人にはいろいろな欲求があるが、その中でも強い欲求というのは「食欲」と「性欲」だろう。
この二つは、生きるための欲求でもある。
両者は密接に関係している。
比喩や暗喩として、食べることと性的なことを結びつけることは、頻繁に登場する。それは、イメージが似ているというだけでなく、脳のメカニズムとしても近い関係にあるからだ。
そんな食欲と性欲に関する記事が以下。
女と男は食も別世界? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
食がテーマの回想録のリストを見ると、女性は食べ物を愛の代用品に使い、男性はセックス自慢の手段にしているような気がしてくる(セレブ御用達のシェフ、マリオ・バターリも「人を喜ばせる方法は2つある。どちらも何かに何かを入れることだ」と言った)。嫌になるほどステレオタイプの性差だ。
続々と出版されるこの手の本は、著者の大半が女性。そのほとんどに、食べ物が家族との絆を取り戻したり、失恋から立ち直ったり、自己発見する助けになったと書いてある。例えば「最初は悲しかったけれど、牛肉料理を作ったら心が満たされた」というふうに。
男性の方がストレートな表現だが、女性の「愛の代用品」というのも、深層心理的には性的なものに結びついている。愛情は「性」とは無縁ではないからだ。
感情や欲求は、脳の中で起こる。
食欲と性欲に関しては……
〈視床下部〉—は、約5gの親指の先ほどの小さな脳であるが、人間の脳の中心にあって、保護調節をはじめ、食欲、性欲などの中枢でもある。
(中略)
精神分析の権威フロイト(1856~1939年、オーストリアの精神科医師、精神分析の創始者)のリビドー説(性欲衝動説)とこの視床下部脳の働きは一致することがあると専門家は述べている。
フロイトは、性の概念を重要視し、私たちの日頃の欲求行動は性と深い関係にあるという。
というように、脳のほぼ同じ領域が司っている。
前にも書いたが、「会社内の男女が、ランチを一緒に食べる」ことが、社内恋愛の兆候だとされるのは、食欲と性欲が結びついているからだ。
会社内のつきあいで、義務的に食事を一緒にするのは別にして、当人同士が自らの意思で食事をともにするのなら、それは好意があることの証だろう。好きでもない相手と、食事なんかしないからだ。
極論すれば、食事(ランチまたはディナー)を一緒にする……というのは、エッチの前戯だといってもいい(^_^)。
と、食欲と性欲に関して、面白い記事があった。
食べることとSEXには、ちょっとした関連性があります。食欲が満たされると性欲が減退する、などという話も聞きますし、女性が口に物を入れる仕草を官能的だと捉える男性もいます……。それは「食べる」という行為に、SEXに通じる要素があるからなのではないでしょうか。
食べ方でセックスの傾向がわかるかどうかはともかく、まったく関連性がないわけでもないだろう。ただ、この仮説を証明するには、サンプルを多く取らないと説得力が乏しい。ここに書かれていることだと、漠然としたイメージでしかない。
いずれにしても、食事は、その人の癖や好みが如実に反映される行為である。
そういう意味では、極めてプライベートな一面が見える場面にもなる。そういう姿を、間近な距離で見せられる相手……というのは、近しい関係や好意を持っている相手に限られる。
公の場で、自分の「素」をさらしてしまわないようにするために、食事の作法や礼儀があるといってもいい。それは一種のカモフラージュだ。
個人的な親しいつきあいのときには、体面を保つためのカモフラージュは必要なくなる。「素」をさらけ出しても、恥ずかしくはない。
異性の相手と「素」のまま食事ができる関係は……すなわち、恋人あるいは夫婦関係だろう。
食事……というのは、男女関係では、重要な要素であることは確かだね。