホジッチ監督は「チャレンジ」ということをよくいっているが、日本人選手の積極性のなさを問題視しているのだと思う。積極性のなさは、失敗を恐れる日本人のメンタリティが背景にある。常にマイナス査定される環境では、チャンスがあってもチャレンジすることよりも、失敗が自分の責任にならない方向の選択をしてしまう。そのため、シュートが打てるのにバスを選択することが多い傾向にもなっている。テクニック以前に、気持ちがネガティブになっているように思う。

サッカーにおいて、百発百中の攻撃などはなく、10回チャレンジして1回の成功で得点できれば、勝てる可能性が高まる。5点差、6点差といった大勝の試合は少なく、たいていは1~2点差だ。
アフガニスタン代表は、たしかに実力差がありすぎたから、勝って当然の試合ではあった。しかし、何点差で勝ったかが問題なのではなく、何回チャレンジして何回成功したかの過程と成功率が重要だ。強豪相手では成功率は下がるが、大事なことはチャレンジすること。そのチャレンジ精神は、実戦(公式戦)の試合の中で育み磨いていくものだ。

また……

アフガニスタンに5-0で勝利した原因は、日本がよかったからでは全くない。これは、W杯2次予選に入ってからずっと続く傾向だ。拮抗した相手と戦った東アジアカップでは最下位。結果もともなわなかった。アジアカップでベスト8に終わったアギーレ時代、ブラジルW杯でグループリーグ最下位に終わったザックジャパン時代から続くもの。よくない理由を、ハリルホジッチ1人に押しつけるつもりはサラサラない。

アフガニスタン戦での、日本のいいところを見つけられなかったのだろうか?
相手が弱いから、参考にならないとでも?
そういう見方は間違っていると思う。評価できるところは評価しないと、選手もチームも育たないよ。その点、海外記者の方が的確な評価をしている。

東アジアカップはハリルホジッチ監督が就任して間もない頃であり、監督の目指すサッカーがまだ浸透していない時期だった。アギーレ監督のときのアジアカップも同様だ。ブラジルW杯のときの不振は、もっと複雑な要因が絡んでいたから、現在のハリルホジッチ監督との比較は難しい。
それらを同列に評価するのは無理がある。
監督が代われば、チームが劇的に強くなるなどというのは幻想だ。世界最高の監督を連れてくることができても、日本代表が世界一になれるわけじゃない。
変化は少しずつしか起こらない。
2018年ワールドカップまで、あと2年となったが、途中から監督になったハリルホジッチ監督には、本来与えられるべき4年ではなく、3年しか時間がない。その中で、結果と成長が求められている。
なかなかに厳しいミッションだろう。

そもそも日本は、サイド攻撃が不得手な国。4-2-3-1を採用しても、4-3-3を採用しても、その傾向は止まらない。サイドアタッカー両サイド各一枚の4-2-2-2と変わらないサッカーに陥ることもしばしばだ。

そうなってしまうのは、リスクを恐れてチャレンジできないからだね。そこをハリルホジッチ監督は変えさせようとしているのだと思うけど、選手は失敗を恐れて前に出られない。そのへんが前述のメンタリティの弱さに起因している。
どういうフォーメーションかが問題なのではなく、どれだけチャレンジできるかの問題だ。ボールがサイドではなく真ん中に集まってしまうのは、真ん中にいる選手(本田、長谷部、香川など)が信頼感のある選手になっているため、その選手に預けてしまうことでリスクを回避しているのではないかと思う。つまり、消極的な選択の結果だ。
これは一朝一夕には改善できないように思う。

日本代表のサッカーは明らかに弱体化している。そこから脱却するためには、少なくとも監督だけは、立派でなければならない。理にかなった効率的なサッカーでないと、レベルの高い相手には対抗できない。

監督だけは、立派でなければならない」という「立派」の定義と意味はなに?
勝っても反省を先にいうのが「立派」なのか、勝利を誇らないのが「立派」なのか、どういう監督が「立派」なのか書いてほしい。
加えて、杉山氏のいう「理にかなった効率的なサッカー」とはなんなのか?……それが見えない。
そこのところを、わかりやすく、具体的かつ詳細に論じないと、サッカー評論にならないよ。
一介のサッカーファンの私には思いもつかない、目が覚めるようなサッカー理論を期待します。

【サッカー】アジア2次予選、日本 VS. シリアの論評について……に続く。

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