コンフェデレーションズカップのイタリア戦は、日本時間では早朝7時から始まった。いつもなら目覚めて出勤の準備を始める時間。録画はセットしていたのだが、家を出るまでに前半までは見られるかな?……と思っていたら、結局、最後まで見てから出勤した。会社にはギリギリ間にあったけど(笑)。
緊張感のある試合だった。
最初のPKでは、本田に「決めてくれ!」と、拳を握りしめていた。
ブラジル戦で完敗だったから、選手たちがどれだけ立ち直っているのか心配だった。だが、思いのほか、いい動きをしていた。
勝てれば番狂わせの勝利になったが、結果は負け。
結果を受けて、厳しい論評も出ているのだが……
セルジオ越後氏「本気で世界のトップを目指すなら、惜しいとか言ってる場合じゃない」 – サッカーキング
勝てるチャンスはもちろんあった。それを生かしきれなかったのは、個人の問題、チームの問題、監督の問題、いろいろある。
(中略)
ブラジルには『惜敗』なんて言葉はない。今日のイタリアは、勝ってもさんざん叩かれるだろう。日本は負けたのに、ワイドショーでバカ騒ぎする。本気で世界のトップを目指すなら、そういうのはもうやめようよ
セルジオ氏はいつも手厳しいが、ごもっともな評価だ。
勝ってもおかしくなかった試合を落とした。運がなかったといえばなかったが、あと数センチの差でゴールに入らなかったりで、善戦が報われなかった。
『惜敗』という言葉は、たしかにいらない。負けは負け。負けを教訓にできることもあるが、勝って得る自信の方がもっと有益だ。勝負の世界は、勝者が最大の賛辞と評価を受けるもの。
しかし、しかしである。
日本はブラジルとイタリアに負けはしたものの、勝てなかったことを問題にされ、勝つためにはどうすればいいのか……と批判・批評されるようになったのだ。
そこには、勝つ可能性があるから熱い論争が起きる。
監督が悪いとか、個人技が足りないとか、誰それがだめだとか、勝てなかった理由、勝つための方法をあれこれといえるのは、勝てる可能性があると思っているからだ。
世界の強豪と対等になったとは思わないが、子どもが大人に勝てるかもしれないレベルには達したということだ。
勝てなくて当然の相手ではなくなったのだ。
サッカーに関しては、日本は発展途上国だろう。
政治経済でいうところのG8には入っていないようなものだ。FIFAランキングは本当の実力を表してはいないとはいうものの、そのランキングで一桁台になってはじめてサッカー先進国の仲間入りだ。
世界大会で日本が優勝することは、私が生きている間には実現しないかもしれない。女子サッカーでは一足早く実現したが、男子サッカーの道のりは遠い。
それでも、まったくの夢物語ではなく、どうかすれば手が届きそうなところには来ているような気がする。W杯ブラジル大会で、それが実現する可能性は低いかもしれないが、可能性はゼロではない……と思わせてくれるくらいには、日本も世界に近づいているのではないだろうか?
サッカー解説者の論評の中に、「アジアレベルの戦い方から世界レベルの戦い方に切り替える必要がある」というのがあった。
アジア各国のサッカーは、まだまだ発展途上なので世界レベルよりも劣る。サッカーをする設備的な問題や、気候が寒冷地~熱帯~砂漠までと幅広いこともあって、サッカー以外の困難さもつきまとう。
今後の課題としては、アジアの戦いであっても、世界レベルのサッカーをすることなのだろう。なかなか難しいことではあるが、アジアで苦戦しているようでは世界でも苦戦する。
「運も実力のうち」ともいうが、W杯での組み合わせも運だ。
今回のコンフェデのように、死の組になったら厳しい戦いになるが、組みしやすい場合もある。参加国がすべて総当たりでリーグ戦をするわけではないので、勝ち上がるチャンスはある。
W杯では、3試合以上の戦いを見られることを期待したい。
コンフェデも残るはメキシコ戦のみ。
全敗だけはしてほしくないが、普段出番のない選手たちに経験を積ませることも必要。控え選手に経験を積ませるという意味での積極的な負けなら、それはそれでもいいと思う。