私的な夫婦事情

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 ネットを回遊しつつ、様々なジャンルのいろいろな記事を読んでいると、ときどきハッとするような面白い記事に出くわす。

 私のブログの記事で、平日の昼間に書かれているものは、会社のパソコンから書いている(^_^;
 仕事をさぼって書いているわけではなく、仕事が「待ち」の状態で、時間が宙に浮いているからである。忙しいときはメチャクチャ忙しいが、暇なときはかなり暇なのだ。相手があっての仕事なので、とりあえず提出している作業の返事が来ないと次に進めなかったりする。それが「待ち」の時間となる。

 空いた時間にはネットを回遊して、仕事に役立つ記事を始めとして、情報収集をする癖がついている。
 そんなときに、気になる記事を読むと、ブログに書いておきたくなる。ある意味、忘れてしまわないようにする外部記憶なのだ。
 で、今日の読んだ記事は、かなり面白い。

14:恋の悩みと、愛の鉄則:NBonline(日経ビジネス オンライン)

 私が独身であれば、彼女の気持ちはそれなりに理解できたかもしれない。

 誰かを愛するという気持ちだ。しかし、妻帯者となって10年も経つと、互いにそこにいるのが当たり前の存在になってしまい、家内を愛しているかどうかという感覚が鈍くなっていたことに気づかされたような気がしてならなかった。

 家内に愛してるかと訊かれれば虚勢……、じゃなくて胸を張ってアイシテルと応えられるだろうと思わなくもないわけではないが、それは10年前のアイシテルとは意味が違う。当たり前。友だちみたいな夫婦、恋人みたいな夫婦なんてのはありえないのだし。そういうカップルが離婚しやすいのかもしれないけれど。

 なかなか興味深い記事で、随所でニヤリとしてしまう快作だと思う。執筆者の降旗氏の記事は総じて面白い。

 私は結婚して32年。それ以前に5年ほどの同棲期間があったので、妻とは37年ほど一緒に生活していることになる。子どもはいないので、ずっと二人だ。
 降旗氏は「恋人みたいな夫婦なんてのはありえない」と書いているが、私たちの場合、それが当てはまるように思う(^_^)

 別にのろけているわけではないが(まぁ、それもあるかな)、結婚前の恋人時代と結婚後の夫婦時代で、二人の関係のあり方はあまり変わっていない。
 恋人時代は財布の管理は個々の問題だが、結婚すると「家計」という一元化をするのが普通だろう。だが、うちでは今も別々だ。生活にかかる費用の分担はあるが、基本的に自分で稼いだお金は、自分の判断で使う。正直なところ、妻が給料をどれだけもらっているのか、正確には知らない(^_^;……というか、知る必要を感じない。

 また、結婚すると世帯をひとつにするが、うちではそれも別々である。つまり、同じ住所に世帯主が二人いることになっている。これには理由があって、年金などの問題で、世帯が私の中に組み込まれていると、ややこしいことになってしまうからだ。

 唯一、結婚らしい形態は、妻の姓を私のにして婚姻届を出し、戸籍上の名前が変わったことだ。もし、夫婦別姓が可能であったなら、別姓のままにしていただろう。
 妻は今でも、古くからの友人には旧姓で呼ばれているし、ハンドルネームとして本来の名前を使っている。私の携帯での登録名も彼女の旧姓なのだ。

 「愛しているか?」と聞かれれば「愛している」と答える(^_^)
 なぜなら、好きだから一緒にいるのだし、愛していなかったら一緒にはいられない。
 長いつきあいだから、ときには口げんかすることだってある。それでも、自然と仲直りする。

 昼間は会社勤めのため、それぞれに別行動になる。顔を合わせるのは、帰宅して寝るまでの数時間。時間的に見れば一緒にいられる時間は限られている。だからこそ、晩飯のときくらい一緒に食事をする。
 私は仕事がら残業が多いので、帰りが遅くなることも度々だ。それでも妻は、私が帰宅するまで晩飯を待っていることが多い。私が晩飯を作らないと、ご飯にならないという事情もあるのだが(^_^)。

 ときには、一緒に外食することもある。帰りの時間が合うときには、携帯で連絡を取り合って待ち合わせる。
 つまり、デートである(^_^)。
 また、ちょくちょく彼女にプレゼントをする。恋人時代がそうであったように。誕生日には必ずプレゼントをする。私から彼女へ、彼女から私へ。
 夜、眠るときは寄り添って寝る。それはスキンシップでもある。

 実のところ「夫婦」という意識は、あまりない。
 便宜上「妻」という言い方をするが、それは他者に対する表現でしかない。
 彼女は私にとっては、今でも恋人であり、一緒に生きていく伴侶なのだ(^_^)。

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