前にも何度か書いていることではあるが、注目される事件(おもに殺人事件)が起きると、前後して起きた類似事件を比較して、年齢的に近かったりすると、その世代をひとくくりにして論じる記事やコメンテーターの意見が多くなる。
 だが、ある世代の中で、数人の凶悪犯がいたからと、それがその世代の数十万~数百万の人たちの傾向であると断じるのは、あまりにも乱暴だ。
 割合を考えて欲しい。
 10万人中、2人であれば、わずか0.002%なのだ、
 10%を超えるような大規模な傾向ならば、世代論として通用するかもしれないが、0.002%であれば特異な例にしかならないのではないか?

 そんな記事のひとつ。

ロスジェネの怨みが暴発(AERA) – Yahoo!ニュース

 1年前、秋葉原の歩行者天国に、レンタカーで乗り込んだ加藤智大被告は当時25歳。やはり昨年、JR荒川沖駅で無差別に通行人を殺傷した金川真大被告は当時24歳。いずれもロスジェネ後期世代だ。自分の境遇に強い不満を持ち、その怒りが社会や不特定多数に向いている。

 なにかと世代でくくりたくなるのが、記者や専門家なのかもしれない。
 それが社会のせい、環境の変化のせい、と犯人捜しをすることで、あたかも理解したような雰囲気になる。

 前出の0.002%というのは、以下のデータに基づいたもの。
「凶悪犯罪は低年齢化」していない ~子どもに対してせっかちな大人たち:日経ビジネスオンライン

年齢層別殺人(未遂含む)検挙者数の推移(10万人当たり)

 殺人事件は、年齢に関係なく起きているわけで、たとえば50代の殺人犯が何人かいたとしても、20代のように世代論で論じられたりはしない。
 それはなぜなのか?
 ニュースとして大きく取り上げられるほどに、その事件が際だって見えるために、20代の若者が殺人者予備軍のように扱われる。
 これは世代間差別ではないのか?

 「最近の若者は……」と、いつの時代もいわれ続けているが、若者と中年~老人で価値観や趣味趣向が違うのは当たり前。ゲームやケータイの普及にともなって、子どもたちや若者の気質が変化したことは事実だろうが、大部分の若者はまっとうに生きている。
 10万人中、2人が殺人事件を起こすに至っているが、9万9千998人は殺人犯ではないのだ。万引きなどの悪さはしているかもしれないが、かといってその「ワル」が年齢とともに増加するという傾向はない。

 社会の環境が難しい時代であることは事実だろう。
 就職難や結婚難といった世代的な悩みが多いのもわかる。
 将来に夢がもてないというのも、一理ある。
 だからといって、凶悪な犯罪者が増えることにはならないし、若者世代が異常なわけではないのだ。

 世代論ではネガティブなことに着目するが、ポジティブな面での世代論はあまり見かけない。
 若くして事業や研究でなにがしかの成功を収めたり、スポーツで世界的な記録を達成したりしても、それは個人の努力の結果であって、世代として優秀だから……という評価にはならないようだ。
 これは公平な評価ではないだろう。
 同じ世代であるなら、同じような社会的な影響を受けているはずだから、一方は社会的な影響で犯罪者になり、一方は社会的な影響に関係なく優秀な人間になった……というのはご都合主義だ。

 殺人事件を世代で論じるのなら、「団塊の世代殺人」「団塊ジュニア世代殺人」「ゆとり世代殺人」「アラフォー世代殺人」「バブル世代殺人」「氷河期世代殺人」「アラサー世代殺人」……等々、年齢別にそれぞれ名付けなくてはいけなくなる。
 こうやって並べると、それがいかに無意味かがわかる。
 ある特定の年齢だけが殺人を犯すわけではないからだ。

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