過労死問題などを受けて、「残業規制100時間」の基準について是非が問われている。
このニュースを見ていて、いつも強烈な違和感を感じる。
経営側を代弁する経団連は、残業100時間が必要だという立場だ。
一方、労働者側を代弁しているはずの連合は、100時間未満にするように主張している。
どちらも100時間というボーダーラインを前提にしている。
線引きは必要なのかもしれないが、そもそも残業しないと成立しない会社というのが問題なのだが、そのことについてはほとんど触れられない。
受注した仕事が、定時内だけの作業では納期に間に合わない……というのは、人員が不足していたり、作業効率が悪いために、無理をしないといけない状況だ。
それで残業になる。
労働力不足を補うために、新たに何人か雇用するよりも、残業代を払う方が安上がりだし、場合によってはサービス残業にしてしまえば、コストはかからない。
経営者は、労働者をコストとして見ている。
だから、残業ありきで月に100時間くらいは許容範囲だ、という発想なのだろう。
それに関連した記事。
「残業規制100時間」で過労死合法化へ進む日本:日経ビジネスオンライン
ええ、そうです。残業規制を巡る問題である。
そもそも「残業の上限を規定して罰則を設ける=働き方改革」ではない。
厚生労働省によれば、
「『働き方改革』は、一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジであり、日本の企業や暮らし方の文化を変えるもの」
とある。長時間労働を日本の文化ととらえれば、一種の働き方改革になるのかもしれないけど、私には単なる法律上の問題としか思えない。
36協定を抜け道に残業を青天井にしてしまっている企業に、「言ってもわかんないんだったら、罰則をつけるぞ!」と言ってるだけ。
(中略)
そしていま「100時間を認めないと企業が立ちゆかない。現実的でない規制は足かせになる」とのたまうとは。本当にわけがわからない。過労死のリスクを容認する国っていったいナニ?
何人の命を奪えば気が済むのか?
河合氏の意見には賛同する。
良心的な労働者思いの経営者もいるだろうが、会社組織が大きくなるほどに、個々の労働者の顔は見えなくなり、生産性や利益がどのくらい出ているかという「数字」しか見なくなる。
数字を上げていくために、もっと働け、もっと残業しろ、サビ残しろ……となっていく。
労働者は会社の歯車となり、故障したら別の部品と交換する。
映画「モダン・タイムス」の世界だ。
1936年の映画だが、2017年の日本では、風刺された世界が現出している。
こうなってしまったのには、日本人の社会的特性も関係しているのだろう。組織に従順で、上下関係の厳しい縦社会で、周囲と歩調を合わせないと阻害されてしまう。自己主張すると孤立してしまうので、不満があっても服従する。個人よりも組織を優先する。それが美徳だとされる社会。
「24時間戦えますか?」とCMが流れていたバブル期は、このシステムがうまく機能していた。誰もががむしゃらに働き、栄養ドリンクを飲んでバリバリ残業していた。
その当時でも、過労で心身を患う人はいたはずなのだが、過労死や「うつ」といった問題はほとんど話題にならなかった。彼らは脱落者の烙印を押されていただけだ。
現在でも、過労で働けなくなることは、脱落者のような扱いを受ける。根本的には変わっていない。
そうなりたくないために、無理をして働いてしまう。
ある種の強迫観念だ。
「何人の命を奪えば気が済むのか?」
おそらく、経営者にとっては、それすらも数字なのだと思う。
裁判になったら、賠償金をいくら払うことになるのか?
この問題で、会社の利益がどれだけ減益になるのか?
つまりは、命の値段ともいえる。
過去、過労死裁判でどのくらいの賠償金が発生したのか、代表的な例が以下にある。
事件名 | 裁判所 | 賠償額・和解額 |
電通過労自殺事件 | 最高裁 | 1億6,800万円 |
システム・コンサルタント事件 | 最高裁 | 3,200万円 |
南大阪マイホーム・サービス事件 | 大阪地裁 | 3,960万円 |
みくまの農協事件 | 和歌山地裁 | 859万円 |
川崎水道局事件 | 東京高裁 | 2,100万円 |
富士保安警備事件 | 東京地裁 | 6,294万円 |
電通は1億を超えているが、他は3000万円前後。これが命の値段ということになる。
これを安いと見るか、高いと見るかは、企業の規模によって、経営に与えるダメージは変わる。
電通の場合、
電通、今期純利益889億円 海外広告好調で実質7%増:日本経済新聞
電通(4324)は15日、2016年12月期の連結純利益(国際会計基準)が889億円になる見通しだと発表した。
ということで、1億6800万円は889億円のうちの、わずか約0.2%にすぎない。痒みはあるかもしれないが、痛くはない額だろう。
この事例は2000年に起きた過労死事件賠償額だが、その後も改善されることなく、第二の過労死事件へとつながったのは、電通にとってこの程度の賠償額はわずかな損失に過ぎなかったことを物語っている。
うがった見方をすれば、死ぬまで働かせても、1億で済む……という発想が、経営側にはあったのかもしれない。
そうまでして100時間の残業をさせたいのは、残業代が安いからだね。
残業の割り増し賃金は25%くらいだが、時給が1800円とすると、450円増し。新たに1人を雇用するよりも4分の1で済む。だったら、1人を酷使した方が安上がりだ。
これも、労働者をコストとしか見ていない考え方。
残業が常態化している会社は、人員が足りていないからだ。
しかし、人を雇うよりも残業させた方が安上がり。補充するにしても、派遣やアルバイトの低賃金の人を雇う。
労働者はコストという数字でしかない。
経営者は、労働者を「人間」として扱って欲しいものだ。
交換可能な歯車じゃないってこと。